万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

内孫にお目もじ

2014年02月26日 | Weblog
                 
                  この孫の名は「唯南」(ゆいな)と云うとかや

 去る2月20日に当山の若院夫婦の間にやっとお子が授かりました。往子さんの実家のある坂出市の病院で出産しました。私と

しては内孫としての初孫に会うべく22日の午後、車を走らせて坊守同伴で行って来ました。往子さんも経過がよく、孫も元気そ

うでスヤスヤ眠っていました。哺育室のガラス越しに初おめもじです。

嬰児の目覚めを待ちつ春うらゝ    明慧


 この子で私の孫は5人になりました。その日に同じ坂出市に居る昨年の2月18日に誕生した恵真の長女「弥音花」(みねか)

が一誕生を迎えたので帰りに西招寺にも寄ってみました。昨年の今頃京都醍醐の産院に会いに行ったのでしたが、この頃はマゴマ

ゴしています。


        


    掛軸は曽祖父の書や雛飾り     明慧
    エプロンの膝に抱っこや桃の花   〃
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愛媛県仏教婦人研修大会(伯方会場)

2014年02月26日 | Weblog
        
        1時より開会、献花献灯火献香がなされ勤行は「らいはいのうた」

大会委員長挨拶 

司会者は万福寺仏婦会長藤原京子さんが当たりました。           


 昨日、愛媛県仏教婦人研修大会が今治市伯方島開発センターを会場に開催されました。今治組仏婦連盟(いまばりそぶっぷれんめい)が当番での開催です。私(住職)は葬儀のために1昨日の準備も当日も参加出来ず、全て若院や坊守に委ねました。当日のレジュメと坊守撮影の写真でもって紹介しておきます。
 愛媛県下、宇和島組、松山組、松山外組、西条組そして当番組今治組から600名を越える会員の方がしまなみ海道の伯方会場に参集されました。


  
 本会のメイン講師、山口県からシングソングライターの “ちひろ”さんをお迎えしての演奏。
                         
 歌唱の間に軽妙で心に響くトークが語られます。ちひろさんは世界的に著名であられた科学者で念仏者であられた東昇(ひがしのぼる)博士のお孫さんに当たられる方です。

 ちひろさんが当日歌われたのはちひろさんが作曲された金子みすゞさんの詩を中心の演奏でした。曲名を紹介しておきます。
  ①大漁 ②星とたんぽぽ ③石ころ ④鯨法会 ⑤さびしいとき ⑥かぐやひめ ⑦ふるさと ⑧愛燦燦 
  ⑨ただ念仏して(歎異抄) ⑩私と小鳥と鈴と
   
 ちひろさんのうつしい歌声を胸にひびかせながら坊守が帰宅してきました。
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在家仏教誌

2014年02月22日 | Weblog
           

浦戸の藤原眞吾さんのお宅にお参りすると必ず奥さんの須奈恵さんが1年分の「在家仏教」誌を

下さることになっています。

 と云いますのは眞吾さんのお家は船舶業を営んでおられ、ケミカルタンカーで「協和発酵」の専

属の航走をしておられるのです。

「協和発酵」の社長であられた加藤弁三郎氏は工学博士で有能な科学者であられましたが、またそ

れにも勝る念仏者であられました。昭和27年頃に「在家仏教協会」と云う聞法会を設立され経済

界や実業家を中心に活動を続けられました。弁三郎氏は既に他界されましたが、その在家仏教協会

は全国の主要都市の会場で講演会が開かれ、機関誌「在家仏教」が毎月発行されているのです。

 眞吾さん宅も「協和発酵」のお仕事から「在家仏教」誌が送られて来るのです。その1年分をお

参りすると私に下さることになっているのです。浄土真宗の教えのみでなく曹洞宗、臨済宗、日蓮

宗、天台宗などなどの先生方の講演や随筆などが収載されていて随分と啓蒙されます。

 そうした翌日、福岡の武内英真先生から同じ「在家仏教」の3月号が送られて参りました。

この3月号に武内英真先生が一昨年3月に福岡会場で「我が過ちはそれに優れり」と云う講題での

ご講演が収録されています。

武内英真先生のご講演の中心は先生が学生時代に郷里のお父さんから大学に納入すべく預かった

授業料を使い込んでしまった過ちに対して、お父さんはお念仏の深いお味わいから次のような電報

を送られたのです。

   咎(とが)めまじ たとえ罪ある身なれども 我が過(あやま)ち はそれに勝れり  父

 この崇高で無碍心な電文に対して武内先生はその時の思いを次のように語られています。

 私は、この電報を手にするまで、どんな罰がまっているのであろうか、と、針のむしろに座るよ

うな思いで一杯でありました。

 しかし、この電報を読んだ時、ああ父は私の犯した罪を許してくれたのだなあ、の思いで心は満

たされ、この時ほど親とは有難いものだと思われたことはありません。
 (中略)
 そういう心配が、心配をかけたその時から私が大学を卒業して寺に戻ってくるまで、ズーッと続

