万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

本堂引渡し

2007年11月29日 | Weblog
本日、午後1時30分より新築なった本堂の
業者よりの引渡しが行われました。
 亀山建設より亀山義比古社長と山田設計士、
寺側は建築委員会と住職とによって行われま
した。
 先、尊前に勤行、続いて住職挨拶、亀山社
長挨拶。山田設計士建築についての説明。そ
の後山田設計士の説明を受けながら全員で本堂
を検証し、質疑応答の後、引渡し書面に住職が
サイン捺印して引渡しが無事完了いたしました。
菅清光建築委員長と越智光人総代長が懇ろな謝辞
を述べられて閉会いたしました。
 これからは来年4月27日挙行の「親鸞聖人7
50回大遠忌法要、並に本堂落慶法要」に向けて
準備に入ります。ご門徒の皆様のご協力を、ご参詣
を切に願います。

 画像は本堂での引渡しの模様、亀山社長、山田設
計士(後ろ姿)、謝辞を述べる越智総代長。
コメント (2)
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今年の紅葉

2007年11月29日 | Weblog
 大三島の紅葉は今がたけなわです。
皆さん、一様に今年の紅葉は奇麗だと
云います。いつまでも夏日が続いて急に
寒くなった所為なのでしょうか、ハッと
するような景色が随所に見られます。
 寺の紅葉は面河や京都清滝の紅葉など
の小さな子生えを植えたものなのですが、
随分と大きくなって存在感が出てきまし
た。銀杏の大樹も黄葉が始まりました。
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微妙音(みみょうおん)

2007年11月27日 | Weblog
 昨日、木村三千人先生の回想のエッセイを読ませていただきながら、
フト前住の木村先生の依頼で揮毫した「微妙音」を見たい思いに駆られ
、床に掛けました。この書は木村先生のお宅の仏間に掲げられていたの
ですが、前住の遺稿集に「微妙音」の題を付したことから先生が寺へ納
められたのでした。今はそれを軸表装にしていますが、この書に対峙す
ると父(前住)に対面しているような心地がいたします。(住職)
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こころのふるさと

2007年11月26日 | Weblog
昨日、現在横浜にお住いの木村三千人先生より今月上梓
された『こころのふるさと (一教師の回想)』の贈呈を
受けました。もう一冊出版しておきたいと申されていたも
のが完成されたことを心からお祝い申し上げます。
大正11年1月のお生まれですから、もうすぐに86才に
なられることですがお元気で思索と文筆生活を続けておら
れますことに甚深とした敬啓の念が湧きおこります。
 85年の人生の大半を教職にあられ、その間いろんな方
との出会い、言葉との出会い、こころの出会いを感動的にエッ
セイ、2章29篇に上梓されています。万福寺前住職のこ
とも何篇かに触れられていて有難く読ませていただいており
ます。「荒城の月」の一文は懐かしい限りです。
 
 村のお寺では、親鸞様のお誕生日に、本堂でお祝いの宴会が
 あった。婦人会の手作りのお弁当で、歌も出る。
 寺のお世話をすることになって、はじめて出席したとき。
 歌の最初は老院さんである。
  雀、雀、きょうもまた
  暗い夜道をただ一人
  さびしいお宿に帰るのか
  いえいえみなさんあそこには
  父さん母さん待っていて
  楽しいおうちがありまする
  さよなら皆さんチュンチュンチュン
 はじめ、老院さんは流行歌などはご存じないから、
 子供のときにならった童謡を歌われるのか、と聞いていた
 が、
 いや、ちがうな。
 これは、お浄土のことなんだ。やがて帰って行く世界を、こ
 の童謡にたとえて歌っておられるのだと、わかった。
 この父さん母さんとは如来様のことだ。楽しいお家とはすなわち
 お浄土だ。
 そのとき老院さんは84才であられた。
 そして次の年。
 今年はなにをお歌いになられるかと期待していると、「荒城の月」
 だ。
  春高楼の花の宴、めぐる杯影さして、千代の松が枝わけいでし、
  昔の光いまいずこ。
  秋陣営の霜の色、鳴きゆく雁の数見せて、植うる剣に照り添いし、
  昔の光いまいずこ。
  天上影は変らねど、栄枯は移る世の姿、映さんとてか今もなお、あ
  あ荒城の夜半の月。
 お聞きしていて、ああこれは「月」を如来様にたとえて歌っておられ
 るとわかった。
 「昔の光」とは、如来様のお光を意味している。(以下略)

 と、述べてくださっていました。
                            (住職) 

