万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

大内青巒書(おおうちせいらんしょ)

2011年01月31日 | Weblog


 先々代慈朗師所持であった掛け軸の中に明治時代に新仏教運動を同士とともに活動された方、大内青巒

居士の一軸があります。軽妙な筆致で書かれています。

  道心中有衣ゝ食ゝ中無道心   蕩々青巒書

 読み方は「道心の中に衣食有り 衣食の中に道心無し」衣食を2回読むように書かれています。

 この法語の出典は実は伝教大師の遺誡(いかい)の言葉なのです。弘仁13年(822)6月4日、伝教大師が比叡山中道院に

入滅の折、その枕辺には弟子光定、義真、円澄、円仁などが侍り大師の遺誡を謹聴したと伝えられています。その一部を紹介致し

ておきます。

 怨みをもって怨みに報わば怨み止まず、徳をもって怨みに報ぜば怨みすなはち尽く・・・・。
 我が為に仏をつくるなかれ、我が為に写経することなかれ、我が志をのべよ。道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」

 この伝教大師の遺誡に比叡山仏教の後世への展開を思わずにはおれません。伝教大師は日本の歴史を超えたグレーテストテイチ

ャーであられたと思っております。

  画像のお花は蝋梅を真にして水仙、八重侘助椿をあしらいました。花器は四方杵形の金物。 
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乙姫(おとひめ)

2011年01月25日 | Weblog



 画像の椿は一昨年頂いた挿し芽の鉢に咲いたお初の開花です。「乙姫」と名札に書かれています。ピンクの花弁に

白い斑が入っています。胡蝶侘助によく似ているのですがピンク色の感じが少し違うようです。侘助椿と付して呼んでもいいよう

にも思いますが、「乙姫」とのみ名付けられています。この花の持つ可愛い華麗さが「乙姫」の名を得たのでしょうか。

 「乙姫」の名を聞きますとすぐに昔話「浦島太郎」の竜宮城の乙姫さまを思います。それで『御伽草子』を取り出して見てみま

すと竜宮城は出てきますが「乙姫さま」ではなくて「美しき女房」となっています。何時の時代に「美しき女房」が「乙姫さま」

になったのかは寡聞にして知りません。ただ云えることは私たちが幼少時に絵本などで知っている「浦島太郎」のお話と『御伽草

子』に収録の「浦島太郎」とは随分相違が見られることは意外なことでした。

 それにしてもこの椿「乙姫」は昔話、民話に語られてきたメルヘンテイックな海底にある竜宮城の「乙姫さま」を彷彿とさせる

に十分な容姿と色香をしていると思います。
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親鸞聖人のノート 「観無量寿経註、阿弥陀経註」(国宝)

2011年01月20日 | Weblog
              

親鸞聖人が比叡山延暦寺の修行僧として目指す「さとり」に対する深重な苦悶の末、比叡山から洛中六角堂への百日の参籠を決

行されたのです。聖人29才の折の事でした。六角堂のご本尊救世観世音菩薩は聖徳太子さまとの深い関係が伝えられていますか

ら聖徳太子さまへのお訪ねをお考えのことであったと思われます。九十五日目の朝太子の夢告により東山吉水の法然上人の草庵を

訪ねられたと恵信尼さまのお手紙に述べられています。法然上人の居られる吉水へまた百日の間、雨の降る日も照る日も聴聞に通

い続けられたと同じお手紙に記しておられます。

 聖人は比叡山で20年に及んで強固にまとって来られた自力修道の鎧が少しづつ剥がれ落ちて行かれました。その時のことを聖

人は『教行信証』の仮身土文類の巻に「愚禿釋鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と明記されています。その時から聖

人は比叡山を下られて吉水の法然上人の身元に住されるようになられたのでした。

 恵信尼さまのお手紙には「このすすむ人生は善き人にも、悪しき人にも同じように救われて行く道を一貫してお説きになられる

法然聖人のご教示を真剣にお聞きになられた親鸞さまは本願他力のお念仏の道にお心が定まって行かれました。そして上人が行か

れる所には人がどのように云おうとも、たとへそこが悪道(地獄)であろうとも(おともいたします)。もともと迷い続けてきた

私でありましたから、(法然上人の仰せは有難く、本願他力のお念仏のお心は初めてお聞かせに預かることでした。聞かせていた

だくことができたことをこの上ない喜びを感じています)と申されました」(意訳、住職)

 画像は親鸞聖人が吉水の法然上人のみもとでお念仏のみ教えの研鑽を積んでおられた頃のノート「観無量寿経註、阿弥陀経註」

の「阿弥陀経註」の最初の部分です。このご真筆の両経の註は昭和18年に本願寺の収蔵庫から発見され、昭和27年に国宝に指

定されされているご真蹟で、聖人の最も若い時代(30代前半の)のご真筆であると云われています。

 最初にこの両註の影印本をを拝見した時の衝撃は今も忘れません。料紙の表裏にびっしりと註記がされている様に驚愕しひれ伏

す様な思いでありました。

 この両註から『教行信証』などのご執筆まで強い大きな棒のようなものがが貫いているとうかがいます。法然上人もすご

いし、親鸞聖人もすごい精神界の方です。

    
 この椿は「紅侘助」と申します。一子侘助によく似ていますが赤の色が薄い赤色をしています。
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1月17日の朝

