万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

宝篋印塔と紫陽花

2007年06月29日 | Weblog
 四恩堂(納骨堂)横に今治市指定文化財になっている宝篋印塔があります。
この印塔は元口総の稚児の鼻海岸にあったものですが、明治の頃寺の境内に移築されたものです。この印塔の下から古備前の壺に納まった幼児のらしき骨片が出土し、それらの調査から室町前期のものと認定されました。そしてまた、「稚児の鼻」と呼ばれてきた地名を裏付けるものとなったのです。
 印塔の周囲に今紫陽花が色とりどりに咲いていていい感じです。 住職
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本堂天井が組込まれています

2007年06月25日 | Weblog
 本堂内に高く足場が組まれて、天井材の組込み施工が始まりました。岐阜の亀山建設の木工所で橋爪大工さんらによって切込まれて来た材料が5㍍近い頭上で次々と組込まれています。この組込みが終わると天井板が張られるわけですが、そうなると屋根裏の興味津々たる小屋組は見れなくなります。少なくとも向こう100年は人の目に晒されることはないでしょう。人の目にも触れず誉められもせず大きな大きな仕事をし続けて下さるのです。あなた達のことを私は不遜にも忘れてしまうかも知れませんがどうかお許し下さい。  住職
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沙羅 Ⅱ

2007年06月21日 | Weblog
 寺庭の2本の沙羅(夏椿)が次々と咲いて、次々と落花しております。梅雨とは云え降雨の日が少ないためか、花の輝きが少し乏しいように感じられます。
 画像の沙羅は前坊守がまだ元気であった頃、恋い焦がれるような思いで手に入れた苗でしたがもう植えてから20数年にもなります。大きくなったものです。
 鬱蒼とした樹木に蛍が飛光しているようにほんのりと咲いています。
 境内のもう一本は平成13年2月に本願寺のご門主様お立寄りの折の記念植樹の沙羅です。
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ペンタックス67

2007年06月15日 | Weblog
 先日の宗祖ご誕生法座にご参詣された川上サツカさん(今治市常盤町居住)が
「ご院家さん、以前云われていた主人のカメラのことですが、差し上げますからお使いください」と云って下さいました。
 サツカさんのご主人は今治の常盤町で小さなカメラ店を営んで居られたのですが平成12年に亡くなられ、昨年が7回会(かいえ)のご法事を勤められた。その折ご主人の昭忠(てるただ)さん愛用の数点のカメラの話になり、もし処分されるのなら寺で使わせて下さい、本堂や、法物類の記録に必要かもしれませんから、とお伝えしておいたところ、サツカさんが「主人のカメラをお寺で使って下さい、お車で来られることがあったらお寄りください」とのことであった。今日はデジタルカメラの時代になってフイルム仕様のカメラは徐々に製造が中止となってきました。ですがフイルム写真の深さには魅力が一杯あります。
 先日車で頂きに行ってきました。アサヒペンタックスの67版カメラと交換レンズ3本が付いているのです。電池が外されていますから、まだシャッターは切れないのですが手に持ち構えるだけで充実感が一杯涌いてくるカメラです。世界一大きな1眼レフカメラはやはり凄いです。
 このカメラで寺の建物や法物類をフイルムに残しておこうと思います。
 故川上昭忠さん、サツカさんに甚深の感謝を申しあげます。  住職
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沙羅の咲き初め

2007年06月11日 | Weblog
9日朝、夜來の雷雨に濡れながら沙羅の花(夏椿)が咲いていました。今年最初の花です。
姫沙羅は数日前から咲いておりましたが、沙羅は初てです。雨に濡れて繭のような花びらが輝いていました。沢山の蕾をつけていますからこれから毎日咲いてくれることでしょう。
 ご観覧にお越しください。今月中は見ることができると思います。 住職
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6月の法座

2007年06月10日 | Weblog
 昨日、一寸遅いのですが親鸞聖人ご誕生法座と仏教婦人会法座を併せて営みました。例年ですと5月6月と行うのですが本堂改築中のため仮本堂で行うので併修と致しました。それでも100名を超える方々のご参詣があり有難いことでした。
 ご講師の山下先生の軽妙かつ現代の抱えた心の病巣に鋭く切り込んだお話に目の鱗が落ちるような一同感動し味わいを深めさせて頂きました。有難うございました。
 恒例の親鸞聖人ご誕生の祝宴には仏婦有志による讃仏歌の合唱、96歳にになられた脇岡カズコさんの舞踊、次々とカラオケが歌われたりで楽しい一時を過ごしました。来年は新本堂で新しい企画も考えようと思っています。
 8日の夜半から9日朝にかけての激しい雷雨には驚かされましたが、恵の雨を頂いたと安堵顔でお参りして下さいました。               住職
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内陣に長押がくみこまれました