 
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沙羅の黄葉

2007年11月20日 | Weblog
 寺の裏庭に今年7年回になる前坊守が植えた沙羅の
樹があります。6月には沢山の白い花を咲かせてくれ
ました。今その沙羅の葉は黄葉真っ盛りです。
 千利休のお墓のある京紫野大徳寺の聚光院の庭は
一本の沙羅の樹と苔と云う極めてシンプルな庭ですが、
非常に印象的です。利休居士の侘びの心を追慕して作庭
されたものなのでしょうか・・・、沙羅の黄葉はなんと
も寂々しい風景をかもしています。
 恐らく聚光院の沙羅も今黄葉していることでしょう。
                    (住職)
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お供え

2007年11月15日 | Weblog
 先日、10日に営みました遷座法要、報恩講のお荘厳(お供え)です。
須弥壇や上卓、前卓など修復を致しましたので、それをお披露目と云う
ことから打敷類はあまり使用しないようにしました。お供物類も準備の
時間に余裕がなくて控えめになってしまい申し訳ないことでした。
次の法要からは従来のお荘厳に致す所存です。(住職)
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大輪菊

2007年11月11日 | Weblog
昨日、大阪より阪本尚樹先生(本願寺布教研究専従員)をご出講
いただいて遷座法要と報恩講法座をいとなみました。有難く尊い
ご縁でした。
 野々江と浦戸地区のお世話でおいしい「おとき」をいただくこ
こともできました。
 向拝と玄関には大内博三さんの端正こめて仕立てられた大菊、
懸崖菊、盆栽菊など10数鉢がお供えされてお参りの方々の目を
楽しませてくれました。毎年本当に有難うございます。
 多くの皆さんのお陰により報恩講法座が再開されたことを有難
く感謝申し上げます。
   一々のはなのなかよりは
   三十六百千億の
   光明てらしてほがらかに
   いたらぬところはさらになし (親鸞聖人和讃)
                          (住職)    
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新本堂での初晨朝勤行(じんちょうごんぎょう)

2007年11月09日 | Weblog
 昨日、京都の古田仏具製作所が来山して最後の仏具
セッテイングをして下さり、ご本尊さまを所定の位置
にご安置下さった。1年8ヶ月振りに須弥壇上へお立
ちになられたのである。何とも云いようのない感慨が
込み上げて来ます。
 今朝は7時より新本堂での最初の朝事をお勤めいた
しました。初めての勤行と云う感動と、以前にもこの
ブログにも述べましたこの本堂の音響、声明をお唱え
してどのような響きと音色があるかと云う期待感を秘
かに抱いていました。
 黒衣、五條で祖師前第1席に座して、沙張を打ちま
した。先ず、先請伽陀(ぜんしょうかだ)、次、正信
偈行譜、次、讃仏偈、
 ありったけの声をだしたり、声に強弱を故意につけ
てみたり、堂内の響きを試してみました。
 私の感じでは非常に出音、発声が楽で、響きもいい
感じです。果して第三者がどのように申されますか?
 
 明日は午前10時遷座法要、午後1時報恩講法座を
営みます。まだ境内整備の最中でがたがたで足下が悪
いのですが近在の方はどうぞお参り下さい。(住職)  
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宮殿師(くうでんし)

2007年11月08日 | Weblog
 画像は何か解り難いと思いますが、修復なった当山宮殿の屋根裏に
書かれていた落書きです。この度須弥壇・宮殿の修復に当たってくだ
さった京都の古田仏具製作所の若社長さんが「こんなのがありました
さかいデジカメに撮っておきました」と下さった。
 判読してみると、
   「京都市下京区醒ヶ井通魚棚
      宮殿師
       米澤政次郎
    大正十年十二月
      新調        」
と読めました。聞けば記録の地名は本願寺の北、東急ホテルの前辺りに
工房があったそうですが、堀川通りの道路拡張により現在は九条の方へ
移転されて宮殿の製作をされています。今の米澤はんは孫ぐらいになら
はると思います。60才くらいの方です、とのこと。
 宮殿屋根も塞がれましたから、再び目に触れるのは100年以上も先
きのことになるでしょう。貴重な資料のご提供をいただきました。(住職)
   
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富田林寺内町

2007年11月06日 | Weblog
 先日、聖跡巡拝で富田林の寺内町に参りました。
一般に寺内町(じないまち)とは、真宗の寺院を中心に
堀や土塁などで防御した町を云うようです。
 この富田林の寺内町もその中核に興正寺別院が
あります。
 またその町並みには女流歌人の石上露子の生家があります。
現在は旧杉山家住宅として重要文化財に指定されていまして、見
学することができます。
 写真はそのお座敷に掲げられてあった額で、山岡鐵舟の筆に
よるものとのこと・・・・、幼少の頃から何と書かれているの
かわからずながらも慣れ親しんできた万福寺の山号額と筆跡が
一致するようでなるほどと感じました。 京都、恵真
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