2011年01月17日 | Weblog


 今冬一番の寒い朝、幸いに降雪は見られなかったものゝ境内に出てみると全てが凍てついていました。

画像は手水舎の龍吐の滴る水が凍って氷柱となっています。今朝相当に冷え込んだものゝようです。

 全国豪雪や凍結で大変なことです。こうゆう時は必要以外は動かないのに限ります。皆さまご用心下さい。

 16年前の今朝阪神大震災が起こった朝でした。早16年も歳月が経ちました。矢張り寒い朝でした・・・。

西宮市西福寺ご住職豊原大成先生は大震災でご家族全員(御尊父、奥様、ご息女)を失われました。大成先生は本願寺の総務

と云う重職にあられ、京都でしたから難を免れられたのです。しかし、大寺に一瞬にして一人になってしまわれたのです。

 その大成先生の数ヶ月後に創られた詩「希望の窓」」はシンシンと胸をうちます。

   悲しみの記憶は
   襖の向こう側にある
   悲しみの襖は閉めておこう
   そして辛くとも
   希望の窓を開け
   遙か未来を見晴るかそう
   悲しみの襖は
   時々そっと開ければよい
            (1/18朝日新聞記事より)

                 

 凍てついた境内に寒さをものともせず一杯蕾をつけて楽しそうにコーラスを歌っているような椿の木が目につきました。小さな

うす桃色をした花です。名札を失ってしまって花名が不詳なのですが、図鑑を見ると「八重侘助」ではないかと思います。

 寒椿で厳寒の中に平気に咲き誇る椿です。「霊鑑寺散り椿」とも呼ばれている名花のようです。

八重咲きで侘助と呼ばれているのはこの椿だけではないかと思いますが、小さな蕾がほころんだ時の様に侘びた美が感じられるか

らなのでしょう。玄関などに一輪挿していると来客の目にしばしばとまるようで、しばしばお尋ねがあります。
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ご正忌法座

2011年01月15日 | Weblog


 朝事までご正忌法座を営みました。寒波襲来で参詣が懸念されましたが、元気にご参詣くださいました。

ご講師の江口先生は若い頃人生の挫折の中に親鸞聖人のみ教えのご縁を持たれ、以来一語一語を納得されるまで思索と味わいを

重ねられて来られた方と伺わせていただきました。

 お仏壇やお寺のお内陣のお荘厳はそのまま私のいのちの内外に働き呼び続けて下さってある如来さま(お名号)の表れであ

り、お仏壇やお寺のお内陣に手を合わさせていただくままが、私の如来さまに報恩感謝の姿であることなどとお説きくださいまし

た。ありがたし、

昨夜は小豆粥、今日はお斉(とき)と世話役の方々寒い中をご奉仕下さり有難うございました。大変おいしくいただくことができ

ました。

 画像はご講話の江口先生とお聴聞の皆さん、

  霜柱太き足跡残しゆく              洋子
  御正忌の絵伝拝読二日(ふたひ)して     篤子
  小豆粥ふうふう食べる大逮夜(おおたいや)  明慧
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讃歌(さんか) 椿

2011年01月14日 | Weblog
 今日から明日までご正忌法座を営みます。ご講師は山口県下関市から江口覚亮先生がご出講下さいます。現在本願寺の布教専従

員としてお勤めです。拙寺へご出講は初めてですが同じ職にあった若院とは昵懇の間柄です。しかし若院は豊島の良鎮寺さんのご

正忌法座に出講しておりますからお会いできません。

 画像の椿はご講師室にと思って切り取りました。初めて咲く椿で「讃歌」と名付けられています。茜色のような赤い椿でどっし

りした蕾をしています。どんな咲き具合なのでしょうか・・・・。
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ご絵伝をお懸けする

2011年01月12日 | Weblog
 親鸞聖人のご正忌報恩講法座が近づいて参りましたので聖人のご絵伝を余間床にお懸けいたしました。年に一回だけご正忌にお

懸けすることになっています。このご絵伝は本来上下2巻の絵巻物となっているのですが、何時の時代からか絵の部分が四副に仕

立てられ、詞の部分が上下二巻の『御伝鈔』と呼ばれる読み物に纏められ拝読されるようになりました。正式名は『本願寺聖人親

鸞伝絵』とか『善信上人親鸞伝絵』、『親鸞伝絵』とも呼ばれています。親鸞聖人の曾孫覚如上人の手によって聖人ご往生から3

4年後に完成されています。聖人の伝記では最も古いもので聖人のご生涯を伺う上で大切なご絵伝です。

この度のご法座は14、15日ですがご命日の16日までご絵伝はお懸けしております。余間まで入ってお参り下さい。

拝観順序は右側から1軸目でその一番下から上へと拝観いたします。2軸目も下から上へと拝観してください。1軸目の下に聖人

のご誕生の様子、4軸目の上方にご往生、葬送の様子が描かれています。

 1/12、仏花を立てました。今年は寒さが厳しい為かいつも生ける水仙や梅がまだ開いていません。松、檜葉、仙料、菊各種

に蝋梅を見越しにしてみました。

 (画像をクリックすると大きくなります)

