昨日2/15日はお釈迦さまの涅槃に入られた日、涅槃会でした。ここ10年くらい前より2月の仏教婦人会の例会をこの涅槃会に行うようにしています。(口総地区の)
伝来の涅槃図をお掛けして勤行、法話を行います。
お釈迦さまのお生まれは北インドの当時の小国カピラバスツの王子としてご誕生になられましたが、少年時代から人間の持つ苦悩(生、老、病、死)について深い思いを懐かれ29才の折り、世継ぎラーフラ王子の誕生を見届けるように王城を捨てて森林修行者の道に身を置かれるようになられました。35才までの6年間は厳しい難行苦行に励まれたのですが、いたずらに心身を苦しめることの無意味さをさとられ、一人苦行の森を出られ苦行でやせ衰えた体ををナーランジャ河(ガンジス川の支流)で沐浴され、岸にはい上がった処で力尽きて気を失われてしまわれたのでした。その倒れられているお釈迦さまを見つけ介抱したのが、その辺りの村の娘スジャーターでありました。スジャーターは村長さんに納める瓶の牛乳をお釈迦さまに与え、飲まれたお釈迦さまは元気を取り戻されたのでした。
元気になられたお釈迦さまはナーランジャ河の辺のガヤの丘の大きなピッパラ樹の下に在る平石に草を敷いて結跏趺坐(けっかふざ)されて思惟に入られた。その思惟は私と云う人間存在の縁由の元に向かって思惟は掘り進み、遂にその大本元は「無明」にある。その「無明」を「明」に転じて行けば自ずから人間の苦悩は消えて行く。その「明」に至る道を歩むことを体得されたのであった。それは瞑想思惟に入られて7日目の未明、雪山(せっせん、ヒマラヤ山脈)の上空に暁の明星が煌めいた時お釈さまは大悟されたと伝えられています。
最初の説法はガヤから東北にベーナーレスの近郊のバーラーナシー(鹿野苑)に赴かれかっての苦行時代の5人の修行者に対して説法をされたのがお釈迦さまの最初の説法で「初転法輪経」として伝わっています。「四諦八聖道」の法としてあらゆる仏教流れの基本となっています。
35才の折りの最初の説法から45年間、多くの貴賤老若男女の人々に説法されたのでした。最後の説法は侍者阿難(アナン)尊者への「自らをより処としなさい、法をより処としなさい」(自灯明、法灯明。自らをともしびとせよ、法をともしびとせよ、とも)と、諭されました。
お体の変調を自覚されたお釈迦さまはお弟子方に「クシナガラへ行こう!クシナガラへ行こう!」とうながされました。クシナガラはお釈迦さまの生まれた国カピラバスツに近い地点なのです。(その頃にはカピラバスツはコーサラ国に集合されていました)
クシナガラまで歩まれて力尽きたように沙羅林の双樹の下に最後の寝床を設えられ、頭北面西右脇を下に臥まれたのでした。お釈迦さまの入涅槃の近いと云う知らせに多くの教えを受けた比丘、比丘尼、在俗の男女らが集まって来ました。そうした2月の満月の夜静かに涅槃に入られたのでした。
左図は悲しみの余り失神したアナン比丘を目覚めさそうとするアヌルダ比丘。右図は実はアヌルダ比丘は画面左上空にお釈迦の産後亡くなられたマーヤ后を天空から案内されています。優れた天眼を表しているのでしょう。
この2月15日、庭の枝垂れ梅は満開でした。