万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

妙好人椿(みょうこうにんつばき)咲き初め

2013年01月30日 | Weblog
                      


 数日前から極寒の中を蕾を少しずつ蕾をを膨らませていた「妙好人」(白薮椿の一種)が今朝黄色い蘂を見せていました。

 昨年もそうでしたが沢山付いている蕾の中で一輪だけ抜きん出てて早く咲くのです。その一輪の花は素晴らしく堂々としている

のです。今年の花を代表するサンプルのような感じがして毎日その蕾を観察するようになりました。

 「妙好人」の名は私が命名したのですが、おみのりをよく聞き、こよなく喜ぶ人を「希有人、勝解の人、最勝人、妙好人、白蓮

華のような人」と仏典には讃えられています。この万福寺に植わっている白椿が余りにも清楚な咲きぐあいでありますので、静か

にお念仏を喜ぶ人をイメージして「妙好人」と呼ぶことにしたのです。境内に3本株分けされてあります。これから次々と咲いて

くれることでしょう。


                     




 この赤い一重の椿は頂きものですが名前が不明となりました。しかし蕾が実に好もしい姿と赤色をしています。

 毎日毎日寒い寒いと云っていますが、椿は静かに静かに蕾を膨らませています。正しく春の訪れを知らせてくれる花です。そし

て寒さもいいものですよ、と教えてくれています。
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燃料タンクの撤去作業

2013年01月28日 | Weblog
                    
                    大三島井口の撤去される石油タンク
 
 昨日、宗方のご法事でいろいろ雑談をしておりましたら上浦町井口にある燃料タンクの撤去作業

が始まったと云うことを初めて知りました。今は使われていない7基あるタンクを撤去してその跡

地は太陽光発電所となるのだと云うことなのです。それで今朝カメラを持って撮影に出かけまし 

た。

無用の巨大な代物と思っていましたが、少年時代から見慣れたタンクのある風景を写真に残してお

くべきだと思って出かけたわけです。

 初めて側に近寄って見ましたが巨大です。今は7基ですが、元は12基あったことが記録に見え

ます。
 
 記録によりますと旧陸軍の軍用燃料貯蔵タンク(陸軍燃料廠)として昭和17年に着工、19年

に7基完成、20年に5基完成、都合12基となったのですが全く使用されないまま終戦となった

のでした。広い土地も巨大なタンクもそのまゝであったのですが、昭和48年に丸善石油(現コス

モ石油)が新しく7基のタンクを鉄板でリニュアルしてしばらく原油タンクとして使用されていま

した。しかし、昭和60年頃から採算が合わない為なのか再び放置されるようになっていたので

す。

 今度は太陽光発電所として生まれ変わるのだそうで風景が一変することでしょう。


          
                 撤去工事が進む石油タンク群   
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水仙と満作

2013年01月26日 | Weblog
                 


 12月からの厳しい寒さの為に固い蕾であった水仙がやっと数輪咲きました。とても一斉にとは

行きません。昨年と比べると二十日以上も遅いようです。

 数輪咲いている水仙は何れも東を向いて咲いています。漆黒の闇夜、吹き荒ぶ零下にまで冷え込

む朝ぼらけ、東天からの光を待ち焦がれるように一輪の水仙は花を開けるのでしょうか、


                 

 満作が花を咲かせているのは驚きです。昨年よりは黄満作に限って云えば少し早い開花と云えま

す。紅満作はまだまだ固い蕾ですのに、昨年は黄色も紅色もほとんど同時の開花でしたのに、自然

界の営みには理解出来ないことが多いことです。
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不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)

2013年01月24日 | Weblog
                   

このお軸は過日お勤め致しました宗祖ご正忌法座に広間にお掛けいたしました本願寺第19世本如上人揮毫のお軸です。

 正信偈の不断煩悩得涅槃(煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり)の一句を鮮やかな墨色でどっしりとした筆致で揮毫されていま

