万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

花木宏直さんのこと

2011年02月27日 | Weblog
                  

 平成16年の秋からだった記憶しておりますが、筑波大学の歴史・人類学などを専攻する大学、修士等の学生約40人が指導教

授とともに大三島南部(旧岡山村)の社会、歴史、習俗などの調査研究のために1週間滞在されてそれぞれのテーマのもとに調査

や古老への訪問聞き取り作業が熱心に行われたことがあります。

 その後、何人もの人がそのテーマの研究を続けられ何年にもわたって何度も何度も足を運んで来られて調査を続けられ、大学か

ら修士、博士課程へと進学されています。

そのお一人に花木宏直さんと云われる学究の徒がおられます。筑波から大三島へ何度来られたでしょうか、拙寺へも熱心に通って

来られました。彼のテーマはこの大三島南部(旧岡山村)から大正期から昭和20年の終戦まで多くの人がフイリッピンのマニラ

へ移住し事業を興し活躍していたことに着目されて「近代瀬戸内地域における海外移民排出の歴史地理学研究」と云う修士論文を

纏められました。昨年その論文を冊子とされて贈ってこられたのです。

 実に綿密に広範囲に当時の資料に当たられて戦争前の旧岡山村の状況を詳しく論考を加えておられことに目を見張りました。今

まで私が見たこともない、考えもしなかった当時の海外への渡航記録が外務省には保存されているのだと云うことなど驚くような

資料・史料に当たっておられるのです。随分と認識を新たにしたことです。

 恐らくこのようなテーマでこの地域の調査研究は前にも後にももうないことでありましょう。そう云った意味でも花木さんの論

文は有難く、貴重です。拙寺の書庫に永久保存させて頂く所存です。

 関心をおもちの方はご閲覧ください。 花木さんの論文は昨秋に頂いていたのですがご紹介が遅くなって申し訳ありません。

             
               桃源白椿

              
               高台寺椿

 
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紅満作(べにまんさく)

2011年02月23日 | Weblog
                         
                          紅満作

                         
                          黄満作


 黄金色の満作の開花、余り目立たないように紅満作も咲いていました。黄満作は春光に黄金色が一層輝いて見えました。紅満作

はその隣で静かに少し小振りに咲いています。それはそれで魅力的で存在感があります。両方咲いていよいよ春!


  先日、木村大治さんから近著「括弧の意味論」と題された著書をご恵贈いただきました。先に頂きました「共在感覚」に続く

ご論考で実にグローバルな思索を進めておられることに敬意の念をいだきます。

 日常の新聞、雑誌など様々な文章表現に見られる「括弧」(かっこ)を取り上げられて論考を加え、そこから人間社会の無意

識の内に行っている思考的行動と云うようなことなどを考えさせられます。これからの人間社会を考える視点が新たに与えられた

ような思いがしております。まだ完読はしておりませんが・・・・・。有難うございました。
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胡蝶侘助(こちょうわびすけ)

2011年02月22日 | Weblog
                  


 境内の「胡蝶侘助」椿が一輪、二輪と咲いています。

 侘助椿と呼ばれて来たのは最初はこの「胡蝶侘助」を指していました。何年か前に京都紫野大徳寺へ参じる機会があった時、折

良く塔頭総見院の拝観ができて庭の中央部に豊臣秀吉が主君織田信長公に手向け植えた「胡蝶侘助」に見えることができました。

相当高く繁茂していたとのことですが、今は大風のために途中から折れて低くなっています。ですが残された幹は相当に大きいも

のでこの「胡蝶侘助」が一番古いものではないかとのことです。

 この胡蝶侘助が侘助と呼ばれている椿の中で一番小さい花であろうと思います。所謂侘助咲きをした花長は1.5~2㌢くらいしか

ありません。他の侘助椿もみな小振りな椿なのですがそれでも2.5~3.5㌢くらいはあります。小さく目立たないようにひっそりと

咲いている様を奥深い山辺の侘家につつましく生きている人になぞらえて「侘助」と呼ぶようになったと云う説と秀吉の朝鮮出兵

の折、侘助と字されていた将兵が朝鮮から持ち帰った椿だから「侘助」と呼ばれるようになったと云う説があります。

 今日侘助と呼ばれている椿は沢山あります。万福寺の境内や庭でも10数種あります。これらは一様に小振りで筒咲きと云う特

徴を持っていて静謐感があり、控えめと云う品が感じられます。ですから「侘助」の由来は「わびた椿」から来ているのではない

かと思っています。
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紅侘助と加賀侘助

2011年02月21日 | Weblog
               
                紅侘助

                             
                              加賀侘助 

 鉢植えの「紅侘助」と「加賀侘助」が咲いていました。一見すると両方とも同じような色合いと形をしていますから同じ花では

ないかと見間違えそうですが、よくよく比べると全てにおいて相違しています。「加賀侘助」の方が花も葉っぱ少し大きく、「紅

侘助」の色合いは少し濃いくて所謂「うすくれない」色をしています。「加賀侘助」の色調は綺麗な「うすももいろ」と云うべき

でしょうか。両者とも筒咲きですが「紅侘助」の筒はきれいなホーン状をしています。

 椿の花が山に野に庭に盛んに咲き始めています。椿の早いものは晩秋から咲きますが、大方の種は今頃から咲きます。まさしく

「春の木」、春を謳歌する花と云えます。ところで「春」の字は国字(日本で作られたり、意味付けされた字)であるとのことで

す。中国では「椿」(ちん)の字はありますが別のものを意味していて、「つばき」を指すのは「山茶」であるとのことです(牧

野植物図鑑)
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ところミュージアム

2011年02月19日 | Weblog
              

 浦戸から宗方方面へ行く、所謂七曲がりの県道沿いの二番目の尾根沿いに「ところミュージアム」が設置され夕陽のきれいなミ

ュージアムとして静かな人気ですが、今また四番目の尾根を利用して世界的な建築家伊東豊雄氏設計による別館が建設中です。小

さいながらキラリと光るアートな建物が姿を現し始めました。時々刻々風景を変化させる海をバックにどのような景色になるのか

完成が楽しみです。

 建築現場の向こうに見える島は横島です。


  

