万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

メル友とのお別れ

2012年09月30日 | Weblog
 昨日(9/29)PM1:30より宗方のT.Fさんの葬儀を若院と一緒にお参りにまいりました。Tさんは行年90才であられま

した。

 Tさんは80才過ぎた頃から携帯電話を持たれ、しかもメールをされるようになられました。ある時、若院が法話で「ボクのメ

ールアドレスは84000×××です。84000とは8万4千の煩悩の持ち主と云う意味です」とお話したら、それを聞いてお

られたTさんが、若院さんのメールアドレスを教えて下さいと云われ、お教えしたところそれからメールが届くようになったと云

うのです。そのメールのやり取りは88才の頃まで続いていたようです。Tさんは何につけ興味心旺盛で研究熱心な方でした。

 葬儀から帰えると、「絵ものがたり正信偈」がドサッと届けられて来ました。若院は夕方の収骨法要にTさんにお供えするべく

最初の1冊を持参したようです。

 Tさんのお家は今はお酒、タバコ、お薬を売っているお店ですが、大正の頃には和菓子も製造販売していました。寺でお供

えする紋菓(落雁)も作っていただいていました。30年位前に先代が下がり藤の紋菓の型が出て来ました。もう使うこともない

ですからお寺へ納めますと、型を下さいました。ですから紋菓の型は今でも寺にあるのです。このようにTさんのお店と万福寺と

はそのような深いご縁が昔からあったのです。ですからTさんもそのようなことからか親しさを最後まで持って下さっていたよう

に思えます。

                                              ありがとうございました。

            
           絵ものがたり正信偈 p32,33
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炉開き(椿)が咲き初めています

2012年09月26日 | Weblog
                         



                                       


 「炉開き」と呼ばれている椿は例年ならば10月に入って咲くと思っていますが、今年はもう次々と咲き始めています。矢張り

四季の移ろいに変化が起こっているのでしょうか、

 「炉開き」とはお茶の世界では初夏から晩秋までは茶釜は風呂と呼ばれる火鉢を使用し、晩秋から冬には炉が開けられて炉に

釜が掛けられます。お茶の世界ではこの「炉開き」には深い思いが込められて来たようです。大体、陰暦の10月の猪の日頃に行

われる重要な行事ですが、その頃に咲いている花なので「炉開き」と呼ばれるようになったようです。

 ですが、今年の開花は炉開きには随分と早い開花です。長い熱暑が続いて急に朝が冷え込むようになった所為なのでしょうか、

歳時記も随分とずれが出始めてきたように感じられます。 


 ○今、口総地区のご門徒の報恩講をお参りしています。10月に入るとと野々江地区、宗方地区とお参りいたします。宜しくお願いいたします。

 ○10月に発行予定の「絵ものがたり 正信偈」、発行所法蔵館さんは大手書店へあちこちと案内を進めておられるようです。東京代官山蔦屋書店に置いて下さるようになったのだと、若院が大層喜んでいます。       
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秋彼岸・報恩講法座

2012年09月21日 | Weblog
            
             山下瑞円先生のご講演
                                      
                                おとき風景
                          

 本日、秋彼岸・報恩講を1座法座で開催いたしました。野々江、浦戸のお世話人さんによって「おもぶりご飯」のおときが作られ供されました。大変おししくいただきました。ありがとうございました。

 ご講師さんは岡山県高梁市淨福寺さんの若院さん山下瑞円(ずいえん)先生、今回が初めてのご来山なのですが、ご尊父の義円先生は長い間ご教導を頂いてまいりました。

 大切な南無阿弥陀仏のお名号のはたらきについて、分かり易くはっきりと、大きなお声でお解きくださいました。清々しい風がやさしく吹き抜けたような有難いご縁でした。南無阿弥陀仏、ナマンダブツ、

