万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

3月の法語

2016年02月29日 | Weblog

 

 この3月のご文は正真偈120句の中でも重要なご文です。    

    能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 (のうほついちねんきいいあいしん ふだんぼんのうとくねはん)

 意訳文は 信心ひとたびおこりなば 煩悩(なやみ)を断(た)たで 涅槃(すくい)あり   と、訳されています。 

 断ち切ることの出来ない自己の矛盾と煩悩に悩み、絶望感を懐くその私に如来は大丈夫だよ、そのまま帰って来いよと呼ばれているそのままが喜びと安堵感感が沸き上がって来る。

 若院の「絵ものがたり正真偈」でのこのカ所の訳を挙げておきます。少し長文の訳詞となっています。

 どうしても 煩悩を なくすことができない 悲しいいのちがここに在るということをーー     そして お釈迦さまは、お説きになったのです。

 「この名には すべての功徳が満ち足りています。

 “ナモアミダブツ”

 この 名を聞く者は 悩みや煩いをなくせずとも さとりのいのちへと導かれるのです。

      と、散文詩で訳されています。合わせて味わって下さい。

                   

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三寒四温

2016年02月25日 | Weblog

如月も下旬となりましたが、厳しい余寒がつづいております。当山若院はただ今北海道の帯広地区の布教に参っております。連日の零下10度前後のようで心配いたしておりますが、時折の電話ではそんなに寒くないとのことです。乾燥している為なのでしょうか。   27日に帰山予定です。

 この寒さの中、庭では次々と花々が開花しております。たくましさに感じ入ります。私は何年か振りに風邪を引いてダウン状態、今日やっと庭に出て花の撮影をいたしました。もう好くなると思います。インフルエンザではないようです。

     

  万作              紅万作

                                  

                                  万福寺の臥龍梅(?)

        

  大三島宗方の鶴姫     王冠(大輪です)      赤藪椿(赤色が鮮やかです)

  

  紺侘助椿            (オート撮影ではありませんのでピントが大分甘いです)

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お釈迦さまの涅槃会(ねはんえ)

2016年02月16日 | Weblog

昨日2/15日はお釈迦さまの涅槃に入られた日、涅槃会でした。ここ10年くらい前より2月の仏教婦人会の例会をこの涅槃会に行うようにしています。(口総地区の)    

 伝来の涅槃図をお掛けして勤行、法話を行います。

               

  お釈迦さまのお生まれは北インドの当時の小国カピラバスツの王子としてご誕生になられましたが、少年時代から人間の持つ苦悩(生、老、病、死)について深い思いを懐かれ29才の折り、世継ぎラーフラ王子の誕生を見届けるように王城を捨てて森林修行者の道に身を置かれるようになられました。35才までの6年間は厳しい難行苦行に励まれたのですが、いたずらに心身を苦しめることの無意味さをさとられ、一人苦行の森を出られ苦行でやせ衰えた体ををナーランジャ河(ガンジス川の支流)で沐浴され、岸にはい上がった処で力尽きて気を失われてしまわれたのでした。その倒れられているお釈迦さまを見つけ介抱したのが、その辺りの村の娘スジャーターでありました。スジャーターは村長さんに納める瓶の牛乳をお釈迦さまに与え、飲まれたお釈迦さまは元気を取り戻されたのでした。

 元気になられたお釈迦さまはナーランジャ河の辺のガヤの丘の大きなピッパラ樹の下に在る平石に草を敷いて結跏趺坐(けっかふざ)されて思惟に入られた。その思惟は私と云う人間存在の縁由の元に向かって思惟は掘り進み、遂にその大本元は「無明」にある。その「無明」を「明」に転じて行けば自ずから人間の苦悩は消えて行く。その「明」に至る道を歩むことを体得されたのであった。それは瞑想思惟に入られて7日目の未明、雪山(せっせん、ヒマラヤ山脈)の上空に暁の明星が煌めいた時お釈さまは大悟されたと伝えられています。

 最初の説法はガヤから東北にベーナーレスの近郊のバーラーナシー(鹿野苑)に赴かれかっての苦行時代の5人の修行者に対して説法をされたのがお釈迦さまの最初の説法で「初転法輪経」として伝わっています。「四諦八聖道」の法としてあらゆる仏教流れの基本となっています。

 35才の折りの最初の説法から45年間、多くの貴賤老若男女の人々に説法されたのでした。最後の説法は侍者阿難(アナン)尊者への「自らをより処としなさい、法をより処としなさい」(自灯明、法灯明。自らをともしびとせよ、法をともしびとせよ、とも)と、諭されました。

 お体の変調を自覚されたお釈迦さまはお弟子方に「クシナガラへ行こう!クシナガラへ行こう!」とうながされました。クシナガラはお釈迦さまの生まれた国カピラバスツに近い地点なのです。(その頃にはカピラバスツはコーサラ国に集合されていました)

 クシナガラまで歩まれて力尽きたように沙羅林の双樹の下に最後の寝床を設えられ、頭北面西右脇を下に臥まれたのでした。お釈迦さまの入涅槃の近いと云う知らせに多くの教えを受けた比丘、比丘尼、在俗の男女らが集まって来ました。そうした2月の満月の夜静かに涅槃に入られたのでした。

       

左図は悲しみの余り失神したアナン比丘を目覚めさそうとするアヌルダ比丘。右図は実はアヌルダ比丘は画面左上空にお釈迦の産後亡くなられたマーヤ后を天空から案内されています。優れた天眼を表しているのでしょう。 

 この2月15日、庭の枝垂れ梅は満開でした。                     

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枝垂れ梅が咲き始めています

2016年02月12日 | Weblog

      

 今年の梅は天候が不順のためなのか随分と早い開花です。毎年2月下旬頃の開花なのに1月終わりには咲き始めていました。2月12日の今朝、2階から見下ろして撮影しておきました。まだ朝には霜が降りていますから梅の容姿が引き締まって見えます。

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前住職の25年回法要

2016年02月12日 | Weblog

 平成4年1月19日未明91才で遷化した当山前住職釋三智の25年回法要を1月16、17日に営んだ宗祖御正忌法座と併修で営み、また兄弟、親戚の法要は2月2日延修させていただきました。その折り、掲載のような栞を作りお参りの方にお渡しいたしました。

 字が不鮮明なので読むのが難しいかと思いますが、ご判読下されば有難く存じます。

 法要には隣寺の教善寺様がお勤め下さり、ご法話下さり、懐かしい想いを懐きました。

                                        

 父の遷化から皆25年それぞれ歳を重ねたことです。

 境内に建っている前住の歌碑の

      独り旅 続けし我の いつの日か 如来に遇いし 力強さよ

 また、また、呟いています。

 

 

 

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2月の法語

2016年02月06日 | Weblog

     

 2月の法語は1月に続いてお正真偈の「一切群生蒙光照 一切の群生、光照をかぶる」の意訳

  いきとしくるものすべて このみひかりのうちにあり  と意訳されています。一切が全て同じようにこの如来様の光に照らされていて漏れているいのちは一つとしてないのです。

 若院の「絵ものがたり正真偈」ではこのように訳されています。

   その光に いのちあるもの、すべてが つつまれていきました

 と、

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