先日、広島平和記念資料館より贈って下さいましたアーサー・ビナードさんの写真詩集「さがしています」に促されるように兄
綜智の被爆とその最後についてまとめておこうと思い立ちました。
平成13年に死去した母の持ち物、一合の行李の中より大切に袋に包まれ「綜智の着衣」と書かれた被爆着衣、それを後日平和
資料館へお預けしたことから兄のことに新たな展開が始まったのでした。兄が原爆投下時どこで作業をしていたかと云うことも、
被爆後どの様な状況となったかと云うことも、そのことを生存されている僅か4人の中の竹本さんと云う方がお電話下さったので
した。このことは両親が生存中にはどうしても知り得なかったことだったのです。崇徳中の1、2年生の510数名と7人の先生
は全滅したのだと云うことだったのです。
そしてこの度は兄の被爆した少年用の小さな軍手が米国人の詩人アーサー・ビナードさんの目に留まり他の13点の被爆資料で
もって「さがしています」と云うタイトルで写真詩集が出版されたのです。
原爆投下から70年近く経った今もこのように展開されていることに促されて、兄のことについてまとめてみました。パソコン
を駆使して編集、印刷、製本と全て手作りです。僅か20冊を製作してみたのですが、増刷は可能です。兄と原爆については私に
とってこれが最初で最後のものになることでしょう。
もし、読んでみたいと云うご希望の方がおありでしたら、eメールを下さいましたら送らせていただきます。
この写真は当時の兄姉と写った最後の写真です。昭和20年の3月、
右が兄綜智、左は姉、勿論、真ん中は3才の私(住職)です。
どうにか冊子が出来て庭に出てみると時計草の花が笑っていました。