万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

落葉盛ん

2010年11月26日 | Weblog
 紅葉し黄葉し葉っぱは散り続けています。庭や境内を散り落ち葉の吹き寄せが彩ります。

写真は桜もみじの吹き寄せです。晩秋の桜葉も、また趣きがあります。

 前住三智の歌集に「銀杏」と題した一項があります。2、3首紹介してみます。

   枝はまだ雨をふくみて青き実のしずくと共に時々落ち来
   葉も混じりて実は落ちつつ黄に青に境内の地を色どりゆく
   黄に熟るる満枝をかざるいてう葉は地に落ち敷きてなお美しき
   境内は黄に色どりて埋めゆく掃くには惜しきいてうの落ち葉
   落ち葉敷く寺庭掃き居れば子供らの遊びを止めて共に帚とる
   空をつきて立つ木に点々と残れる木の葉今は少なし
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親鸞と道元

2010年11月19日 | Weblog
 11/5に『親鸞と道元』と題した作家の五木寛之さんと立松和平さんとの対談集が発行されました。立松和平さんは本年2月

に急逝され驚いたことでした。昨年までに両氏の対談は何回にもわたり今後もエンドレスに行われる予定であられたようですが、

和平さんの急逝で終わってしまい今回発行のタイトルに編集して単行本となったようです。

 鎌倉時代と云う日本の地盤が大きく変革した時代に個の救いについて厳しく求め続けられた両巨人についてグローバルな考えと

思いを熱っぽく語られて、内容は生々しくて各所に両氏の血涙が滲んでいるように感じられます。

この対談集の後書きの中で、五木さんはこの対談をこのように語っておられます。

 この一冊のなかでふれているように、親鸞と道元の立場は大きくちがう。それにもかかわらず、宗教の根本精神において両者は火花を散らせて交錯する一瞬がある。
 それは究極の救いと悟りを、人間と宇宙の深い闇を照らす光として直感している点である。親鸞は「無碍光」(むげこう)という。道元は「一顆明珠」(いっかみょうしゅ)という。両者は全宇宙と自己とが無限の光にみたされる瞬間を思い描くのだ。 

 ご一読をおすすめいたします。


 画像の紅葉は「錦木」(にしきぎ)の紅葉です。小さな葉っぱですが名前のようにしぶい紅葉です。錦木は枝にも特徴があって、枝の四方にコルク質の羽が付いています。それで「矢筈錦木」(やはずにしきぎ)とも呼ばれています。床の花材に使っても格好です。今年の紅葉は意外と綺麗であるとの声が聞かれます。 
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板屋楓(いたやかえで)の黄葉

2010年11月18日 | Weblog
 板屋楓は常磐楓(ときわかえで)とも蔦もみじとも呼ばれているとのことです。

夏にはその濃緑で団扇のようなしっかりした葉っぱは納涼感を呼びます。牧野先生の図鑑によりますと広い葉っぱが何枚も重なっ

ている様が板葺きの屋根のようなことから「板屋」とよばれるようになったと記述されています。

 今、朝毎に黄葉が進んでおります。黄色に黄葉するのですが、その中に血痕のような濃赤の斑が出る葉っぱがあります。

面白い現象だと思っています。黄葉して散らずに枝から離れないままガラガラに枯れたまま来年の新芽がでるまで散らないので常

磐楓とも呼ばれているのでしょう。枯れた葉っぱが散らないのは少し見難い点ですが・・・・。
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沙羅の紅葉

2010年11月15日 | Weblog
 野山や庭の色が秋の装いになって参りました。もみじやうるし、いちょうはまだ少ししか紅葉していませんが、かえでやけや

き、なつつばきなどは今黄葉真っ盛りです。セピア色の野山の風景が一寸沈んだ思いにひたらせます。

 画像は沙羅(ナツツバキ)の黄葉です。接近して見ると新たな感動が起こります。
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神曲(寒蘭)

2010年11月14日 | Weblog
昨年頂いた9鉢の寒蘭で昨年花が見られなかった「神曲」とラベルされた鉢に今年は3本の花茎が伸びて2、3日前より開き始

めました。芳香も漂っています。

 「神曲」の解説文を読みますと「花は白黄色の三角咲きの大輪で、黄みの薄い白金鵄と呼ばれるものの中の代表的な名花です」

とあります。高知産の名花の一つであることが知られました。気品高い花であると感じます。

 「神曲」の名の由来は記されていませんが、ダンテの「神曲」からなのか・・・・。私は阿修羅の音曲を連想いたしました。阿

修羅の音曲がどのようなものかは知りませんが・・・・、ただそのような思いがしただけのことです。
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旅ゆくしんらん

