万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

1月30日朝

2015年01月31日 | Weblog

                 

1月30日朝は大三島も積雪がありました。全国の大方の地域が雪が降り積もったようで交通機関は大混乱であったようです。しまなみ海道は混乱はなかったようです。 

        

 雪の降る中にエンジ色のバラの蕾が凜とした容姿を見せていました。

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花をのみまつらん人に

2015年01月17日 | Weblog

                     

        (画像をクリックしてください)

 この画像は1曲仕立ての屏風で、今は亡き國貞馨竹(富喜子)先生の晩年の書で、このように仕立てて贈られて来た作品で最後のものとなりました。

  花をのみまつらん人に 山さとの雪まの草の はるをみせばや   

 この歌は百人一首にも撰ばれている平安時代末期の歌人藤原家隆の歌ですが、雪間に早春の息吹が見えていると云う鋭くも穏やかな感性があふれている歌で、後に出られたあの千利休がこの歌の心を絶賛されています。太陰暦の正月を過ぎた頃の季節かと思います。

 

          

  今年は寒さもいつもより厳しいものがありますが、どうしたことか早くも胡蝶わび助が咲き始めています。いつもは2月終わり頃だと思いますが・・・・、  「胡蝶わび助」の元の木は京都大徳寺総見院の庭にあります。この総見院は太閤秀吉が主君織田信長を追慕して建立した塔頭でその庭に植えられた「胡蝶わび助」が元の木だと云われています。「侘助」の呼称もこの椿が本来呼ばれていたとのことです。この椿が椿の中で一番小さな椿になるのではないかと思います。

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ご正忌報恩講終わる

2015年01月17日 | Weblog

          

    13日夜席に「ご伝鈔」上巻の一部分、14日朝席に下巻のご往生の段を拝読いたしました。

京都ご本山では9日より16日日中座までの8日にわたってご正忌報恩講がおつとまりになられ、昨日が満座でありました。万福寺では今年は13・14の2日にわたっておつとめいたしました。寒さの厳しい中をようこそお参り下さいました。

          

 ご講師さん岡山の山下瑞円先生がお出で下さり、力強くお取り次ぎいただきました。        ご讃題に総序のご文「ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃(せいばん)・月支(げっし)の聖典、東夏(とうか)・日域(じちいき)の師釈に、遇ひがたっくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証(きょうぎょうしょう)を敬信(きょうしん)して、如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもって聞くところを慶び、獲(う)るところを嘆ずるなりと」を引かれ、聖人の絶対他力のお念仏の受け取られ方を踏まえてのお取り次ぎで有難く聴聞させていただきました。

 

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親鸞聖人ご正忌法座

2015年01月10日 | Weblog

           

    今年のご正忌報恩講のお花を生けることが出来ました。葉ボタンなどお供え下さり助かりました。有難うございます。

 

 明日1月13日昼席(1時始め)より14日朝席までの3座、宗祖親鸞聖人ご正忌日法座を営みます。寒中寒さ厳しい中ではありますが、繰り合わせてご参詣下さいますようお願い申し上げます。

 ご講師は岡山県高梁市成羽町浄福寺副住職山下円瑞先生です。円瑞先生はお馴染みの義円先生のご子息で今回が2回目のご縁となります。

 ご満座は13日朝席、“おとき”があります。

 

           

ご本尊様へのお供物      右余間には七高僧御絵像と聖徳太子様絵像を並べてお掛けして左余間壇には聖人の四幅のご絵伝をお掛けするのがご正忌法座の仕来りです。

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平成27年法語カレンダー

2015年01月03日 | Weblog

              

 

 昨年の法語カレンダーの12月は板東性純先生のお言葉「永遠のの拠り所を与えてくださるのが、南無阿弥陀仏の生活である」と掲げられていましたが、本年のカレンダーの表紙にも板東性純先生のお言葉が挙げられています。このお言葉は12月の「南無阿弥陀仏の生活」を詳しく示すかたちでこのお言葉が選ばれたのであろうと思います。

 私どもがいつも「南無阿弥陀仏」のお念仏を口にお称えさせていただいているその「南無阿弥陀仏」は「智慧と慈悲のはたらき」そのものなのですと述べていて下さいます。親鸞聖人がお正信偈の冒頭に掲げられた二句のご文、「帰命無量寿如来、南無不可思議」は聖人が「南無阿弥陀仏」のお念仏を意味の上、おはたらきの上から述べられている二句について「法蔵菩薩因位時」から最後の「唯可信斯高僧説」までおいわれをお説き下さってあるのです。冒頭の二句は無量無辺の智慧と慈悲(いのち)のはたらきが「南無阿弥陀仏」のお念仏であることを申されているのです。聖人は「歎異抄」の中に「よろずのことみなもってそらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」と申されていますように、日々の憂悲苦悩の逆巻く中で「智慧・慈悲のはたらき」に帰趨されて行かれ、私どもに「正信偈」としてまとめ伝えて下さったのです。そのことを板東先生は味わい申して下さったのです。

 若院の「絵ものがたり正信偈」には次のように意訳しています。

  はてしない過去からわたしをつつむいのち  はてしない未来までわたしを照らすひかり   

 

 

                                       

 1月の法語には香樹院徳龍師のお言葉が上げられています。

  称えるままが つねにご本願の みこころを 聞くことになる

 いろんなご縁にもうようされてお念仏を申させていただくままが、そのまま如来さまのご本願(おやごころ)が呼び声として耳に聞こえて来ます、と徳龍師は申されました。

 香樹院徳龍師は安永元年(1772)から安政5年(1858)にかけての方で、越後北蒲浦郡の大谷派無為信寺の学僧でした。その語録は多くの人の指南書となって来ました。近世では宗教詩人木村無相さんによって徳龍師の法語についての詩篇が多く残されています。その1篇をご紹介しておきます。                                             

本願の不思議    香師(香樹院徳龍師)おおせに  “聞くばかりで  仏になることに  ウタガイはるるは  本願の不思議なり” 

本願の不思議  本願の不思議  ナムアミダブツ  不思議なり

ナムアミダブツ  ナムアミダブツ  ナムアミダブツ  アムアミダブツ  (続々 念仏詩抄より)

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