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恵蘭 雪月花

2012年09月19日 | Weblog
                     


頂いた東洋蘭の中に「恵蘭」に属している「雪月花」と呼ばれている鉢に花が咲きました。うっとりするような優雅な花、そして

佳香がほのかに漂っています。

 東洋蘭には寒蘭、春蘭、富貴蘭、恵蘭などがあって年中どこかでそっと咲いているようです。

 今日はやっと涼やかな風が吹いていました。恵蘭の花にふさわしいような風でした。


                      
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絵ものがたり 正信偈(しょうしんげ) 

2012年09月16日 | Weblog
                        
                        表紙、白い部分は帯


 間もなく表記のような「絵ものがたり 正信偈 光になった、王子さま」と云う絵本の形をとった正信偈の本が、京都にある仏
書専門の出版社法蔵館から10月10日付けで発行されます。

 実はこの本は当院の若院執持が数年前より思い立って、意訳の作業をしておりました。昨年ご本山でお勤めになられました親鸞聖人750回大遠忌までにと考えていたようですが、絵との関係やいろんなことで遅くなり、やっと10月に発行と漕ぎつけることが出来たようです。

 本願寺8代目の蓮如上人の御働きは筆舌には云い難い程偉大です。その一つが親鸞聖人のいのちの書であります『教行信証』6巻の中に挿入されている「正信偈」(7言120句)を独立させ、矢張り聖人の著作「和讃}を添えて朝夕の勤行にお唱え出来るようにされたことも最大のご業績と云えましょう。
 それ以来500数十年、浄土真宗のご門徒で「正信偈」お唱えしたことのない人は皆無と云ってもいいでしょう。そらんじている人も多く居るほどです。

 聖人が南無阿弥陀仏一つの中にこの私の救いは成就していることをコンパクトにおまとめ下さっているのがこの「正信偈」なのですが・・・、しかし、「正信偈」は漢詩の形式で述べられていますから、意味を会得することは中々難しいと云う難点がどうしてもあります。

 お正信偈さまの意訳も解説書も枚挙にいとまがないほど諸先生方によって何百年の間にご本となっておりますことは云うまでもないことです。

 この度の出版で若院が意図としたところは、可能な限り仏教用語を使わないようにすること、そしてイラスト画を添えることによってお正信偈の心の「ことば」と相まってイメージが膨らむようにすることを終始考えていたようです。
東京で新進のイラストレイターとしてご活躍の市角壮玄(いちずみそうげん)さんと巡り遇い、各頁に素晴らしいイラストを描いて下さいました。

 お正信偈の構成は主として『仏説無量寿経』によってお名号による救いを前半部分にまとめられ、後半部分にはインド、中国、日本に出られた7人の高僧方のお領解(りょうげ)をまとめておられるのですが、今回の『絵ものがたり 正信偈』は7高僧さまの説の入り口の処まででまとめ終えています。高僧説のヶ所についは今後の仕事となるようです。

 昨秋、この素稿を京都の恩師石田慶和(いしだよしかず)教授に見て頂いたようです。先生は「正信偈」に対する熱き思いを語って下さっています。。(本書p44)
 また、いろいろご示唆を頂いております、大阪の釋 徹宗(しゃくてっしゅう)先生からは過分なるご推薦のお言葉を頂戴いたし有難く存じています。(本書p46)
 
 このようなお言葉を頂いたことゝは申せ、「お正信偈」は浄土真宗にとっては大切なご信心の要とでも云えるお言葉が詰まっている偈文、1言たりとも間違いがあってはならないことです。法蔵館では今本印刷が始まり、骰子は投げられたのですが、毎日々々原稿のコピーを開いては眺めている今日この頃です。

 10月中旬にはお届け出来るでしょう。見て読んで味わって頂ければ有難く存じます。


          
          「絵ものがたり 正信偈」本文の1部分(クリックしてご覧ください) 

            
          
