万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

地方祭(10月7、8日)

2006年09月27日 | Weblog
 大三島の秋祭りは、島内の各地域でおこなわれる「地方祭」と、大山祗神社でおこなわれる通称「宮浦まつり」からなります。今年の地方祭は10月7,8日、宮浦まつりは10月14,15日におこなわれます。
 万福寺のある口総の祭りのクライマックスはなんといっても宮入です。深夜0時近く、終を惜しむかのように、「六本橋」のうえで、踊り子が舞い、獅子舞のハヤシが響き、神輿が神楽に導かれ揺れ動きます。それぞれの音色が混ざり合い、なんともいえぬ夢うつろな世界が現れます。
 ホラ貝の合図によって、集落から離れた神社までの参道、そして山の尾根にいっせいに、かがり火が灯されます。煙と炎の道を祭りの一行が駆け抜けていくのです。
 余り知られていませんが、幻想的な祭りとしての素晴らしさは、かなりのものだと思っています。(若)
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ウッドクラフト

2006年09月25日 | Weblog
ウッドクラフト(木材を使った作品)を製作している「カナイ実」と云うアーテイストが大三島に住んで居られます。
 カナイさんは九州の人なのですが大三島が気に入られて宮浦の海岸近くに居住して製作に励んで居られます。生活は種々アルバイトをしながら様々なクラフトを製作しては展覧会に出展、賞も何度も受けておられます。
 写真の作品は「林檎と蓮」と云う題ですが、木材の軟らかさが出てすっきりとした出来栄えで、添えに置かれているデフォルメされた木製の「蟻」も面白いと感じました。
 「カナイさん」とは旧本堂の解体作業にアルバイトに来ておられて知るご縁があったのです。温かいご声援をお願いいたします。 
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お彼岸に想う

2006年09月24日 | Weblog
秋日和のお彼岸に恵まれて心身ともにリフレッシュした感じがします。
 ふと高楠順次郎博士の申された言葉を思い出しました。お著書で読んだものなのですが、 「世渡り上手と称されている人は実は世に流されているに過ぎない。世流れ上手と云うことでどこに流されているか分らない。本当の世渡りと云うのは自分の人生の行く所がはっきりしてこそ世を渡ることができるのだ。」と、云われていたように記憶している。
 高楠順次郎博士が書いて下さっている帙(ちつ)(先代が頂いたもの)を出して眺めて見ました。よくは読めませんが次のようです。

   道を貴ぶところは空有かねて忘るゝにあり。
   行を重ねるところは真仮ともに照らすにあり。
        大正十四年秋於武蔵野女子学院
             雪頂道人高楠順 花押

 と、読ませて頂いた。このお言葉に厳然とした高楠博士(明治大正昭和と活躍された世界的仏教学者)を垣間見る思いがする。広い寛容の心情と分別を超えた理性を磨くことに立脚することを申されているのではないだろうか。
 このような思いがふと起こったのも涼しくなった秋彼岸なる故だろうか。                    稽首 (住職)
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西本願寺ご影堂

2006年09月18日 | Weblog
 私どものご本山である京都西本願寺のご影堂(親鸞聖人の御影が奉安されている御堂)の10年にわたる大修復工事が9割近くできあがってきました。今あの大屋根をすっぽりと覆っていた巨大な素屋根が撤去されつつあります。
写真は昨年の7月にご門徒の方々と参詣した時に大屋根の足場の軒下まで上げてもらって見学した時のものです。ご影堂向って右の隅木と隅鬼です。巨大さに驚きます。大屋根のの軒まで上がれるようなご縁はもうないでしょうからこの写真は貴重なものとなりました。

○昨夕から今朝にかけて台風13号の風が吹き荒れました。被害に遭われた地域の方々には甚深のお見舞いを申し上げます。幸いなことに大三島には被害なかったようです。ご安心ください。
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萩の道

2006年09月09日 | Weblog
昨日まで急速に秋の足音を感じておりましたのに、今日は一日不快指数が高く蒸し蒸しする日でした。
 昨日のこと秋を感じて長瀬海岸へ抜ける堀切道へ萩を見に行きました。予想通り道の両面に萩が咲きこぼれていました。眺めながら静謐の時にひたったことです。
 萩の咲く風景を見ますと何時も「奥の細道」に収録されている芭蕉に随行した曽良(そら)の俳句を思い起こします。

