万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

親鸞聖人750回大遠忌法要

2011年03月29日 | Weblog
 来月4月9日よりいよいよ大遠忌法要がご本山西本願寺で営まれます。当万福寺は4月14日の午後の法要に参詣することにな

っています。住職を入れて45名が今治組参拝団としてバスで上山いたします。私(住職)としては19才の折700回大遠忌に

もお参りいたしましたから2度目になります。50年の歳を重ねたことになります。何とも云えない思いがいたします。歳を重ね

るにつけ聖人の書き残して下さったご文、語り残されたご文がずっしりと重さが感じられるて来ます。

 煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は よろずのことみなもってそらごと たわごと まことあることなきに ただ念仏のみぞまことにておはします。(歎異抄)

 このブログへ愛知の「釈破旬」さんからコメントがしばしば送られて参りますがその中にご門主さまの「750回大遠忌につい

ての消息(メッセイジ)」に感銘することが記されています。そのご消息(メッセイジ)の一部を掲載させていただきます。(釈

破旬さんは大谷派のご縁の方です)


 (前略)親鸞聖人によって開かれた浄土真宗は、あらゆる人びとが、阿弥陀如来の本願力によって、往生成仏し、この世に還って迷えるものを救うためにはたらくという教えです。南無阿弥陀仏の名号を聞信するところに往生が定まり、報恩感謝の思いから、如来のお徳を讃える称名念仏の日々を過ごさせていただくのです。
 仏教の説く縁起の道理が示すように、地球上のあらゆる生物非生物は密接に繋がりを持っています。ところが今日では、人間中心の考えがいよいよ強まり、一部の人びとの利益追求が極端なまでに拡大され、世界的格差が生じ、人間のみならず、さまざまな生物の存続が危うくなっています。さらに、急激な社会の変化で、一人ひとりのいのちの根本が揺らいでいるように思われます。私たちは世の流れに惑わされ、自ら迷いの人生を送っていることを忘れがちではないでしょうか。お念仏の人生とは、阿弥陀如来のの智慧と慈悲とに照らされ包まれ、いのちあるもが敬い合い支え合って、往生浄土の道を歩むことであります。如来の智慧によって、争いの原因が人間の自己中心性にあることに気付かされ、心豊かに生きることのできる世の中、平和な世界を築くために貢献したいと思います。(以下略)

 予期できないまま、知らないままに時々刻々変化し時に激変し、その度に悲哀は激高し責任を他に転嫁してはまた煩悩を逆巻か

せている私に依然として抱き続け呼び続けて下さってある弥陀の本願に帰らせていただく日々、人生であることを親鸞聖人は教え

残して下さいました。

 ご縁恵まれて今回お参りが出来る方もそうでない方もどうかこのお念仏を受け継いで頂きたいと切に望みます。

                     
               卜半椿、随分以前から庭に植わっています。
                      
 
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万福寺図書館

2011年03月25日 | Weblog
                      
                  前住作成の図書分類目録
                       
                  萬福寺図書館図書貸出帳



 古い書類の中に「図書貸出払戻控簿」と表紙に墨書された手作り帳面がありました。表紙右に「昭和十七年始」と書かれ、左下

に「萬福寺図書館」と書かれています。まぎれもなくこの筆跡は前住職三智のものです。その帳面には昭和21、22年の2年

間分しか綴じられていないのが残念に思いますが、それでも終戦直後の当時の若い人たちが如何に本を貪り読んでいたかが知られ

て感動いたします。その頃寺の本を借りた人たちの中には故人となられている方も多く、また存命の方もほとんど80才以上の方

たちです。

 戦中戦後の動乱の中で前住は自分の手持ちの本を使って小さな図書館を寺に開設し、近在の人たちに本の貸出をしていたのでし

た。当時の出版事情は劣悪極まりない状況でしたから僅かな蔵書でも貪り読まれたことが伺えます。

 前住が僅かな蔵書しかないのに「萬福寺図書館」と大それた名前を付けたのは将来には書籍を揃えた名実ともに「図書館」とい

いえるものにしたいと云う願望をもってのことであったのだと今思います。

 昭和40年代頃、前住がふと語ったことに「あらゆる大蔵経(一切経)を備えておきたかった」と、それから少しずつ購入する

ようになったのです。もとより完全ではありませんが既に備わっていた「国訳一切経」に加えて「大正新脩大蔵経」、「南伝大蔵

経」などなどが備えられて来ました。そして辞典や字書類はよく集めたと自負しています。

 今のところ図書の分類などの整理が出来ていませんので貸出しはしていませんが、閲覧や調べ物などには遠慮なくご利用くださ

いますように。いつの日にか「萬福寺図書館」を復活させたいと思っています。
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震災から12日・・・・、

