万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

新年の準備

2011年12月31日 | Weblog

                     お正月のお荘厳(しょうごん)完成

 昨日(30日)まで法務に出ておりましたからお内陣の準備は若院夫婦がしてくれていました。住職は仏華を生けるだけになっていました。
 ご本尊前に2瓶、祖師前と蓮如上人前に1瓶ずつ、納骨堂へ1瓶ずつ、都合6瓶生けました。若松を真に葉牡丹、菊、水仙、百合、仙料などを添えました。しまりの無いお花になりましたが勘弁願うことにしてお供えいたしました。
お供えのお餅をお供えし、葉付き橙を置いて完成です。
 山門と向拝に紋幕を張り、篝火と境内の照明を設置して除夜の鐘、それに続いて修正会を待ちます。今晩は寒くなりそうです。暖かくしてお参り下さい。除夜の鐘は11時45分から撞き始めます。修正会(しゅしょうえ)、新年最初のお参りを「正信偈」をご一緒にお参りして住職がご法話でもって新年のご挨拶をさせていただきます。
 去り行く1年ようこそこの拙いブログにご縁を持ってくださいまして有難うございます。来年も体力の続く限り続けて行く所存です。来年も宜しく! 
 それでは皆様よきお歳を、よき新年をお迎えくださいますように、
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木村淡陽さんの書

2011年12月27日 | Weblog
                   

 先月の11/4~6の3日間今治の河野美術館で「書神会織田蘭齋一門展」が開催されました。その書道会の会員の木村淡陽(誠行)さんからご案内をいただき観覧に参りました。
木村淡陽さんは県庁に勤務されていましたが、定年後今治を拠点とされています織田子鵬先生そして蘭齋先生の元で書道の研鑽に励まれています。以前にも一軸頂き紹介いたしましたが、今回観覧に参りましたらその展示の額仕立ての作品と他の軸表装の作品を12/25日にお持ち下さり寺に納められました。
 お話を伺いますと、木村さんは中国の碑文書「張遷碑」(ちょうせんひ)を探求、臨書を続けられて来られた由、「張遷碑」の特徴は優美華麗な書体とは真反対で古朴、古めかしい味と素朴さがある書体であるとのこと、その古朴さにひかれて今日まで研鑽されて来られたとのことです。
 「清浄無為」の言葉については頂いた解説によりますと、「清浄にして無為。無欲無為であること、心が清らかで欲がなく、自然にまかせて作為するところがない態度をいう」とありました。道徳の極みとも云うべき心もちを意味して漢籍に見られる語彙のようです。
 仏典にもこの言葉はしばしば見られる言葉であることは云うまでもないことです。「無為」は「為すべきことを全て為し遂げた」と云うことで「さとり」を意味しています。「さとり」は「清浄無比」である。また、「清浄無比」なるものは「さとり」であると云う意となります。
 この「清浄無為」を誰でも知っている逆の言葉で云えば「いろは歌」の「有為の奥山」の有様のことになるでしょう。為さねばならないことが次から次にあって、奥山(深山)に迷い込んだような状態のことです。

 木村淡陽さんの「清浄無為」の朴として暖かみの感じられる書を拝見しながら様々な思いが込み上げて参ることです。いつまでも保存させていただきます。 多謝
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祖父の決断

2011年12月25日 | Weblog

             
             慈朗作茶合 表面
                                      
                                      茶合 裏面

 現住職である私の祖父は当山11世慈朗と云います。私が生まれた昭和17年より20年前の大正11年の秋に38才で早世しておりますからその人物については古い人の話や残されている遺品を通してしか知ることは出来ませんし、孫の私が古希の齢ともなりますと祖父のことを知っている人はもう皆無となりました。
 数年前に祖父の生家であります広島県江田島の教法寺のご住職(母と従兄弟)鷹谷俊昭師が祖父慈朗製作になる煤竹の茶合(ちゃごう)を「これは万福寺が持っていた方がいいと思う」と申されて下さいました。
 その茶合の背中面に唐代の廬僎の詩「南楼望」が刻られています。そして腹面には白楽天の「慈烏夜啼」の詩5言18句90字が刻り込まれています。いずれも明治己酉とありますから明治42年春の頃に刻られたもののようです。その頃、祖父慈朗は大三島の万福寺へ入寺することがほぼ決まりかけていた頃で故郷を離れる心情と体の弱い母と別れて行かなければならないと云う辛い思いを廬僎と白楽天の詩に託して教法寺の居室に置いて出立したものと推察されるのです。

    南楼望   廬僎
   去國三巴遠 登楼万里春 
   傷心江上客 不見故郷人
    明治己酉  竹芳写   (竹芳は慈朗の雅号)

    慈烏夜啼    白楽天
   慈烏失其母 唖唖吐哀音 昼夜不飛去 経年守故林
   夜夜夜半啼 聞者為沾襟 声中如告訴 未盡反哺心
   百烏豈無母 爾独哀怒深 応是母慈重 使爾悲不任
   (以下略)
    明治己酉仲春 於教法精舎階上 慈朗

