6月14日(土)庫裏で用意されたおむすびの昼食後、午後1時より仏婦法座を開催いたしました。開座の勤行は正信偈、過去2年間に亡くなられた物故会員5名の追弔法要として全員焼香をいたしました。
勤行後、「み仏に抱かれて」を全員で斉唱し、故人を偲びました。
ご講話は三原市大和町萩原 教専寺ご住職 福間義朝先生
いつもと変わらず軽妙なお話でなお且つ、重くて鋭いお味わいを語られ感動いたします。
寺報「赤光」(しゃっこう)に掲載されたご法話をまとめられたご本『赤光』をお持ち下さいました。この一冊に35篇のご法話がまとめられています。その最初のご法話「視点が変わること」をご紹介しておきます。
視点が変わること
人生において視点が変わることで、辛いことが一瞬にして有難いことにもなります。仏法とは病気が治ったり、急にお金が入ったりしていいことが起こる教えではなく、仏法を聞くことによって視点が変わり、今までの愚痴や瞋りが感謝や懺悔に転ぜらえてゆくことが仏法の働きです。
これはインターネットに載っていたいた話です。あるサラリーマンの人が投稿されておられました。ある日彼は会社の仕事で出向先までバスに乗ったど、バス一杯だったそうです。ぎゅうぎゅうのバスに乗ったら、中はすごい熱気で最悪の状態だったそうです。しかもバスの奥の方で赤ちゃんがぎゃーぎゃー泣いています。彼は何でこんなバスに乗ったのか、自分の運の悪さを嘆いたそうです。すると赤ちゃんの泣き声がだんだん大きくなりました。不愉快も限界だと思ったら、赤ちゃんを抱いたお母さんが人の中を近づいて来ていることに気づきました。お母さんはバスを降りようとしてこちらに来ていたのです。彼はやれやれ良かったと思いました。そしてバス停でお母さんを降りようとした時、運転手さんがお母さんに聞かれたそうです。「どこまで行きたいんですか?」と。するとお母さんは「大学病院まで行きたいのだけど、この子が泣いてみんなに迷惑をかけるので、ここで降りて歩いて行こうと思います」と答えました。「赤ちゃんがびょうきなんですか?」と聞くと「熱があってしんどいようなんです。風邪をひいたのだと思います」とお母さんが答えます。すると運転手さんはマイクを持ってみんなに云いました。「ここに風邪をひいて熱のある赤ちゃんとお母さんがいます。みんなに迷惑になるのでここで降りて歩こうとしています。大学病院まで停留所はあと三つです。みなさん、がまんしていただけませんか」。
一瞬乗客はシーンとなったそうです。その後何人かの人が拍手をしました。そしてその拍手はバス全体に広がり大拍手になりました。お母さんは赤ちゃんを抱いたまま泣き始めました。そのサラリーマンの方も目頭が熱くなったそうです。そしt思ったそうです。「自分は素晴らしいバスに乗れて良かった」と。その後赤ちゃんが泣いても人の熱気でムッとしても、むしろそれらが有難く感じられたそうです。
このバスの運転手が言われたことが仏法です。バスにのっている人は不愉快感でイライラしていたと思いますが、運転手さんの言葉で視点が変わりました。自分のイライラの思いが赤ちゃんの風邪へと向けられ、何とか赤ちゃんが大丈夫であるようにという思に転ぜられたました。みんなが他の
人のことを案ずる思いはとても素晴らしい雰囲気を作ってくれます。だからバスの中は最高の雰囲気になったのだと思います。
家庭でも職場でも今とても辛い環境にあっても、視点が変わったことによって相手に「有難う」と感謝することだって起こります。それがお仏壇に手を合わすことです。一日に一回は仏様の前で手を合わせることは、忙しい日々の流れから一瞬でも「おかげさま」と視点を変える時でもあります。
有難うございます。『赤光』を読んでみたい方はお知らせ下さい、お届けいたします。