す。落款には本如上人の号「碧山」(へきざん)と記されています。本如上人の誕生は安永7年(1778)、文政9年(182

6)にご往生されています。寛政11年(1799)に18世文如上人から21才で継職されましたが、在職中に三業帰命(さん

ごうきみょう)と云う異安心が勃発しそれを治めるために身命を挺されたのでした。随分とご苦労されたご在位であられました。

 このお正信偈のご文を拝しますと三業帰命(体と口と意でこころを込めて礼拝しなければならない)と云う異説に対して浄土真

宗の、親鸞聖人のお示し下さった不動の道は「不断煩悩得涅槃」にありますと、凜(りん)として応えて下さっているように味読

されるのです。

 このヶ所を「絵ものがたり正信偈」の訳文を上げておきます。

  能発一念喜愛心  よく一念喜愛の心を発すれば
  不断煩悩得涅槃  煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり

   どうしても
   煩悩を
   なくすことができない
   悲しいいのちが
   ここに在るということをーーーー

   そして
   お釈迦さまは、お説きになったのです

     「この名には
     すべての功徳が満ち足りています

     “ナモアミダブツ”  

     この 名を聞く者は
     悩みや煩いをなくせずとも
     さとりのいのちへと導かれるのです」 
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若乃花の手形

2013年01月20日 | Weblog
                            


 今朝の新聞を見て、あの大鵬元横綱の逝去を知りました。数年前に脳梗塞で体が不自由になられていたのですが、この訃報は驚

きです。私の青年時代、昭和40年代の大相撲は大鵬と柏戸の時代で大相撲は随分と盛り上がっていました。大鵬32回の優勝記録は

まだ破られていません。

 柏鵬時代の前、昭和30年代は若乃花(初代)と栃錦が横綱で栃若時代とフアンを二分していました。画像の色紙の手形は初

代若乃花の手形です。この手形を私に下さったのは寺の直ぐ下に居られた私より4才年上のT.Sさんです。Tさんは広島県の高

校に進まれ相撲部で活躍されました。大学は東京の日大相撲部に入られ学生相撲でも活躍されました。大学の近くに若乃花の花籠

部屋があり時々練習に行っていたのだそうです。そう云う関係で花籠部屋の力士の手形を押した色紙を何枚か持って居られ、その

一枚を下さったのでした。それも横綱若乃花のを、

 そのT.Sさんが昨12月8日に居住地福山市で逝去されたのです。生前からのご要望もあってTさんの葬儀にお参りさせてい

ただきました。少年時代にいつも可愛がって下さったTさん、そのTさんのご遺骨は万福寺の納骨所「四恩堂」に昨日、満中陰法

要後に納骨されました。

 50数年も前にいただいた横綱若乃花の色紙が数日前に探し出て来たものの、深い哀惜に沈むものがあります。横綱大鵬関

の訃報も合わせて・・・・・。
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名残りの椿たち

2013年01月19日 | Weblog
              
               雲南大絞り      初嵐             白侘助と一子侘助


ご正忌法座にあちこちへ生けた蕾だった椿が咲いています。ご法座は終わったのですが、お花は捨てがたくそのまゝ置いていま

す。

 間もなく落花の時が来ます。名残りの花を撮影しておきました。ありがとう。
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ご正忌法座を終えて