 会ったことのない祖父慈朗の26才頃の作品と心情に想いをめぐらします。大正11年その慈朗は生家の母より早く38才で早世して行ったのでした。

祖父慈朗が大三島万福寺在職年数は26才から38才までの僅か12年でありましたが、今遺されている事物を想います時、祖父は12年間を猛烈に走り続けていた人であったように思えます。このことについてはいつか機会を見て纏めておこうと思っています。
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山茱萸(さんしゅゆ)の実

2011年12月20日 | Weblog
                 
                 山茱萸(さんしゅゆ)の赤い実

 落葉した木々の下に赤い実が冬の日に照る姿を見せています。南天。万両、仙料、山茱萸など。
今年は山茱萸の実が驚くほど沢山実って赤く照っています。植物図鑑の牧野富太郎先生は中国名の「山茱萸」は相応しくないからとして「春黄金花」(はるこがねばな)「秋珊瑚」(あきさんご)の呼び名を与えたことを記しておられますが、これが果たして一般化したものかどうか寡聞にして知り得ません。しかし、牧野先生の呼び名は分かり易くて親しみが湧いてきます。

 宮崎県椎葉地域の民謡、「稗搗き節」(ひえつきぶし)に唄われる「庭のさんしゅうの木、鳴る鈴かけてヨ・・・・」の「さんしゅう」は山茱萸のことかと思っていましたが、これは「山椒」のことだそうで、椎葉村辺では「山椒」を「さんしゅう」と訛って呼ぶのだそうです。

 ともあれ山野の落葉樹が落葉し裸木を晒して寒々とした景観の中に赤い実が見えるのは心温まる心地がいたします。

 今年も暮れて参りました。寒い年末になりそうです。インフルエンザも広まり始めたとのこと、十分にご用心下さいますように、
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’11メリシャカライブ

2011年12月18日 | Weblog
                  
                (クリックしてください)

 本年も12月23(金)pm3:30より本願寺聞法会館において第3回メリシャカライブが開催されます。
 出演 ○ミュージシャンは曽我部恵一、Nabowaの2組  
    ○読経と法話は本願寺派の若手僧侶
    ○パネルデイスカッション MC木下明水師、パネリスト福間義朝師

 今回で3回目になるのですが、音楽ライブに遠くからもやって来られるようです。法話やデイスカッションにも随分と感動して帰る人が多いそうです。
 関西方面に居住の方、参加して見られては如何ですか、人生を生きる何らかの指針が見いだせると思います。
  当日券は3,500円(1ドリンク付き)です。
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師走の椿

2011年12月16日 | Weblog
                  
                  数寄屋侘助(すきやわびすけ)

 12月ももう中旬、紅葉は落葉盛んです。師走の冷たい風にもめげず椿たちが咲き競い始めました。
 今咲いている椿を数種アップしておきます。名前については確かでないものには「ヵ」をつけています。
 四季折々に私たちの身の回りにいろいろな花が咲いてくれます。ホンワカした春も、シトシトジトジトと雨降る雨期も、猛暑で倒れそうになる夏も、心身がジンジンとなる秋も、体も精神までも凍てつくような厳冬期にも、どこかで花が咲いています。パーッと咲く花、ソーッと咲く花それぞれですが、私たちの日暮が花に勇気ずけられ、慰め癒されることが多いように思います。
 岡倉天心はその著『茶の本』の中でこのように云います。
 「ある時、人は野の花を手折って捧げ持った。その時から人は獣ではなくなったのである」と、

                      
        絞り雲南椿(うんなん)
                                        
                            覆輪侘助(ふくりんわびすけ)


          
         八朔絞り(はっさくしぼり)ヵ
                               
                               雛侘助(ひなわびすけ)ヵ

                  
                  霊鑑寺散り椿(れいかんじちりつばき)ヵ
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坂出市西招寺(さいちょうじ)

2011年12月13日 | Weblog
 
                  上棟式勤行

 12/12(月)、今日は坂出市林田町西招寺さんへ早朝発って参りました。西招寺(さいちょうじ)は拙寺の次男恵真夫婦が一昨年より入寺して住職を務めさせていただいている寺です。(9月に営んだ秋彼岸報恩講法座の講師として来てくれました)朝10時より当寺の庫裏の建物と住職居住棟との上棟式が行われるので坊守と出向いたのです。
 数年前より境内並びに建造物の整備事業計画がたてられ進められて来た最後の事業が庫裏などの改築事業なのです。
 開式には少し遅れて着きました。柱や屋根組がされているその下にご絵像が奉安されたその前で住職(恵真)、前住様、清立寺様による読経が始まっていました。総代さん、建築委員さん、世話人の方など約40名列席されての式が進められました。
 棟梁さんによる棟木締めの儀、隅餅棟餅(すまもちむなもち)が総代さんと住職によって捲かれて無事上棟式が終わりました。来年の5月頃完成予定とのことです。

