万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

宗方の櫂伝馬イベント

2014年06月01日 | Weblog

                         


 本日、6月1日(日)午前10時より宗方いこいの家海岸で櫂伝馬を伝統のように漕ぐイベントがありました。10数年前から宗方に行われて来た「十七夜祭」は諸事情から宮浦での夏のイベント「鶴姫祭り」として櫂伝馬は行われるようになっていました。本年は“瀬戸内「しまのわ」2014”の一環で宗方地区の総力を結集して立ち上げられたイベントなのです。おつむや顔つきとは考えられないような太鼓の打ち込みとかけ声、そして櫂さばきに一瞬、遠き古を彷彿とさせるに十分な迫力を感じました。ベリーグッド!

            
 櫂伝馬に乗せる神輿は器用な方が竹だけを使用した模擬神輿。村上水軍が使った「小早」はかくあったかと想像できます。
 突如、ハラグライダーが飛来して来てビックリ、空からの取材なのでしょうか、

                        
                         いこいの家は古の宗方小学校の校舎を利用した宿泊施設で、風光明媚な三つ小島の浮かぶ側にあります。
           


当万福寺とこの櫂伝馬と少しだけ関係があったと云いますと誰も首をかしげることでしょう。でも明治時代の当山の住職釋断流師の日事記録にはその事が記述されています。
 それは明治38年旧暦6月19日のことでした。京都ご本山へお願いしておりました(現在もお内陣に奉懸しております)各ご絵像が出来上がって二人の寺総代さんが京都へお迎えに参り、宗方まで14日にお帰えりになられました。19日の朝、宗方と口総の2艘のご座船に分けて奉安しそのご座船をそれぞれ3艘で、都合6艘の櫂伝馬が曳いて宗方から口総まで太鼓打ちながら漕いで迎えたとの記録が見えます。そのご座船の周りを百数十艘のお供船が取り囲むと云う壮大な海上絵巻が繰り広げられたことが知られます。土手にも多くの観衆が詰めかけ、宗方・口総始まって以来の盛事であったと伝えています。その頃には口総にも櫂伝馬の祭りが伝えられていたようです。このような面白い発案は宗方の旭屋総代、口総の万城屋総代などに依っているのだろうと想像します。
 その時の櫂の漕ぎ手は全て20代前半の若者達であったのですから、時代の激しい変わり方には甚だしいものを感じます。
 

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1 コメント

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Unknown (宗方子)
2015-08-15 21:35:56
今日の様子のお写真を探しておりましたら、こちらのブログに行き当たりました。
宗方のお祭りお写真をステキに撮っていただいてありがとうございます。(^^)
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