ご正忌ご法座聴聞 坂原英見師 おとき風景
昨日17日、日中法座(午前10時からの朝事)をもって宗祖聖人ご正忌法座を終わりました。昨年が750回のご正忌法要、
今年は751回目の法要だと思いますと感慨一入のものがあります。
ご講師としてお迎えした坂原英見先生は広島県三次市作木東光坊ご住職、また、ご本山でご活躍の先生です。約40数年前に英
見先生のご尊父好英先生がご出講いただいたことがあります。その時のことがご子息英見先生に伝わっていて「非常に参詣の多い
寺」だと父から聞いておりました。と申されるのですが、その頃から比べますと3分1に減少しています。お恥ずかしい状態で
す。と、申しますと、作木も大変な過疎地ですから・・・・。
16日夕席、17日朝席と云う短期間のご縁でしたが、宗祖聖人のお手紙の「この身は 今は歳きわまりて候らへば さだめて
先立ちて往生し候わんずれば 浄土にてかならずかならず待ち参らせ候うべし」をご讃題にあげられてお話を進められました。
今、現にはたらいてくださっているお浄土。・・・親鸞聖人も私たちの先人もみんな帰って行かれて今はたらいていて下さって
いることを身近な例話をもって力強くお話し下さいました。
坂原先生は前会所が広島県の蒲刈、蒲刈から愛媛県の岡村島まで架橋「安芸灘とびしま海道」を渡り岡村島から大三島宗方まで
フェリーを利用して来られました。万福寺のご法座終了するや否や、またお車で「しまなみ海道」を渡って福山駅から京都ご本山
のお仕事のため上洛して行かれました。
仏教をお説き下さったお釈迦様以来仏教のオーソドックスは聴聞にあることは間違いのないことです。オーソドックスは難行苦
行を生涯にわたってするところにあるのではないことはお釈迦様の45年の伝道の生涯を伺えば分かることです。仏教の本分は真
実の心にこの私が出遇って行くところにあるのです。真実なるものは形のあるものではありませんが、人間の世界では「言葉」を
通してが如来様の真実心に出遇い易いのです。ですから蓮如上人は「聴聞を心に入れもうさば、信を得るなり」と仰せになられて
いることはこのことを云われているのです。
仏法を聞きくことの出来る「時」と「場」と「ご縁」はアッと云う間に過ぎる私の人生で何と少ないことでしょうか、その「ご
縁」を大切にさせていただかなければならないと思うことしきりです。