 
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寒紅梅

2011年01月08日 | Weblog
 

 一昨日の6日が小寒であったようです。庭の寒紅梅の蕾がふくらみ始めていたので撮影しておきました。その日が小寒であった

のです。余り日の当たらない場所ですから開花は少し先になるでしょう。それにしても朝は近年にない冷え込みです。山陰、北陸

地方は豪雪で大変なことでしょう。このように冷え込んでいても着実に花を咲かせる草木が身の周りにあることは有難いことで

す。何よりもパワーがよみがえる刺激を感じます。

 来る14、15日親鸞聖人のご正忌報恩講を営みます。今年は殊に極寒のようですが、どうか暖かくしてお参り下さいますよう

に、本堂内も出来うる限りの暖房を用意いたしておきます。今度のご正忌報恩講が749回目、来年のご正忌が750回となりま

す。ご本山では本年4月より10月にかけて大遠忌法要をおつとめして来年1がつ16日の750回忌をお迎えすることになって

おります。


 寒紅梅開花
         
  
 蕾が膨らんだまゝ厳しい寒さのためか開花を躊躇していたのか、やっと今日1月21日開花を見ました。3輪咲いていました。

大三島では今日の寒さは少し緩んでいます。 
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水仙

2011年01月05日 | Weblog

 昨年のお正月には沢山の水仙が咲いていましたから仏花としてお供えもしたのでしたが・・・・

今年は蕾がどの株もまだ固いなァ、と見て回っていましたらヒョッコリ一株咲いて北風に吹かれ揺れていました大気が冷え切って

いる所為か花弁も澄み切っているように感じます。より楚々として香っています。

 水仙はその昔、中国から到来した花のようで中国名も水仙と云うのだそうです。彼岸花、玉すだれ、はまゆう、あまりりす、な

どと同じ「ひがんばな科」に属しています。

水仙の花ことばはよく知られていますように、うぬぼれとか自己愛、またエゴイズムを意味する花とされています。確かに孤高

で潔癖性の強い花であることは間違いないでしょう。生け花の花材として生ける時も水仙だけで生けるか、木物に添えるくらいが

安定感あるようで、他の草花と生けると競合して難しいように私は感じています。

 この水仙の花ことばはギリシャ神話の美少年ナルシス(ナルキッソスとも)に由来しています。ナルシスは少年時代に「自らを

知らなければ立派に成人するだろう」といわれましたが、ある時水面に映った自分の顔を見て美しいと恋心を持ってしまったので

す。ナルシスは自分自身に恋い焦がれて亡くなって行ったと云うのです。ナルシスの遺骸が埋められた所に「水仙」が芽吹き花が

咲きました。そのようなことで「水仙」の花ことばをうぬぼれ、自己愛などと云うようになったとエンサイクロペデアで知りまし

た。ナルシスト(自己陶酔者)やナルシズム(自己愛、自己陶酔)の言葉はナルシスがもとになっているようです。

 このような西洋の花伝説には関わりなく水仙の美しさは美しく日本では床のお花にも仏花としても生けられ、その美しさと香り

が愛でられて来たことはよく認識しておかなければなりません。この9日から京都の本願寺で厳修される親鸞聖人のご正忌報恩講

法要には何百本と云う水仙が梅や松に添えて生けられます。それはそれは豪壮な立花(りっか)なのです。

 
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1月の法語

2011年01月03日 | Weblog
 新年1月のカレンダーには太平洋に昇るご来光の画像に法語「聞思して遅慮することなかれ」(もんししてちりょすることなか

れ)の親鸞聖人の『教行信証』総序の一文が掲げられています。その前文からのご文は次のように述べられています。

  「誠なるかな、摂取不捨(せっしゅふしゃ)の真言(しんごん)、超世希有の正法(ちょうせけうのしょうぼう)、聞思して遅慮することなかれ」

苦難と悲哀の淵に沈淪するあなたを、どのようなことがあろうとも抱きとって捨てることはできないと申される如来さまの詔

(みことのり)は世に超え、たぐい希な正法です。疑う余地のない真実誠なのですから、能く聞かせてもらい、能く味あわせても

らわなければなりません。決して聞くことに躊躇(ためら)うようなことがあってはなりません。(住職意訳)

 先日紹介致しました法語と1月、2月と『教行信証』の総序からのご文が揚げられています。総序のご文は一語一語が疎かに出

来ない聖人が推敲に推敲を重ねて磨き抜かれたご文であると読ませていただくことであります。一言一言がズシン、ズシンと心底

に響きます。総序は総序で独立した一冊の大切なお聖教と云うこともできましょう。

(画像はクリックすると大きくなります)

 
 
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