いたのではなかったかと思われます。
 
 と、語られ、「父母恩重経」の中に説かれている「遠行憶念の恩」(おんぎょうおくねん)に触れて語られております。親の子

を思う思いを50年数年も前の事実に立ち返り、今も現前としてその導きとお育てに浴しておられることが偲ばれ、有難いご法話と拝読いたしました。 それにしてもすごい電報ですね、血涙がほとば散っているように感じられます。


 「在家仏教協会」を設立された協和発酵株式会社元社長加藤弁三郎著『仏教と私』の中に歎異抄

との出遇いを語っておられる一文の中から少しご紹介しておきます。

 「念仏は無義をもて義とす」と、この書にはっきりことわってあるにも拘わらず、私が念仏之義を学んだのは、まさにこの書であった。私が昔そうであったように、今日の青年諸君も、念仏はもとより、仏教そのものについてはほとんど無関心であろう。称名は、蛙の声ほどにもひびくまい。私には、それがよくわかる。だが、蛙の声よりも無意味なものと思っていた念仏は、何と、それこそがたった一つの真実なものであったのだ。そして、国家、社会、政治、経済、文化、等々、期待をつないでいたものこそ、たわごとであったのだ。更に驚くべきことには、念仏のみまことと知った後の、一切世間のいとなみが、何と新しいかがやきを帯びてきたことよ。たわごとでありつつ、しかも、かけがえのない大切なもの、それがこの世のいとなみであったのだ。
                           (昭和33年6月『月報しんらん』)

 
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仁清作金銀菱重ね茶碗写し

2014年02月21日 | Weblog


 過日、記念品として写真のような重ね茶碗を頂きました。このお茶碗は江戸時代初期に活躍した京焼の祖と云われている野々村

仁清作「金銀菱」と呼ばれている金襴手重ね茶碗の精巧な写しなのです。佳い物を頂いたと嬉しく思っております。

この重ね茶碗は大きい茶碗も小さい茶碗も筒茶碗形で大きい方には銀で菱が繋紋で描かれ、小さい方も同じ絵柄で菱は金彩とな

っているので「金銀菱」と呼ばれているのです。両茶碗の内側も黒い釉薬がかけられていて重厚です。

 この写しの本茶碗は熱海のモア美術館に所蔵されているようです。

 まだお茶を点てていませんが、いずれ点てさせていただきます。


 昨日、午前10時40分頃でしょうか、お産の為に実家に帰っていた若坊守往子(みちこ)さんから無事に第1子が女児として

生まれた知らせが若院からありました。母子ともに元気とのことです。嬉しいことです。
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香川南組仏婦連盟幹部会員来山(かがわみなみそぶっぷれんめいかんぶかいいんらいざん)

2014年02月19日 | Weblog
             
         法話

            
        襖絵・お内陣の説明

                     
                       総勢で記念写真                       

かねてよりご連絡を受けておりました香川県南香川南組仏婦連盟の幹部の方々45名が来山ご参詣になられました。午前10時

前には到着されましたから随分早い時間に、それも寒気の厳しい頃に香川を出発されたのでしょう。

 昨年から当方と再々お手紙でご依頼やらスケジュールなどの問い合わせをされた方は善福寺仏婦のK・Mさんでした。来山され

て初めてお目にかかったのですが、お聞きすれば何と生家は越智郡生名島(いきな)であるとのこと、結婚なさって香川県綾川町

に住まいされるようになったとのこと。それから生名出身の陸上槍投げのアスリート村上幸史さんは甥御にあたるとのこと、驚き

ました。

 ご一緒に本堂ご本尊に「讃仏偈」をお参りし、住職が挨拶と寺の紹介、若院が法話をさせてもらいました。続いて襖絵とお内陣

の説明を若院がいたしました。庫裏でお茶をお出しし、しばらく歓談の時を持っていただきました。

 以後のスケジュールは宮浦大山祗神社参拝、昼食、大三島美術館、生口島に渡り平山美術館を経て山陽道、瀬戸大橋を通って帰

られるとのこと、皆さんニコニコ顔でバスに乗られたことに嬉しく思いました。ご縁あればまたお越し下さい。                                    
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涅槃会(ねはんえ)