2010年11月11日 | Weblog
会場のメッセ香川にバスは10時過ぎに到着いたしました。広い駐車場が付属していてゆったり感があります。

当初2,500名くらいの参加者を想定していたとのことですが、4,00名近い参加で大イベントとなりました。

 11時からご門主さま、お裏方ご臨席されてお待受け法要が始まりました。勤行は聖人ご撰述のご和讃が中心に構成されている

「宗祖讃仰作法」(しゅうそさんごうさほう)がお勤めされました。

 午後からは和光保育園児による「和太鼓」演奏と「旅ゆくしんらん」の合唱。記念講演は中西智海先生に依る「いま かがやく

いのち」 最後に歌手森 昌子さんの「ふるさとコンサート」と盛りだくさんのプログラムでした。一つ一つ心ににしみる、また

啓蒙される内容でしたが、中でも園児たちによる「旅ゆく親鸞」の熱唱は眠っている心底を揺りおこし、揺り覚ますような迫力、

そして清々しさがありました。この讃歌は今までに何度も耳にしましたし、何度も歌ったことがありますがこの度ほど感動を覚え

たことはありません。「旅行くしんらん」の歌詞を掲載しておきます。味わってみてください。750回大遠忌を何よりも実感で

きる内容だと思います。
    
 1、白い小径(みち)が ありました
   ひとり旅路を 急ぐのは
   しんらんさまで ありました
   遠い旅ゆく ひとでした
 2、暗い夜道で ありました
   ひかりかかげて 進むのは
   しんらんさまで ありました
   あたりを照らす 人でした
 3、吹雪の道で ありました
   西へ西へと かえるのは
   しんらんさまで ありました
   くろい衣の 人でした
 4、けわしい坂で ありました
   わきめもふらず 登るのは
   しんらんさまで ありました
   超えては越えて 往きました
 5、長い旅路の 果てでした
   南無阿弥陀仏と 目をとじた
   しんらんさまで ありました
   夕陽のような 人でした

 園児たちは歌詞全部暗記して大きく口を開けて歌ってくれました。ありがとう、 
 画像は同じ園児たちの「和太鼓」演奏風景、

 法要にお参りした人たちの俳句
   晩秋の薄陽に浮きし讃岐富士  明慧
   冬日和り四千人の大遠忌    篤子

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お待ち受け法要

2010年11月09日 | Weblog
 明11月10日御前11時より高松のサンメッセ香川を会場に四国地区の親鸞聖人750回大遠忌のお待ち受け法要と記念行事

がご門主様ご臨席のもと開催されます。

 記念講演は勧学中西智海先生、記念行事の「ふるさとコンサート」に歌手の森 昌子さんが歌とトークで出演されます。

当山からも参加することになっていて、早朝7時出発の予定です。
 
別に若院はこの法要には讃嘆衆(雅楽)で参席と云うことで今日正午前に出発いたしました。

 ご講師の中西智海先生は今から32年前の昭和53年6月開催の万福寺仏教婦人会の講師としてご出講いただきました。大阪の

相愛女子大教授にあられる頃でした。随分と時が流れ、今も変わらずご法耕頂いていることを有難く感じ入ります。
 
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野紺菊(のこんぎく)

2010年11月05日 | Weblog
庭の片辺に野紺菊が枝垂れて咲いています。小菊よりも小さな菊ですが薄紺色の色も咲き方もよく見ると驚く程にピシッと咲い

ています。しかし茎の立ち上がり、葉っぱの相状、花や咲きかけた蕾の姿には侘びの極みと云う美を感じます。胸がキューッと締

め付けられるような侘びた愁色と云うべきでしょう。
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絞西王母(しぼりせいおうぼ)

