万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

4月の法語

2013年03月31日 | Weblog
                         


 4月の法語は京都府立大学教授であられた西元宗助(にしもとそうすけ)先生のお言葉です。

 念仏もうすところに
     立ち上がっていく力が
      あたえられる

 西元先生のお生まれは鹿児島、薩摩藩が徳川300年の間念仏を禁制とした中でお念仏の教えを明治9年の解禁まで密かに伝え

続けられた念仏者のお家にお生まれでその訓育があられました。しかし、真剣に聞法生活に入られたのは京都大学在学中に仏教青

年会主催の講演会で自照社の足利淨円先生の講話を聞かれてからだとお話になっておられました。

 その後先生は教育学の権威として京都府立大の教授を勤められ後進を導かれましたが、何よりも自照舎同人として自信教人信の

道に身を挺して行かれたことは有難く、感謝しきれません。その頃の自照舎には足利淨円先生を中心に白井成允、井上善右ヱ門、

佐々木徹真、甲斐和里子、小林信子、今田彰夫先生など。また金子大栄、玉置康四郎、福島政雄、花田正夫、池山栄吉、榊原徳草

先生など俊哲で篤信な諸先生が集うておられたのが昭和20年~50年頃の自照舎でした。

 拙寺の仏教婦人会にも昭和56年、57年と2度ご出講いただいておりますが、その折り、10代で自死されたご長男澄(すむ

る)さんのことをお話になられました。2月の法語の史明(コウサミヨン)さんも12才のご長男を自死で失われましたが、西

元先生がお話になられた中に、ある講演会の折、(コウ)さんと二人で講師をつとめたことがあられたそうです。その夜の宿舎

で(コウ)さんと東の空が白むまで語り明かしたことがありますと、お話になられました。・・・・父親として同じ悲しみと辛

さを持つ者同士・・・同じお念仏を思念する者同士、、、、涙、涙と称名の一夜であられたに違いありません。

 先生のご著書『宿業の大地に立ちて』に亡くなられた愛児澄(すむる)さんのことを次のように記しておられます。

  このたびほど、人さまの情けの身にしみたことはございません。そして、わが身の宿業を想わしめられたこともありません。
 それにつけても、いよいよ「そくばくの業をもちける身にてありけるを」の感が切実であります。
  ある先生は仰せでありました。澄くんは捨身菩薩であったのではないないかと。私ども夫婦は、このお言葉に深くうなずきま す。
  また、あるとこで澄の晩年を最もよく知り給う先生は、雪山童子(せっせんどうじ)のごとくにあったと。
  ともかく、澄は仏となって、南無阿弥陀仏となって生きております。皆さま、まことにありがとうございました。わたしはお 陰で、南無阿弥陀仏と生きていくと、あらたに念じていることであります。なにもかもが、初心にかえっての出発、ーーー根源 にかえっての発心であることが思わしめられております。(五たい夜の夕)

 このお言葉に4月のカレンダー法語の西元先生の申される内容、意味するところであると思います。


                   

 これは西元先生が拙寺へご出講頂いた時、講師録にご記帳下さったものです。東大阪の在野の宗教詩人榎本榮一さんの「ぞうきん」の詩の一節をお書き下さっています。


 この西元先生の法語をまとめながら、もう10数年も前にご往生になられた先生のことを懐かしく懐かしみ思わず涙を禁じ得ません。先生から頂いたご著書や雑誌「自照」、「慈光」など書庫より取り出しパラパラと拝読しております。
 
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椿 一休

2013年03月29日 | Weblog
                       
                         椿 一休

 一休と名付けられている白椿が咲き始めました。今年は木が充実して来たせいか蕾が沢山ついています。それに寒気が残ってい

るせいでしょう、純白な花片がより純白に感じられます。少し長めの筒咲きの形状はきわめて希有だと思っています。

 何故この椿が一休と呼ばれるようになったのかは知りませんが、清楚で気品ある一品です。もしかしたら一休禅師を慕った盲目

の美女「森女」にかかわっているのかも知れないと思ったりしています。

 拙寺の白椿の中で一番最後に咲く白椿と云えましょう。



    
紺侘助            尾張侘助       鶴姫(大三島の椿)