2011年03月23日 | Weblog
 お彼岸が過ぎたのにまだ朝夕は寒気が感じられます。被災された東北の寒さは相当な冷え込みでしょう。

この度の大地震は大津波を引き起こし、そして福島の原発施設の機能を破壊してしまったと云う人類史上初めて経験する大惨事と

なりました。すべてにわたって初めて経験することが多くてその対応が大変なことです。

 それでも懸命の救助、支援、命がけの原発放射能を封ずる作業、頭が下がります。きっといい方に向かって行くと思っていま

す。

 それにしても原発に使われる燃料棒(濃縮ウラン)は一旦核分裂を始めると「暴れ龍」のような存在になるのだと云うことを初

めて知りました。その「暴れ龍」を様々なテクニック(ほとんど電動)を駆使して制御して熱量のみを使って発電のエネルギーと

するのが原発なのです。今回のように津波によって制御不能となると「暴れ龍」そのもになってしまいます。ある意味から云うと

第二の生命体とも云えるものと気づきました。言い換えれば人間の頭脳は小さな小さな「太陽もどき」のようなものを作り出して

しまったと云うことでしょうか。

 数日前より「原子核」や「原子力発電」についてエンサイクロペディアを開いて見ていますが人間の心情意が微塵も介入できな

い世界であることは確かだと云うことが分かりました。


                       
                    庭の妙好人椿が盛んに咲いています。
                    心洗われる白に見入っています。朝の冷え込みが
                    花を引き締めているのでしょう。
                    (画像をクリックすると大きくなります)
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春彼岸法座

2011年03月18日 | Weblog
 3/18、19の両日にわたって春彼岸法座を営みます。昨日、一昨日と雪が舞う様な真冬の気象で驚く事ですが、どうかお参

りくださいませ。ご講師様は大阪から来て下さる「坂上 良先生」です。19日お昼にはさぬきうどんをご用意しております

 また、万福寺春彼岸の伝統行事となっております「地獄絵」の展覧も行いますのでご拝観ください。


                
          今年の初咲き「意宇の里」(おうのさと)椿
          「意宇」(おう)の名は「出雲風土記」にも出ている山陰の古い地名です。
          咲く花姿も色もすごく優雅で好きな椿の一種です。
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哀しみは身より離れず 人の世の

2011年03月15日 | Weblog
 3/11pm2:40頃勃発した東北沖大地震の悲惨な思いを述べましたところ、らんこさんよりコメントで歌人窪田空穂(うつ

ほ)さんのお歌を送って来られました。

  哀しみは身より離れず人の世の愛あるところ添いて潜むる

 現世に生きる私どもはいつの間にか人との固い絆で支え合い、お支えをいただきながら生き、そしてそこに愛おしい情が生まれ

厚い繋がりとなっていきます。そしてその心情はそのままが哀しみ、悲痛、憂、苦しみと云う心情に逆転するのです。愛は哀、あ

ざなわれた縄のようなものと味あわせていただきながらも心はなかなか安からず・・・・・。

 今朝の朝日新聞のコラム天声人語に矢張り窪田空穂さんの短歌が紹介されていました。これらのお歌は関東大震災で燃え上がる

東京の街を肉親を捜し尋ねる心情を歌った2首、

  妻も子も死ねり死ねりとひとりごち火を吐く橋板踏みて男ゆく

  梁の下になれる娘の火中より助け呼ぶこゑを後も聞く親

 十数分前まで平穏であった街に10数㍍も超える大津波が容赦なく襲いかかり家も車も人も飲み込んで行く。猛威をふるう大津

波のリアルな画像は見るに堪えません。

 東北の津々浦々が大津波に破壊尽くされ瓦礫の街と化した写真は原爆で破壊尽くされた昭和20年の広島の写真と余りにもよく

似ているのに驚きました。私にはどうしてもあの東国の津々の街と広島の瓦礫と化した写真がオーバーラップするのです。これら

の写真は人間の生きると云う営みの慟哭そのものです。


         
         春蘭 翠蓋(すいがい)
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東日本地震、大津波に被災された皆様にお見舞い申し上げます