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今治組仏教婦人会連盟総会・研修会

2012年09月13日 | Weblog
 昨日9/12(水)、午後1時より当万福寺本堂を会場に今治組(そ)仏教婦人会連盟総会・研修会が開催されました。正午頃より10ヶ寺の単位仏婦から幹部の方々が10数人づつ車で来山されて来ました。110数名の参加を得て定刻に開会されました。
 昭和55年であったと思っていますが、矢張り拙寺で今治組(そ)の仏教婦人会連盟の設立についての準備会が開かれてから30数年になるかと感慨深いものがあります。

 いつの頃からか総会・研修会の会場を今治市市民会館を会場で開催するようになっていましたが、本年度より寺院を会場にし、講師も組内(そない)寺院が当たろうと云うことになり、その1回目として拙寺がお受けすることになったのです。


  
開会式の勤行は「らいはいのうた」、司会は万福寺仏婦の藤原京子さん

                
 今治組連盟会長明専寺仏婦村上明美さんの挨拶、続いて総会が行われました。議長は教善寺仏婦の小池真理子さんが務められ、23年度行事・事業報告、会計報告がなされ承認されました。

                       
続いて研修会。最初に明専寺ご住職によって仏前の作法、たしなみについて分かり易く教えて頂きました。
2番目に法珠寺ご住職よりご法話、「仏教の戒と浄土真宗の他力について」お話になられました。
3番目に当院若院が「如来の家」と云う題で浄土真宗の家庭について語っていました。
 いずれも感銘深く聴聞させていただきました。

                                         

 閉会式には副会長の常寺仏婦の井千穂子さんの閉会の挨拶、連盟長の今治組長常寺さんよりご挨拶があり、最後に恩徳讃を斉唱して閉会となりました。
 皆さんご遠路をようこそご参席下さいました。有難くお礼申し上げます。                  合掌                        
                             
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お手紙の中から

2012年09月10日 | Weblog
                   
                   ランタナは可愛い花、ハーブです


 先々月、アーサー・ビナードさんの原爆資料の写真詩集『さがしています』が出版されたことを機縁として被爆死した綜智兄の

最後について小冊子としてまとめてみました。『母の遺したもの アーサー・ビナードさんの〈さがしています〉に寄せて』とタ

イトルを付けて手作りで製本したものです。50冊くらい作り、私の姉弟や姪甥、親戚、そして親友、御門徒で兄とご縁のあった

方々などに送らせていただきました。

 知友の方から感動的なお手紙をいただき有難く読ませていただきました。2、3紹介させていただきます。

長野県R.Tさんから 
 此の度はアーサー・ビナード『さがしています』の詩集とご高著をお送り頂きありがとうございました。広島の被爆遺品に寄せられたビナードの詩、心にしみました。又、貴君のお兄さん綜智さんについての文章、襟を正して読ませて頂きました。
 原爆投下の翌日、叔母さんが常葉橋の下で綜智さんに会われた場面、まさに奇跡的な出会いであったと思います。広島長崎の皆さんが受けた被害を絶対に忘れていけないと思います。戦争でなくても今般福島の原発事故も同じ原子力の被害に直面しています。学生時代貴君からお兄さんのことはお聞きしませんでしたので本当に驚きました。心からお悔やみ申し上げます。
 又、お父上三智さんの歌の中に信仰に徹した心情を拝し感動致しました。
 光陰矢の如し。小生現役を退いて10年、70才に突入し、人生の終焉もそう遠くないものになりました。歴史を勉強して来た結論として思うことは戦争の絶対否定です。殺し合いをしては反省し、又殺し合いをすると云う愚をもう止めるべきです。仲間と「憲法九条を守る会」をつくり、細々ながら活動を続けています。(中略)
 貴重な資料をお送り頂きありがとうございます。