 大河原の土手に早くも菜の花が咲きこぼれています。日中は春のような陽気になっています。あんなに寒さに震えていたのに春

の気は寸隙を逃さず入り込むようです。ですが3寒4温、まだまだ寒さは襲ってくるでしょうねェ。                     
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進水式

2011年02月19日 | Weblog
      


                                 


(画像をクリックすると大きくなります)


 2/19(土) 午前11時 浦戸の藤原造船所(藤原史宣社長)で進水式がありました。船名は「盛昭丸」と云い、船主は新

居浜の方と云うことです。

お祝いの餅まきの後、船台の止め具やとも綱が外されて勇壮なマーチの曲に乗って新船はスルスルと進水しました。くす玉が割ら

れて五色の紙吹雪とテープをたなびかせて見事海に浮かびました。人のいのちが生まれて来る時の心配そして無事に誕生した喜

び、それと同じような思いが交錯するものだと感じました。めでたしめでたし。
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寒あやめ

2011年02月16日 | Weblog
          

 昨年夏にいただいた「寒あやめ」、庭に植えておきましたら今日一茎咲いていました。厳しい寒波や降雪を受けながらも蕾を開

かせてくれました。

 寒ざくら、寒ぼたん、寒あやめ たくましき花たちです。
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涅槃会(ねはんえ)

2011年02月15日 | Weblog
  

2/15 午後1時より本堂で涅槃会(ねはんえ)を仏婦の例会を兼ねて行いました。

涅槃図を奉懸してお参りをして涅槃会のご法話させていただきました。

 お釈迦様とその弟子阿難尊者(あなんそんじゃ)を中心にお話を進めました。涅槃図では阿難尊者は頭北面西右脇と臥せられ入

涅槃されたお釈迦様の宝台前に悲しみの余り悶絶して横たわっています。その顔に迦葉尊者(かしょうそんじゃ)でしょうか、水

をその顔に垂らして気付かそうとしている様子。

 阿難尊者はお釈迦様の入涅槃の早いことを知り周章狼狽して「お釈迦様がおられなくなったらこの私は何を頼りに生きたらいい

のでしょうか?」と、真剣に尋ねる阿難尊者にお釈迦様は「自らを灯としなさい、法を灯とするのです。決して他のものをよりど

ころとしてはいけません」と、順々とお話になられました。

 しかし、お釈迦様入涅槃されると阿難尊者はたまらなくなり気を失ってしまわれたのです。25年にもわたりお釈迦様の侍者を

つとめ片時も離れることなくお世話をし、お釈迦様の説法のみ座に常に近習していた阿難尊者の心中はさもあらんと伺えます。

                  

 この天空から来迎のように降りてくる婦人の一団は何を示しているのか余り考えたことがなかったのですが、この図はお釈迦様

の生母摩耶(まーや)様であると解説書にありました。摩耶様はお釈迦様が誕生されて7日目に亡くなられました。継母となられ

たのは摩耶様の実妹マハープラジャパテイと云う方でした。摩耶様は天界の忉利天(とうりてん)に住されていましたがお釈迦様

の入涅槃をアヌルダ尊者から知らされて忉利天からクシナガラの沙羅林に下って来られる図示が描かれていることに何とも云えな

い人の体温を感ぜずにはおれません。

 比丘、比丘尼、在家信者も外護者の国王、そして菩薩や神々、禽獣にいたるまで一切が集まり名残つきぬ悲しみと偉大な指導者

の入涅槃を讃嘆する光景が描かれています。

 過去、現在、未来にわたって一切が漏れることなく「さとり」に一如として包まれ抱かれてあることをこの涅槃図は示して下さ

ってあることを有難く思念いたすことしきりです。
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2/14、こんこんと雪

2011年02月14日 | Weblog
 予報通り今朝から雪が降り続いています。牡丹雪がこんこんと降り続いて、少しづつ積雪されています。

 境内の親鸞聖人ブロンズ像の笠にも雪が被り始めています。

      

 咲き始めていた鉢植えの椿「絞笑顔」(しぼりえがお)も葉っぱを笠にして雪に耐えているように見えます。

               

 明日は2月15日、お釈迦様の「涅槃会」(ねはんえ)です。本堂に涅槃絵図をお懸けいたしました。 

 午後1時から涅槃会の集い(仏婦例会)を行います。お参りください。お釈迦様のお涅槃(ねはん)についてお話をさせていた

だきます。
      
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2/11 山は雪

2011年02月11日 | Weblog
                

 昨夜来雨が降っておりました。朝外に出て山をフト見ると冠雪しているのに驚きました。昨夜は全国的に降雪があったのでしょ

う。

旧正月を迎えた頃、昔はよく雪が積もっていました。20センチを超えるようなこともありました。今年は日本海側は未曾有の

大雪ですが大三島は雪がありませんでした。でもお山は今朝は雪でした。昨夜の雨はみぞれだったのかも知れません。

 画像の本堂の屋根の向こうに雪を頂いている山は薬師山です。
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