2013年01月18日 | Weblog
                       
                   ご正忌ご法座聴聞        坂原英見師      おとき風景

 昨日17日、日中法座(午前10時からの朝事)をもって宗祖聖人ご正忌法座を終わりました。昨年が750回のご正忌法要、

今年は751回目の法要だと思いますと感慨一入のものがあります。

 ご講師としてお迎えした坂原英見先生は広島県三次市作木東光坊ご住職、また、ご本山でご活躍の先生です。約40数年前に英

見先生のご尊父好英先生がご出講いただいたことがあります。その時のことがご子息英見先生に伝わっていて「非常に参詣の多い

寺」だと父から聞いておりました。と申されるのですが、その頃から比べますと3分1に減少しています。お恥ずかしい状態で

す。と、申しますと、作木も大変な過疎地ですから・・・・。

 16日夕席、17日朝席と云う短期間のご縁でしたが、宗祖聖人のお手紙の「この身は 今は歳きわまりて候らへば さだめて

先立ちて往生し候わんずれば 浄土にてかならずかならず待ち参らせ候うべし」をご讃題にあげられてお話を進められました。

 今、現にはたらいてくださっているお浄土。・・・親鸞聖人も私たちの先人もみんな帰って行かれて今はたらいていて下さって

いることを身近な例話をもって力強くお話し下さいました。

 坂原先生は前会所が広島県の蒲刈、蒲刈から愛媛県の岡村島まで架橋「安芸灘とびしま海道」を渡り岡村島から大三島宗方まで

フェリーを利用して来られました。万福寺のご法座終了するや否や、またお車で「しまなみ海道」を渡って福山駅から京都ご本山

のお仕事のため上洛して行かれました。

 仏教をお説き下さったお釈迦様以来仏教のオーソドックスは聴聞にあることは間違いのないことです。オーソドックスは難行苦

行を生涯にわたってするところにあるのではないことはお釈迦様の45年の伝道の生涯を伺えば分かることです。仏教の本分は真

実の心にこの私が出遇って行くところにあるのです。真実なるものは形のあるものではありませんが、人間の世界では「言葉」を

通してが如来様の真実心に出遇い易いのです。ですから蓮如上人は「聴聞を心に入れもうさば、信を得るなり」と仰せになられて

いることはこのことを云われているのです。

 仏法を聞きくことの出来る「時」と「場」と「ご縁」はアッと云う間に過ぎる私の人生で何と少ないことでしょうか、その「ご

縁」を大切にさせていただかなければならないと思うことしきりです。
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お逮夜(おたんや)の花

2013年01月15日 | Weblog
 ご正忌のお内陣のお華を生け終えて、ついでに床の花も生けておきました。


                           

 庫裏広間の床には、備前焼きの四方筒の花器に若松、蝋梅、椿雲南絞りの蕾を入れてみました。

                                             

 講師間には、一子侘助と白侘助がまだ咲いていましたので、備前焼きの蹲るに入れておきました。備前の蹲る徳利は金重浩介さんの作で頂き物なのですが、椿を挿すにはピッタリの花器です。
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ご正忌法座のご案内

2013年01月14日 | Weblog
 宗祖親鸞聖人のご正忌法座を下記の様に営みます。極寒の最中ですが、どうか万障お繰り合わせてご参詣下さいませ、本堂を出来うる限り暖かくしておきます。

   日時:1月16日昼席 午後1時始め  「絵ものがたり正信偈」の朗読法話
        16日夜席 午後7時始め
        17日朝席 午前10時始め
           おとき 正午より

   講師:広島県三次市 東光坊ご住職 坂原英見(さかはらえいけん)先生がご出講くださいます。 


              
覚如上人があらわされた「御伝鈔」には親鸞聖人は弘長2年(1262)11月二十日頃よりお加減が悪くなられ、世間のことは口にされなくなり、申されることは仏恩の深いことを申され、称名は絶えることなく申されておられましたが、28日の午の刻(正午より2時頃)そのお念仏の声が絶えました。その時が聖人のご往生の時でした。御歳は90に満ちておられました。と記されています。
                                            

 
 東山鳥部野の南辺、延仁寺でお別れの葬送、荼毘が行われ、ご遺骨は大谷に納められたとあります。

 この「御伝鈔」の4幅の御絵伝は本堂右余間にお掛けいたしました。ご拝観ください。         
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月見車(つきみぐるま)椿

2013年01月11日 | Weblog
                                

 裏庭の椿鉢に桃色一重の椿が、この寒空の元で咲き始めていました。薮椿系の桃色の花です。ネーム板に「月見車」と記されて

います。藤原芳郎さんからの到来鉢です。色も形状も極めて上品な花です。マニュアル撮影したのですが、70を越えて目がしっ

かりしないのでピントがビシッとはいきません。



                     

 この満開に近い赤い椿も薮椿です。この椿は寺から少し下った所のFさん宅の菜園に昔から植わっている赤薮椿です。日当たり

が良い所為か早くから咲くのですが、今年は寒いからでしょう少し遅れていました。然し毎日冷え込んでいるからか赤色が濃厚で

驚く程鮮やかです。
コメント (2)
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