2011年03月13日 | Weblog
 3/11、午後2時40分頃、東北三陸沖に起こったM8,8と云う強烈な地震と大津波の生々しい惨禍の報道には唯々呆然と

して言葉を絶します。大地のエネルギーには人間の力など比較する次元でないことを改めて知らされました。

 かけがえのない肉親の方々を失われた沢山の方々、家屋、田畑を奪われ破壊された方々のご心中を思います時言葉がありませ

ん。衷心よりお悔やみ、お見舞いを申し上げます。10年も前にお訪ねした仙台から盛岡の陸奥の旅で見た緑につつまれた美しい

山野や三陸の海、そして何よりも人情味溢れる陸奥の人たちのことを忘れ得ません。どうかいつの日にか再び花笑う大地を夢みて

一歩々々、歩みを始められんことを念願いたします。                                和南
                                                   万福寺 住職拜
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赤侘助(あかわびすけ)

2011年03月11日 | Weblog
 


 暁鐘の6時前は少ししらむ頃となりました。ですが依然としてその時間は冷気の中です。

居室に帰ると以前には急須にお茶を入れて、先ずお茶を頂いていたのですがどうも空腹時のお茶は胃に良くないようなので最近で

は白湯を飲むようにしています。

 朝のお参りのために7時からで本堂に参ります。続いて地下納骨室、境内の納骨堂へと再び境内に出て納骨堂のお参りをするの

が日課となっています。お参りがすみますと境内や庭の木々を見て回ります。ご挨拶がてらに・・・・。画像の「赤侘助」は今朝

見つけました。1週間くらい前からこの侘助も咲き始めていたのですが注目すべき花が見あたりませんでした。今朝、何気なく北

側の枝の下にハッとするような一輪を見つけました。その赤い色に魅了されてその一枝を貰うことにしたのです。

 赤侘助の赤は正しく「血潮」の赤です。小さな筒咲きの血潮の赤に「いのち」を強烈に感じました。
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春蘭 王氏素(おうじそ)

2011年03月10日 | Weblog


 昨秋藤原芳郎さんからいただいた6鉢の中国春蘭が咲き始めました。

境内には昔から日本の山取りの春蘭(じいばーと呼んでいます)の叢がありますが、中国春蘭はこれらとは全く気品が違っていま

す。葉っぱも濃い緑で細い葉っぱをしています。花茎は低くずっしりとした蕾をしています。3鉢に蕾が見られ、「王氏素」と名

札が付けられている蕾が開いていました。澄み切った緑色ををした花です。エメラルド色が魅力的です。

「王氏素」と云う蘭名も中国からだと思いますが、「王姓の家のもと、祖」と云うような意味なのでしょうか。

 中国春蘭もすこぶるしぶい蘭だと感じ入っております。他の春蘭も咲いたら紹介いたします。
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加藤正さんが暮らす大下島(おおげじま)

2011年03月08日 | Weblog
築地本願寺内の伝導史料センターが発行されている
「唯 yui」
という雑誌に、同じ今治市の大下島・法珠寺のご住職
加藤正さんの文章が掲載されていました。

加藤さんは、絵描きでもあり、同雑誌の表紙を時々画いておられます。
万福寺でも夏の音楽会のフライアに絵を描いてもらったり
私が関係してて、京都で開催しているメリシャカライブ、メリシャカナイツというイベントでも
イラストを提供してもらっています

加藤さんのお寺のある大下島は、大三島の宗方から目の前に見える島です。
掲載されている文書には、その大下島での暮らしが、加藤さんの視点から紹介されています。
とても、すてきで、またいろいろと考えさせられる文章でしたので、ここで紹介させていただきます。

以下「唯 yui」から転載)


加藤正さんが暮らす大下島(おおげじま)

本誌『唯 yui』の表紙の絵を描いていただいている加藤正さんは、愛媛県今治市の瀬戸内海に浮かぶ周囲7.2キロの大下島にある法珠寺の住職である。 このたび、お寺や島の様子、ご自信のことを紹介していただいた。