2010年11月05日 | Weblog
 早く咲く椿は西王母ですが、拙寺の西王母は夏に大切り剪定をしたためか今年は蕾が少ないようでまだ咲きません。

 先日宗方の村上俊山さん宅(水軍窯)へお参りすると西王母が一輪挿してありました。今年の第一花である由、やはりゾクッと

する妖艶さがありました。花との出逢いも嬉しいものです。

 今治の藤原さんから頂いた数々の椿鉢の中に「絞西王母」とラベルが付けられた椿が昨日咲き始めていました。初めて咲くので、

私としては初めて見る椿なのです。花姿は西王母と同じですが花弁に紅色の絞ったような斑が入っています。ゴージャスな珍花だ

と感じおります。
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11月のカレンダー法語

2010年11月01日 | Weblog
 本年も残り二ヶ月となりました。暑い暑いとグッタリなっていると突然寒波に見舞われて冬の気候となってビックリしたら、本

年も後二ヶ月しかなくなっていました。

 11月の法語は親鸞聖人のご撰述になる『浄土文類聚鈔』(じょうどもんるいじゅしょう)巻頭のお言葉

    恩を報じ 徳を謝せよ

 と、掲げられています。

『浄土文類聚鈔』は聖人が大著『教行信証』を自らダイジェスト版として要点を撰述されたものなのですが、その冒頭のご文を

揚げておきます。『教行信証』の総序のご文を要略されたものと伺えますが、驚くことに言葉(語彙)を換えて述べられ、『教行

信証』と合わせて読むと一層広く深く受け取られるように思えます。

 それ無碍難思(むげなんじ)の光耀(こうよう)は、苦を滅し楽を証す。万行円備(まんぎょうえんび)の嘉号(かごう)は、障を消し疑を除く。末代の教行、もっぱらこれを修すべし。濁世の目足(もくそく。目となり足となること)、これを勤むべし。しかれば最勝(さいしょう)の弘誓(ぐぜい)を受行して、穢を捨て浄を欣(ねが)へ。如来の教勅を奉持(ぶじ)して、恩を報じ徳を謝せよ。 (「註釈版浄土真宗聖典」p477)

親鸞聖人が29才の折長い苦悶の末に法然聖人のもとでめぐりあうことが出来た本願名号のみ光によって照らし出された自己と

は自我の執着心に塗れた善悪を尺度する、「おさとり」をめざしながら「おさとり」とは遠くかけ離れた自己の発見でありまし

た。その私に遠い遠いいにしえより「あなたよ!あなたのいのちはお浄土へ帰るいのちなのだよ、私と一緒にお浄土へ帰ろう!」

と背を向け続けてきた私に涙し、呼び続けられて来たその本願名号にであいめざめられました。それは、何をしたらとか、どのよ

うになったらお浄土に行けるとかなどの条件、交換条件がまったくいらない次元であります。

 親鸞聖人が各種ご撰述の中で申される「報恩謝徳」のお心は救いの要因として申されているのでは決してありません。

 聖人の85才以降のご制作と云われています『正像末和讃』の最後にもっともよく口にされている「恩徳讃」が挿入されていま

す。『浄土和讃』118首、『高僧和讃』117首、そして『正像末和讃』58首の最後に「恩徳讃」が位置しているところに聖

人のお心が慕われます。

  如来大悲の恩徳は
  身を粉にしても報ずべし
  師衆知識の恩徳も
  骨をくだきても謝すべし

 『教行信証』の行巻末に挿入されています正信偈の前文に

 「しかれば大聖(釈尊)の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、「正信念仏偈」を作りていはく」

と、述べられています。(「註釈版聖典」p202)

 また、『浄土文類聚鈔』の「念仏正信偈」の前文はもっと具体的なご恩の世界が述べられています。

 「これによりて曇鸞菩薩の『註論』(上)を披閲するにのたまはく、〈それ菩薩は仏に帰す、孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならずゆゑあるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしくまづ啓すべし〉と。仏恩の深重なることを信知して、〈念仏正信偈〉を作りていはく。」  (「註釈版浄土真宗聖典」p484)

 本願他力の大慈大悲との不可思議な出遇いは報恩謝徳の称名念仏を起こさしめるはたらきが備わっていること・・・・南無

 徳力さんの版画図は「洛陽著述」とあります。奥の部屋で聖人が文机に向かわれて著述に専念しておられます。次の部屋の廊下に童女が一人淋しそうに座っています。この童女は聖人の末娘の「王御前」と呼ばれていた覚信尼さまであろうと思います。聖人は60数才、関東常陸国稲田より京に帰られ、五条西洞院に仮寓しておられた頃の様子だと思えます。その頃は内室恵信尼さまは越後に居住しておられました。

  
 

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