 山梨県M.Tさんから
  今日は長崎の原爆忌となりました。「さがしています」「母の遺したもの」尊いご本を送って頂き有難うございます。大事に読ませていただきました。二度も、
 お兄様のご様子がよく分かり、御両親、叔母様、周りの方々の心情、それを綴られた浅野様のご両親の思いをそのまゝのようなお気持ちに思わず読み重ねました。
 私の兄のことは、早くに「いしぶみ」という本にまとめられていましたが、60数年たって被爆地が分かられたことを知り、こんなに間近かまでと思いました。いまだ分からない方もおありですものね、
 5日の日に兄のいた観音高校合唱部O.Bの方が毎年歌われる「レクイエム碑」の公演会が東京であり、案内をうけてましたのでお寺の親しい方4人で出かける時、本をお持ちし、その方達にも車中で読んで頂き、思いが深まって合唱を聞かせてもらいました。
 翌、6日の記念式の放送を毎年ならし続けてくれる拙寺の梵鐘の音とともに見ながら又、涙をにじませました。
 うちの孫たちもその6日には読ませてもらいました。今日もありますが、寺のいろいろな集まりで大事に読ませていただきます。今原発廃炉にむけて活動されている方々にも見て頂けたらと思っています。ありがとうございました。

 (M.Tさんのお兄さんも広島で中学1年生で被爆され亡くなられました。)

兵庫県M.Hさんから
  (前略)「さがしています」の写真詩集と「母の遺したもの」をお送り下さり、即座に読み通しました。本当に心打つ素晴らしい詩集と兄上様の当時の様子を述べられた冊子に涙があふれました。改めて反核、反戦をしていく気をいただきました。
 丁度若い者(後住、坊守、小5、小2,5才)が8月15日にお盆参りを終えて広島の原爆平和資料館へ行ったようで、私がよかった、よかったと思ったところでしたので、この本と冊子を読んでもらい共感を得ることができて良かったです。

広島県S.Tさんから
  (前略)ご編纂の「母の遺したもの」と童心社の「さがしています」ありがたく拝受いたしました。こゝ数年、戦争体験者の発言が多くなりました。消し難いと思われる経験が、いつの間にか60年も時間を関してみると忘れられ、「いつ戦争があったのですか」「どこの国が相手だったのですか」と問う若者が現れています。これではいけない戦争体験を語ることは自分が悲劇の主人公として同情を乞う姿になりはしないかと考えていた人達も戦争の悲惨さを知らせることは戦争を否定する心を生むのだと思い始めたからだと思いますし、経験者が高齢化し、今云っておかねばと云う想いが強くなったからでしょう。
 綜智さんは昭和8年1月生まれで中学1年生、当時中学3年生以上は男女共に軍需工場等に動員されていましたから中学校には疎開していない1年生と2年生がいるだけでした。それが防空壕堀り、開墾、そして建物疎開等短期動員に当たりました。日本中、都市部の中学校1年生のほとんどがこれです。その結果広島市内の中学1年生は元気な者の全てが被爆者になりました。私は昭和6年8月生まれで2年生でしたが1年生の終わりに東京で建物疎開を経験しています。もし広島の中学に居たらと江田島に帰って被爆の実情を見、年回法要で見る家族の嘆きに接すごとに厳しく思い続けています。私の同級生に高射砲に当たって死んだ者がいます。当時の日本の高射砲は3、4千㍍しか届きません。B29は1万2千㍍上空を飛んで来ますから届くわけがありません。弾はその最高点まで行くと何も当たらなくても爆発するようになっています。ところが不発弾があってそのまゝ落ちて来ました。落ちた所に家があってそこで爆発しました。私の友人はその破片に当たって死んだのです。死の縁無量ですが、その縁をよび起こす戦争こそが「因」であろうと思います。
 「柳行李にあった〈綜智の着衣〉と書かれたビニール袋の下りには胸を締め付けられる思いがしました。父君のお歌は前に歌集で見たと思いますが、あらためて涙したことであります。私も81歳になりました。綜智さんも80の老僧になっておられることでしょう。
 綜智さんの軍手がアーサー・ビナード氏の目に止まって平和への詩となったように、多くの人の指標となって欲しいものです。(後略)