                
            石鎚             卜半(ぼくはん)      王冠
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大三島美術館で襖絵展覧

2013年03月28日 | Weblog
                     




                     


明日から当山本堂の襖絵ーー中島千波画伯筆の桜絵ーーが大三島美術館で展覧の為に寺を離れます。4月6日(土)から6月

30にちまでの約3ヶ月間美術館へ貸し出し展覧されます。ですから、襖絵鑑賞の方は大三島美術館をお訪ね下さい。4枚の襖絵

が初めて1枚の絵としてご鑑賞いただけます。

 4月27日午前10時より東京より中島千波画伯がご来館下さりトークタイムがあります。是非お越し下さいませ。

 本堂は少し淋しくなりますがご勘弁下さい。
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東国三つ葉つつじ

2013年03月27日 | Weblog
      

                                   


昨日アップしました馬酔木もつつじ科の花なのですが、いわゆる躑躅(つつじ)の拙寺の花では東

国三つ葉つつじが真っ最初に咲きます。まっすぐ上に向かって蕾を向ける様は好感度が高いと云え

ます。
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辛夷(こぶし)が満開

2013年03月27日 | Weblog







 数日前に開き始めたと思った辛夷の花は、もう満開、直ぐに散り始めてしまいます。花のいのち

は短くて・・・・・・、名残惜しくも来年まで見れません、
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馬酔木(あせび)の花

2013年03月26日 | Weblog
            
              馬酔木の花
                                
                                 馬酔木の若芽


 宗方の菅 富二男さんからいただいた馬酔木に花が咲いていました。赤い若芽を伸ばしながら白

い花が鈴なりの房状に咲いています。富二男さんの園芸趣味は尋常ではありません。花木を種を採

取しては育成しておられます。寺へも何種類も花木をいただいています。

 馬酔木(あせび)はつつじ科に属している植物ですが、毒性の強い植物で馬が食べると酔ったよ

うに足がなえることから足癈(あしじひ)と呼ばれ、あしびが変化してあせびとなったと云うこと

です。そのようなことから馬酔木の漢字表記も成るほどと理解できました。草食動物はこの馬酔木

の葉っぱは避けて食べるそうで、奈良公園の鹿はこの馬酔木を食べない為に馬酔木が異常に繁茂す

るのだとのことです。

馬酔木の葉っぱを煎じて、その煎じ汁は殺虫液として使われてきたのだそうです。でも葉っぱも

花も清楚でおとなしい容姿をしていて万葉の昔からよく歌にも歌われて来ました。

 
 
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春季彼岸法座を終えて

2013年03月24日 | Weblog
                 

                                       

 昨日23日朝の法席で春彼岸会(ひがんえ)を終えました。まだ肌寒さを感じるような日々でしたが、春の花々が咲く中に佳い

ご法縁でした。

 ご講師の渡邊先生は、ご本願を聞かしていただく一つで迷いから救いへの道が明らかになっていくことを力強くお話下さいまし

た。有難く聴聞させていただきました。迷いに迷いを繰り返しどうしようもない苦しみの中に居る私どもはお聞かせ頂く他に道は

ありません。

 仏婦役員の方々にお世話いただきました、恒例となった「おとき」のさぬきうどん、大変美味しくいただきました。今治山路の

「がんばてい」さん特製の手打ちうどん、お出汁も特製です。いつもありがとうございます。

 午後からは定例の世話人会を開催、お世話人さん方にはご多用の中をご出席、ご協議くださり有難うございました。いつもお骨

折り下さり有難うございます。今後共宜しくお願いいたします。


 境内や寺庭に次々と椿が咲いています。

                  
  

