万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

12月の法語

2012年12月02日 | Weblog
                            


師走に入って今日は早3日、ここ数日夜に時雨れているのか冷え込みの為の露なのか朝にはしっとりと濡れています。大量の落

ち葉も濡れそぼって寒々しさを感じます。

 法語カレンダーも最後の一枚・・・、宗祖聖人の『教行信証』巻末のお言葉が掲げられています。

  前(さき)に生まれんものは 後(のち)を導き
   後(のち)に生まれんひとは 前(さき)を訪(とぶら)え

 この法語は聖人が師として尊崇された七高僧のお一人中国の道綽禅師(どうしゃくぜんじ)の著『安楽集』のお言葉を引用され

て結語とされています。

 前(さき)に生まれて父と呼ばれ、母と呼ばれ、あるいは祖父母と呼ばれ、先生と呼ばれるなど年長者は後に続いて生まれて来

た来た人たちを真心をもって導いて行くべきです。また、後に生まれて来た者は真摯に先輩方にいのちの本当のことをおたずねし

て行くべきです、と。

 このご文には続いてこのように申されています。

  連続無窮(れんぞくむぐう)にして、願わくば休止(くし)せざめらしめんと欲す。無辺の生死海(しょうじかい)を尽くさんがためのゆえなり。

 このような先輩、後輩の関係が続いていくことを願います。それは何となればはてしない迷いの世界に生きる寄るべなき人たち

が無くなるようにするためなのですと、申されています。実に生きると云うこと、お法りに出遇うことのできた者の責務をこのよ

うに申されているのです。重いお言葉であります。

平成10年(1998)に出版された筑波大教授であられた今井雅晴先生の『親鸞とその家族』の最終章「夫と父」にこのよう

に記しておられるフレーズに感動し、同感の思いを抱いたことを思い出します。

 「つい最近、家庭内で指導力のある、強い父親が必要であるといわれはじめてきた。それは当然のことである、と私は思う。あらためて夫、父の、家族の中における役割を考えて逝かねばならないだろう。家族はそれぞれ、お互いの能力を尊重しあうではないか。特に夫と妻は。
 現在より生活の困難が予測される明日の世代に、少しでもよい方向を作っておきたいと思うのである。」

 この感動的なフレーズは親鸞聖人とその妻恵信尼さまの生きる心、そしてそのご家族について伺える資料に当たられた思いから

のお考えのように思います。   
コメント
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