 お電話や口頭でもご感想を聞かせて下さいました。有難く思います。

 兄が存命していたら、丁度80才です。そうすれば私は今どこで何をしているでしょう・・・・、

 この寺の住職を拝命してもう40年近くになります。その間、私なりにいろんなことをして参りました。そんな折、兄さんだっ

たらどのようにしただろうかなどとしばしば思ったことでした。この度の冊子についてもどうでしょう、「まだ、ボクのこと覚え

ていてくれたのー」とでも云うでしょうね、

 あれから67年も経っているのですから。このご縁を有難く思います。ありがとうございます。
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秋色

2012年09月08日 | Weblog
 9月8日(土) 残暑が厳しいことです。皆さま、猛暑の夏を越えられたこと同慶に存じます。私もどうにか熱暑を凌ぐこ

とができましたが、脳みそがふやけたような感じがして何やらしまらないのです。このブログもこんなに長く書かなかったことは

かってなかったのですが、どうも集中力がありません。夏のお疲れとでも云っておきましょう。涼しくなれば元気になるでしょ

う。

 今朝久し振りにカメラを持って境内を回って見ました。矢張り残暑が厳しいとは云え着実に秋の足音が近づいております。


                           
                           今夏2度目のノウゼンカツラが咲いています。



      
      縞茅(しまがや)の穂、空の色が秋です。


                             
                             芙蓉


            
            秋のバラ

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9月の法語

2012年09月01日 | Weblog
                             
                              9月の法語

 9月になったように朝夕が少し凌ぎやすくなってまいりました。熱帯夜から温風の朝風を感じては今日も耐えねばならないと、

心身に言い聞かせていたことから開放されることでしょう。

 法語カレンダーを9月にめくりました。

   如来の願船(がんせん) いまさずは(ば) 
      苦海(くかい)をいかでか わたるべき   (正像末和讃)

 このお言葉は『正像末和讃』98首目の和讃からの選ばれています。「愚禿悲嘆述懐」(ぐとくひたんじゅっかい)と親鸞聖人

自らが題されて16首制作されて『正像末和讃』の末尾に編されている中の1首からです。

 この愚禿述懐和讃の後書きにこのように申されています。

 「以上十六首、これは愚禿(親鸞)がかなしみなげきにして述懐としたり。この世の本寺(ほんじ)本山のいみじき僧(官位のある立派な僧)ともうすも法師ともうすもうきこと(なげかわしいこと)なり」

 と、当時の日本の仏教界を厳しい目で見られ、そしてまたご自分自身の宗教的能力の欠如を悲嘆されつつも、今弥陀の大慈悲に

遇えたご縁を歓喜讃嘆されているこの一群のご和讃は親鸞聖人のみ後を慕う上から云っても看過できないものなのです。

 このご和讃のすべてを挙げておきます。

    小慈小悲もなき身にて
     有情(うじょう)利益(りやく)はおもうまじ
     如来の願船(がんせん)いまさずば
     苦海(くかい)をいかでかわたるべき

 私なりに味あわせていただきますと、常に我執に濁っている心を持つ私なのですから、「私が救ってあげます」とか「私を頼り

にしなさい」と云うような大それたことは思うべきではありません。如来さまの必ずあなたを救いますよ、と云う大船のようなた

のもしい願いに乗らせていただき、この渡り難い憂悲苦悩(ゆうひくのう)逆巻く荒波を親も妻(夫)も子も孫も、師も友も隣人

も一緒に渡らせていただきましょう。

 この和讃の心を明如上人(本願寺21世門主。明治時代)がこのようなお歌にされています。

   法(のり)の舟にあわずば 我も苦しみの うみにいつまでしずみはてまじ  光尊(明如)

 この短冊に書かれている詠歌については以前にもこのブログで紹介したことがありますように拙寺に蔵されています。
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