2014年02月16日 | Weblog
                  

 2月15日(土)午後1時30分より口総地区仏婦例会に併せて涅槃会を行いました。

 涅槃図軸を外陣中央左に奉懸し、前卓を置き香炉、燭台、花瓶を設置いたしました。

 勤行は十二礼(じゅうにらい)をお勤めし、仏婦綱領唱和、アソカの園斉唱と恒例のようにお参りし、住職が涅槃会に因んで法

話をさせていただきました。

             


             

この1枚の釈尊の涅槃図にはただ単に釈尊の終焉の状況のみを伝承しているのではなくて、釈尊から希有な法に縁を持つことが

出来た多くの人々心に偉大なる指導者を失った心情が客観的にまた個々の主観的受け取り方でもって描かれています。中央の釈尊

の入涅槃のお姿から周囲を取り囲む比丘、比丘尼、各国の王から大衆、禽獣や木々から天空や兜卒天(とそつてん)までも含んだ

物語となっていて興味がつきません。
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今朝も雪(2/14)

2014年02月14日 | Weblog
            
                              




 昨夕の天気予報通り、夜半より霙になりました。起床してみると先日の積雪程ではないにしても一面に水分の多いそうな雪が積

もっていました。

 薬師山の冠雪や民家の雪を置いた屋根を撮しておきました。

 この雪の中を庭の枝垂れ梅に1,2輪梅のほころびが見えました。卜半椿も咲き始めた一輪がありました。冬の花たちは雪も木

枯らしもなんのその静かに咲いて、凜として澄ましています。


                    
              枝垂れ梅、第1花     卜半椿          意宇の里 
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雪中花

2014年02月08日 | Weblog
 大三島の雪景色は早朝のもの、午後からはほとんど消えてしまいます。でも処々に残る雪の中を歩き写真を撮りました。


      
 紅梅、万作、紅万作。

       
 野良犬の足跡、烏の足跡、私の足跡。
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平成26年2月8日の朝 雪

2014年02月08日 | Weblog
                  



 昨夕、今治常寺さまで開催された今治組会(そかい)そして懇親会を終えて車でしまなみ海道を帰る途次は雪が舞っていまし

た。案の定、暁鐘に起床すると境内は夜目にも真っ白に積雪していました。

 近年にない積雪です。町内放送は定期バスは積雪の為に運休する放送、続いて今治行きと雪フェリーも運休と放送、これは多分

雪のために乗組員が集まらないためだろうかと想像します。

 7時30分、カメラを持ち長靴を履いて境内に出て冠雪した風景を撮影しておきました。


              
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山岡鐵舟の書(やまおかてっしゅう)

2014年02月06日 | Weblog
                       

当山の寺宝の一つなっています幕臣山岡鐵太郎(鐵舟)筆の1軸を曝風も兼ねて先日の総代会に床に掛けました。このお軸は当

山の山号額「西向山」を東京谷中の山岡邸を訪ね揮毫を依頼したところ、丁度胃癌のため病床にあり侍医から筆を執ることを止め

られていたのですが、寺の為、仏法の為になるなら書こうと起き上がって書かれたと伝えられています。その折山号額以外に27

枚の条幅紙を一気に書き上げられたのだそうです。残念ながらその時の26枚は当山には伝わっていませんが、この画像の1軸が

その時の書になるものです。鐵舟居士はこれらの揮毫から20数日後の明治21年7月19日午前9時15分皇居に向いて結跏趺

坐したまま泰然として示寂されたのでした。享年53才であられました。

 この書をどのように読むべきか難渋いたしますが、このように読んで見ました。間違っていましたらご指摘下さい。

     性而築書扇 身特捽鶴目

 性はしかるに書扇を築き 身はただ鶴目をつかむのみ  と訓読してみました。

 癌と云う病床でご自分の50年の過ぎ来た人生に思いを持つ時に、筆を持てば徒に書紙の山を築き、木刀を持てば上下左右に激

しく動く鶴の目を捉えるようなことばかりに執念を燃やしてきた人生であったと自嘲の思いが起こってきます。しかしその不完全

なままが安然としてあります。

 と、云うように解釈し、味わってみました。

 
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