 「曽良は腹を病みて、伊勢の国長嶋と云う所にゆかりあれば、先立ちて行くに、
    行き行きてたおれ伏すとも萩の原   曽良
  と書置きたり。行くものゝ悲しみ、残るものゝうらみ、隻鳬(せきふ)のわかれて雲にまようがごとし。予もまた、
    今日よりや書き付け消さん笠の露       」

 ご師匠さまに最後までお世話ができず面目なく申し訳ありません。お許し下さい。私のことならご心配くださいますな、どこで倒れ、息絶えようとも萩の花の中です。どこで倒れようともお浄土のまっただ中です。阿弥陀さまのおいのちのまっただ中ですから、切にご放念下さいますように。
 と、曽良は五七五に託して言っているように思える。また、添えられている師匠芭蕉の句もよき伴侶と別れる寂寞感がにじみ出ていて胸打たれることである。
コメント (2)
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防水工事

2006年09月04日 | Weblog
 8月末に地下部分外壁に防水シートが貼られ、工事用堀に水が入れられて水圧テストが行われました。異常なし。
今日は地下に埋まる外壁部分に断熱材が貼られ、明日からは工事用堀の埋戻し作業のようです。
 7月の鉄筋、パネル工事の頃の猛烈な暑さを思うと嘘のような涼しさとなってきました。もう萩の季節です。
   
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風の盆

2006年09月02日 | Weblog
 昨日1日より3日まで富山の八尾では「おわら風の盆」である。10数年前に同期生である八尾勝福寺の住職藤島秀天師のお招きで「風の盆」を観覧する起縁に恵まれた。聞きしに勝る心にしみ入るおわら節の音曲と鳥追笠の青年男女たちの優雅な踊りに魅せられてしまった。立山から吹き下ろす快い秋の風にまかせて夜の更けるのも忘れて見入ったことがある。
 それから1度ご門徒の人たちにも案内しようと思いたち、平成11年の「風の盆」に出向いたのである。参加者が思いの外多くて2台のバスで70数名となってしまったが、藤島秀天師ご夫妻は快く本堂を宿舎に提供下さり、夕食、朝食の2食まで賄ってくださったのである。今思っても恐縮、忝ないことであった。
 それにしても最初の観覧から数年後の平成11年の折の観客の多さには驚愕するほどで帰りの迎えのバスを待つのに2時間を超えるほどであったことが忘れられない。今はもっと多いのかも知れないなどと懐かしむことである。
 風の盆踊りは当初は八尾の坂の町の入り口にある浄土真宗の古刹聞名寺の境内で踊られていたものがいつしか坂の町全域で踊られるようになったと云う。伴奏に胡弓が使用されていることもあって非常にナイーブな音曲、歌詞は恋歌であるから一寸艶やっぽくてまた宜しい。夜半の秋風にフトおわらの胡弓の音が遠くで奏でられている幻聴を覚える。(住職)
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住職在任30年

2006年09月01日 | Weblog
 先日、本山から宅配便で小さな包みが一つ。開いてみたところ、住職在任30年の記念品と賞状が入っていました。もう30年にもなるのですね、そうすると坊守も30年おつとめしたたことになりますね、などと母と話しながら、念珠を桐へ、賞状を筒に戻しました。しかし、おかげで30年の節目とご苦労に送ればせながら気づかせていただきました。
 父は35才で住職を継職し、早30年。当時5才だった私もその歳になりました。
 夕方前「せっかくだから今日は食事にいこうか」と母と話し合い、法事参りから帰ってきた父を誘い、車に乗り込みました。車中、父は「今日はなんで外食なのか?」と不思議そうでありました。
 写真は、当山 経蔵から眺めた口総・平尾辺りの集落です。万福寺にお参りの方で、あのひときわ高い建物は何かと不思議に思われる方も多いようですが、住職継職記念事業の一貫で建立された、お経を収めた建物です。生涯経典をよりどころに歩んだ前住(祖父)の思いを引き継ぐお堂でもあります。ですから同じく築30年になります。(若院)
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