    
      棟木締めの儀

 既に修復された鐘楼と山門を見せてもらいましたが立派に修復されていました。もともとが立派な建物だけに風格のある姿に修復されています。
 また、境内の周囲にめぐらされている土塀の基礎石は黒曜石(サヌカイト、土地の人はカンカン石と呼ぶ)が使われていて珍しいものです。

      
修復された山門              山門と鐘楼

                
                 サヌカイトの土塀礎石

 法然上人の讃岐への流罪に起縁して草創されたと云う言い伝えがあるそうで、江戸初期の頃浄土真宗に転宗した歴史があるようです。

 恵真夫婦がご門徒の方々と親しく支えられていることを垣間見れて嬉しく思いました。坂出の方へ行かれることがありましたら寄ってやって下さいませ、喜ぶことでしょう。坂出市の東部に位置する林田町です。
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霜月16夜は皆既月食

2011年12月11日 | Weblog
          
   pm8:00頃
                            霜月の皓々と冴える満月 


昨夜は晴天に恵まれて霜月十六夜の月の皆既月食ショウを家族4人で観劇出来ました。
今朝、6:50、鐘楼に上がって空を見ると空一杯に雲に覆われていました。有明の月は見えません。昨夜のことが嘘であったかのように、目覚めの私には夢か幻であったかのように一瞬思えたのですが、カメラには昨夜のことが確かに残されていました。
 pm10~11頃のお月様は中天にかかっていて三脚セットしたカメラのレンズを真上にむけなければなりません。アングル自由のファインダーを持っていないものですから被写体の月を探すのも、三脚が動かないように他の2人が押さえていてシャッターを押します。月食が進んで行くに連れて暗くなりますのでシャッタースピードを落として行かなければなりません。
 いい写真ではありませんが、私の記録写真としてはどうにか撮影出来ました。3人がかりで、


                             
                  pm9:50~10:30頃

                              
                                      pm11頃  


                    
                      pm11:10頃

 (撮影時間はいずれもアバウトです。露出は感で設定しました。)
 月食が始まる頃には一片の雲もなく十六夜の月は冴え渡っていました。200分の1のシャッタースピードで撮っても遅いくらいでしたが、月食が進むに連れてシャッターを段々遅くせねばなりません。それに連れて空の星の数が増えて行くのです。皆既月食になりお月様は赤く薄いベールに覆われたように見えました。その薄赤いお月様が天空の中心にあって星が一杯にまたたく天空が現出したのです。4人は感嘆の声を思わずあげていました。
 皆既月食の天体ショウの後半部分は睡眠時間が必要なので見ませんでした。悪しからず。
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もみぢ葉

2011年12月08日 | Weblog

もみぢ葉が紅葉しています


          いてふも黄葉しています

 先日の土曜日に京都で見た紅葉は真っ盛りのようでした。拙寺の紅葉は紅葉したりまだ進行中だったりで京都よりは遅いようです。瀬戸内はどちらかと云うと乾燥地帯ですから深山や京都のように湿度が多くないせいかもう一つ鮮やかな紅葉にはなりませんが、それでも眼識を通して心に強烈な刺激を与えて来ます。
 「もみじ」と呼ばれている木も「かえで」と呼ばれている木もすべて「かえで科」に属しています。真っ赤に紅葉する「もみじ」、葉っぱが小振りで7裂片の形状をしている葉を「たかおもみじ」と呼ばれているとのことです。「たかお」は京都の紅葉の名所「高雄」に沢山自生していて一層きれいなことから「たかおもみじ」と呼ばれはじめたようです。このもみじは全国の山や庭に見られる「もみじ」なのですが・・・・、また、「たかおもみじ」を「いろはもみじ」とも呼ぶこともあるようです。それは手のひら様の裂片が7つあることを「いろはにほへと」の7字に掛けての呼び名だそうです。
 葉っぱの形状が少し大きくて5裂片のものは「やまもみじ」の範疇になるようです。
 これらを総称して「かえで」と呼ばれるのですが「かえで」は「蛙の手」のような葉っぱが転化した呼び名であることは大いに納得できます。

       

       


                  
              左上の葉は「板屋かえで」、右の2枚は「面河かえで」
              下の4枚は「たかおもみじ」
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龍の親子(りゅうのおやこ)

2011年12月06日 | Weblog
                   
                  折り紙 龍の親子 

 過ぎた10月のことですが、口総の重松さんのお宅のご法事にお参りしましたら、重松家に生まれ東京にお勤めをされ東京で結婚された重松鈴子、今は高山鈴子さんが帰郷されていました。いろいろとお話をうかがいました。折り紙アートをされていて今では「折り紙教室」で指導されたり、展覧会を催したりしておられることを聞かせていただきました。色紙に貼られた作品を2点いただきました。
 一枚は「龍の親子」が折られています。もう一枚は「いのり」と題された清楚な尼僧が折られているものです。
 このような高度な折り紙になりますと随分と頭脳と指先をはたらかせなければ出来ないものだと思います。チョッと気が遠くなります。
 来年は「辰の歳」に当たるので「龍の親子」の作品を下さったのでしょう、お正月には玄関に飾らせていただきます。有難うございます。

                    
                    尼僧「いのり」
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