私が暮らすお寺は、瀬戸内海に浮かぶ島、大下島にあります。
大下島は、一時間歩けば一周出来るような小さな島で、人口100人です。橋は掛かっておらず、島から出る交通手段は船です。現在定期便のフェリーが、愛媛県の今治港との間を一日4往復してくれています。
子供の頃、月に一度、母に連れられ、フェリーに乗って今治の街にいくのが楽しみでした。フェリーの中では、子供同士で遊んだり、話をしたり、将棋をしたり、本を読んだり、横になって眠ったり、皆思い思いに、今治までの1時間を過ごしておりました。当時を思えば、乗る人も少なくなり、あの頃にような穏やかな賑々しさは無くなったように感じますが、それでも島の人々が、船の時間に合わせて港に出てきて、フェリーに乗り込んで出掛けて行く風景を、私は好ましく思っています。
「何も無い島で退屈だろう」と言われる事がありますが、「何も無い」なんて事はありません。
確かに、JAの小さなマーケットと2,3軒の個人商店意外、お店はありません。コンビニはもとより食堂も娯楽施設もありませんが、目を凝らせば何処にいたって好奇の対象はあると思います。
 本堂と庫裡(くり)を囲む庭を回るだけでもなかなか楽しいもので、飽きるものではありません。年末、庭の千両を正月の仏花にお供えしようと思い、その実が朱く染まるのを楽しみに見ておりましたが、正月を迎えるまでにメジロに食べ尽くされました。それもまた楽しみです。
 絵を描く事を学び始めたのは、京都での学生生活最後の年でした。
 思うところがあって、住んでいた古いマンションの近くにあった画塾の門を叩いて絵画教室に通い始めたのです。そこで初めてデッサンというものに出会い、物のカタチを捉える難しさと楽しさを知りました。
 地元に帰ってからは、約4年間、月に一度、地元愛媛の画家の先生の美術教室に通い、やはりデッサンを学びました。デッサンが教えてくれたのは「モノを視る」という事です。
 「視る」という事は「じっくり向き合う」という事でもあります。絵を描く場合、描く対象と向き合う事は勿論、紙、絵具、筆とも向き合い、そして描く行為自体とも向き合います。それはそのまま自分と向き合う事に繋がっていると思います。
 昨年、新聞社の方が、島に取材に来ました。
 昨今、「家族葬」や「直葬」といった規模を小さくした葬儀が増加する中、大下島では、葬儀社に頼まず地元の住民自身で葬儀を執り行い、式には島民のほとんどが参列するという事で、島の葬儀についての取材でした。「頼む葬儀社が無い」というのが実際のところなんでしょうが、そんな島だからこそ、島民自身がお互い助け合う事ができているのだと思います。
 不便だからこそ生まれる大切なものがきっとあります。現在、50歳以下で島で生活しているのは、私と妻の2人だけです。同年代は島に仕事が無いので帰ってこられません。私が帰ってこられたのもひとえにお寺のお陰です。お寺を支えてくださる島の人々のお陰で、私は島に住んでおります。私は、島に住む職を与えられた「住職」です。



加藤正(かとう ただし)
プロフィール
浄土真宗本願寺派法珠寺住職
1976年愛媛県生まれ。
龍谷大学文学部仏教学科卒業。
瀬戸内海の大下島で住職をしながら絵を描く。
妖怪をモチーフとした木版画作品で展示会を過去3回開催。
装画を担当した書籍に、青江覚明著『正信念仏偈意趣』
京極夏彦著『妖怪の理 妖怪の檻』がある。

http://foomin.net/
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侘助椿の大樹

2011年03月08日 | Weblog
                   

 口総郵便局の近くの木村留美さん宅の庭によく繁茂し成長している椿の木があります。遠くから一杯咲いている赤い花を見てい

るとどうも侘助のように見えるので留美さんが来られた時その話を伝えると一昨日お花を持ってきて下さいました。正しく侘助

椿、多分「紅侘助」だと思います。昨日お邪魔して撮影いたしました。30年くらい前に植えられたものだそうですが日当たりが

良いせいか随分と成長が早いようで高さ8尺くらいに繁茂していて旺盛です。


                   

 境内の端に植わっている「紅卜半椿」が蕾を膨らませていました。その様に魅了されて撮影いたしました。

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