深山のH.Sさんが去る9/30逝去され、10/2大翔苑で葬儀が行われました。
H.Sさんは戦後、大三島の奥地である深山地区に家族で入植されて山間地を開墾し農業経営をされて来ました。今は深山地区へ
入る所にダムが建設されダムまでの道は快適な道路となっていますが、深山の集落(6、7戸)から奥の道は4㌧車くらいが精一
杯の道路です。その険峻な道を数㌔登った所にH.Sさんの家があるのです。その家で3人のお子さんが大きくなり、孫さんたち
も大きくなられました。
台ダムからH.Sさんの家までの道はカーナビには表示されない道なのです。何故なら、この数㌔の道はH.Sさんが建設した私
設道路なのです。昭和40年代にH.Sさんがほんとんど一人で行政の援助もなしにブルトーザなどを使って切り開いた道であっ
たのです。何年も何年もかかったに違いありません。私はこのことを聞いた時、耶馬溪に住民のためにトンネルを掘削した僧善海
のことを思い起こしました。
H.Sさんのお考えのスケールの太さと信念の固さには驚きました。その道をお子さんたちも孫たちも学校に通ったのです。地
区の人たちの仕事も生活も格段に便利になりました。今でも少し広げたくらいでそのまま使われています。頭が下がります。
H.Sさんが93才で亡くなられるまで続けられたお仕事は「養蜂」でした。30箱くらいもある巣箱に蜂が飼われていまし
た。この養蜂もどこまでも蜂を大切にする方法に徹しておられました。自利利他円満そのものと云えると感じていました。
このH.Sからは本当に多くのことを教えられました。「北の家族」ならぬ「深山の家族」です。長い間ご苦労様でした。あり
がとうございました。
台ダム、右手奥が深山地区、約2㎞山道を登るとH.Sさんの家に至ります。