 
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辛夷(こぶし)の花咲く

2013年03月21日 | Weblog
               

                                                     



 今年は寒さの長い冬でしたのに桜の開花情報が早いようです。もう春と思っておりましたら、北海道は猛吹雪で大変です。瀬戸

内でも今日あたりは肌寒さが感じられます。三歩進んで二歩退くと云う状況のようです。油断出来ません。

 庭の花を挿し花にと庭を探索していて辛夷の花が咲き始めているのが見えました。辛夷は枝も花も雅味があります。

 越後(新潟)の中頸城郡板倉町と云う所に「こぶしの里」と呼ばれている史跡があって、若い頃に何度か訪ねたことがありま

す。

 中頸城郡辺りは親鸞聖人のご内室「恵信尼」(えしんに)さまと関係の深い土地でありました。親鸞聖人のご家族が聖人60数

才の頃、20数年住まいされた常陸国稲田より京都へ帰られることになりました。その折、親鸞聖人は後継者とされていた善鸞さ

まと末娘の覚信尼さまをお連れになられて京都へ、恵信尼さまは他の4人のお子さまをお連れになられて越後へと向かわれたので

した。これは越後には恵信尼さまの生家三善家(九条家の代官)を頼られたのでしょう。このようなことからも、聖人の京都へ帰

られた目的は師法然上人よりお聞かせにあずかった浄土のみ教えをより完全な著作としておかなければならないと云う堅い決意と

使命感からであったと覗えます。事実、聖人のそれから90才でご往生になられるまでの約30年間は筆をもたれない日はなかっ

たであろうと思われるほど執筆に専念されています。


 聖人が弘長2年、ご往生になられた後、覚信尼さまと越後の恵信尼さまとの間にお手紙が交わし続けられています。その恵信尼さ

まのお手紙が「恵信尼文書」として11通、本願寺に現存しております。そのお手紙の中に、「七尺の寿塔を建てる」ことや差し出し地

名「とひたのまき」などから綿密な考証が続けられた結果、板倉町のとある田圃のあぜ道に同寸法の鎌倉期の五輪があり、その辺

りが「比丘尼田」(びくにでん)と呼ばれて来たこと。五輪の側に一本の「辛夷」(こぶし)の古木があることなどから、この地

が恵信尼さまのお住まいの跡であろうと考証されたのでした。この「とひたのまき」の考証、調査を弛まずされた最初の人は板倉

町の郷土史家宮腰幸(みやこしみゆき)氏でした。40年位前、ここを訪ねた時この宮腰氏にお会いしお話を伺ったことでした。

もう何年も前に故人となっておられるに違いないのですが、甚々の敬意を表します。

今日その地は整備され、五輪塔を中心に礼拝施設、駐車場も設けられ、ゆかりの「辛夷」がいっぱい植えられて「こぶしの里」、

恵信尼さまの旧跡地、終焉の地として顕彰されています。

 寺庭に「辛夷」が咲き始めると、まだまだ雪深いであろう越後の「とひたのまき」で御孫子の面倒を見ながら遠く京都に居られ

る御夫君親鸞聖人を支え続けられた恵信尼さまのことが偲ばれます。
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お彼岸法座

2013年03月21日 | Weblog
 3/22・23日に春季彼岸法座を営みます。

    22日は午後1時始め、夜席7時始め(野々江出張法座)。
    23日午前10時始め。正午よりおとき、さぬきうどんといなり寿司。
           午後0時45分より定例世話人会開催。

 春の花々が一斉に咲き始めました。どうかお誘い合わせてご参詣下さいませ。

 ご講師さんは広島市光乗寺尊住、渡邊幸司先生です。 



                      


                                          
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春蘭

2013年03月17日 | Weblog

中国春蘭        余胡蝶


 春蘭がそっと、咲いています。目立たない地味な色合いなのですが好ましい花です。地味な花にして香しき佳香を放っておりま

す。




                    

                大富貴          王氏素            翠蓋
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