2007年06月07日 | Weblog
 ○5月の連休明けから本堂の内陣外陣の鴨居、敷居が組み込まれて、今は長押が慎重に慎重に取り付けられています。分厚い長押で建物の強度に関係しているのだそうです。
 本堂の造作は室伏脇棟梁が若い山本大工を助手に黙々と仕事しておられ、本堂裏の後堂、講師室、玄関、ホール部分の付属棟を熟練の山本、山口両大工さんが担当して進められています。電気や水道の施工も始まっていますから、丁度一年前に基礎工事が始まったことを思いますと感慨一入のものがあります。
 代々ご心配とご苦労を頂いた総代さん、世話人さん方、この寺へ弛まず聞法の歩みを続けられた数千いや万と云う尊いご門徒の方々、お浄土からきっと慶び見護っていてくださることを強く感じます。「仏祖の加護と恩恵とにより」と耳にし、口にしてきた言葉をただただ今今実感しております。

 ○来る、6/9(土)午前10時より親鸞聖人のご誕生法座と仏婦法座を併せて営みます。仮本堂なので併修し、簡略にせざるを得ませんがどうかお参りくださいませ、ご講師は岡山県高梁市から山下義円先生がご出講下さいます。元気が涌いて来るお話です。   住職
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京鹿の子が咲いています

2007年06月04日 | Weblog
 本堂建築工事のために植え替えていた京鹿の子が咲いています。去年は移植したためか少ししか咲かなかったのですが、今年はかなり沢山の花をつけてくれています。
 随分前に植えたものなのですが紫陽花の紫にも、ななかまどの白にも、ほたる袋にもよくあう花で、この時期大変重宝します。「京鹿の子」の花名と花の姿がぴったりしていて何とも可愛らしく大好きな花の一つ。
 15年くらい前にグループ旅行で京都に行った時、石畳の路地沿いの小さな店のウインドウに一輪の「京鹿の子」が飾られていました。辺りの格子戸や掃除の行きとどいた佇まいとよくマッチしていて素敵でした。旅先で出逢った京鹿の子もまた新鮮な感動があったことを思い出します。

    路地脇のウインドウ飾る京鹿の子       明慧
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大山蓮華

2007年06月02日 | Weblog
大山蓮華の花が次々と咲いています。大山蓮華はもくれん、こぶし、たいさんぼく、ほうの木などと同じ「もくれん科」の花です。これらの仲間は一様に気品の香を漂わす高貴さがあります。中でもこの「大山蓮華」(深山蓮華とも呼ばれる)は一番気高く感じられます。が、開花から2日経ちますと茶色く醜さを晒してしまうのです。まさしく小野小町の歌「花の色はうつりにけりないたづらに わが身よにふるなながめせしまに」の情感が涌いて来ます。
 それはそうと「大山蓮華」の「大山」は山陰の「大山(だいせん)」だとばっかり思っていましたが、今日牧野先生の植物図鑑を開けてみて「大山(おおやま)」は奈良の「大峰山」によく自生しているので「大山蓮華」と呼ばれるようになったし、深い山奥に咲くから「深山蓮華」とも呼ばれるのである、とありました。
 「大峰山」に由来しているとは又、亦懐かしい。今から50年近く前、高校生時代の夏休みに大峰山に登ったことを思い出しました。京都から朝早い電車とバスを乗り継いで登山口近くの上北山村の河合に着いたのが夕方でした。翌朝早く前鬼口から登山を開始して修験道の宿坊のある前鬼に着いたのがお昼過ぎであったことを思い出しました。その前鬼の宿坊の倅五鬼助義之(ごきじょよしゆき)君が同級生だったので大峰山へ登ったのですが、彼が我が家へ帰ると云っても大変なことだと当時思ったものです。50年も経った今はもうご両親も山の案内をして下さった叔父さんも、もうあの宿坊も無いかも知れないと思います。その後五鬼助君にもお会いしていません。
 大峰から熊野にかけての修験道の道は世界の文化遺産に認定されました。平安、鎌倉時代には公卿たちが盛んに山入りをした霊山でした。この「大山蓮華」の呼び名は公卿によっているように思います。そのような気品と香りが感ぜられるのです。 住職
コメント (1)
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