万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

仏教婦人会法座並びに初参式のご案内

2015年06月26日 | Weblog

明日6月27日(土)午後1時より、45回目になる仏教婦人会法座を営みます。また、午前11時からはお子さんたちの初参式を行います。お繰り合わせの上、お参りお聴聞下さいますようにご案内申し上げます。

 ご講師はお馴染みの岡山県高梁市の山下義円先生です。力強い法彈にお遇いくださいますように。

 

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お花の恩恵

2015年06月23日 | Weblog

      

 京都へ終日行っていたに21日(日)留守中にお花が一鉢届けられていました。父の日のプレゼントです。真っ黄色なオンシジウームと云う蘭です。父親らしいこともしていないのにプレゼントされて勿体ないことです。ありがとう。

                      

 一昨年、庭に桔梗の苗を5株を処々に植えました。毎年紫の花を咲かせてくれます。紫色は目を引きつけられて、心にゆたかさとぴっしり感が伝わってきます。今年の開花は少し早いように思えます。 

            

 今年もミニ睡蓮が端正な花を咲かせてくれています。ありがたし、  

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六条坊門小路、楊梅小路

2015年06月22日 | Weblog

 離郷門信徒の集いを終えて時間があれば今調べている平安時代中期の人物慶滋保胤(よししげのやすだね)の居宅である「池亭」のあった場所に行って見ようと思っていました。日没にはまだ時はありますし、雨も降っていませんので、坊守り、若院と分かれて一人で歩いて行って見ることにしました。西洞院通りを今の五条通りに上る辺りになると目測をつけて歩き始めました。       池亭の住所は『二中歴』と云う平安末期頃の百科事典に記されていました。それはこのような住所です。「六条坊門南、町尻(小路)東隅、保胤宅」この住所をを今の京都の町並みに置いて当時の状態を思い描いて見るという試行なのです。平安京として内裏を中央の北に置き中央に道幅87,8㍍にもなる朱雀大路を羅城門を起点に南北に走らせて大内裏に至り、その左右に左京、右京と街を区画して、東西南北大路を九本づつ通し、その大路と大路の間に三本づつの小路を通して平安京は区画構築されたのですが、平安期末頃よりその街並みは様変わりして、そして応仁の乱では京都のほとんど全域が焼け落ちてしまったといいます。ですから平安時代中期の地名を今の京都の地名から探し出すことは中々難しいことです。ですが、当時の小路名が今もそのまま使われている小路が多くありますのでほぼ見当がつきます。 慶滋保胤が永観の頃より寛和(984~986)にかけて撰述完成させた『日本往生極楽記』はこの地に於いて執筆されたことに思いを馳せることができました。この往生伝の撰述は以後何代にもわたって御所出仕の文官たちによって受け継がれることになるのです。保胤のこの往生伝の執筆に対する真摯な姿勢と自己への厳しい洞察と自己否定の論理が、当時の周囲や後世の人々に与えた影響は計り知れないものがあります。慶滋保胤のような謹厳で且つ、リベラルな考え方が熟成して所謂。鎌倉仏教に展開しているように思えます。  

 

               

 東西の通り楊梅通り    南北の通り室町通り   南北の町尻小路(現新町通り)

新町通りは平安時代の町尻小路であろう。これらの通りに東西南の3方を面し北側が六条坊門小路に面していた。六条坊門小路は現五条通りの南側歩道辺であったと推察される。

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離郷門信徒の集い(永代経法要)

2015年06月22日 | Weblog

               

 

6月21日(日)午後2時より本願寺安穏殿、御影堂、聞法会館などを会場として第5回万福寺離郷門信徒の集いを行いました。予報では当日は豪雨のことでありましたが、雨も上がり傘も開けることもなく、好天気でありまた。 住職、副住職、、坊守の3人を含めて60名が本願寺に集いました。今までで最も多い参加で盛会でした。互いに旧交を温め合い、住職の開会の挨拶に続いて、ご一緒に「正信偈さま」を声高らかにお参りしました。 法話は若院がし、心を打つものがあったようです。

 会場を阿弥陀堂に移って本願寺式務部による永代経法要、全員の焼香。法話。御影堂にお参りして、御影堂向拝で記念写真を撮りました。

会場を聞法会館の1階和室に移って会食懇親会を開き、開会の挨拶後、乾杯の音頭を菅悦宗さんがされて懇親会がが始まりました。あそこでも、ここでも笑い声や懐かしい話に盛り上がり時が過ぎていきました。来年もまたここで会いましょう!お体大切に!と声を掛け合いながら散会致しました。

                         

                安穏殿での法話 若院   阿弥陀堂での永代経法要  懇親会の始まり、乾杯                                         

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団体でご来山

2015年06月22日 | Weblog

5月29日(金)、三原市大和町の徳正寺仏教婦人会な方々40名がご参詣になられました。徳正寺の住職は万福寺住職の末弟になります。昨年、後住(次代の住職になる人)に恵まれてほっとしたような風が感じられました。短時間でしたがくつろいでいただきました。

               

 

6月19日(金)、三原市本郷町の西念寺さんの仏婦、仏壮の方々24名がご住職、副住職さまと共に

ご参詣になられました。数ヶ月前に若院が布教でお伺いしたことがご縁であるとのことです。西念寺さんの隣寺寂静寺は当院と親戚寺で寂静寺でいつもお世話さまになり懇意にさせていただいておりますが、当院へのご来山は初であり大変嬉しく思います。

               

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沙羅の花咲く

2015年06月18日 | Weblog

        

 

梅雨の雨がそぼ降る中に沙羅の花が次々と咲いては落花し始めています。雨の中に咲く花たちにはまた深い思いを起こさせるものがあります。

 今日の撮影は時間が遅くなってしまい、いいものになりませんでしたが、アップしておきます。

            

 6/19 今朝も雨、庫裏の2階から180㎜望遠で撮してみました。

 沙羅樹は沙羅双樹とも呼ばれ、また鶴林樹とも呼ばれています。インドではごく普通に見られるフタバガキ科の落葉高木で真っ白い花を咲かせます。その様が白い鶴が沢山に止まっているように見えることから「鶴林」とも呼ばれているようで、日本には自生種はありません。日本の山間に自生している「ナツツバキ」がよく似ていることから「ナツツバキ」を「沙羅」と呼ぶようになったようです。

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アジサイが見頃です

2015年06月08日 | Weblog

全国が梅雨入りしたようです。数日前より寺庭のツツジやサツキの選定を電動バリカンで行い、今朝で終わりました。終わったように雨が降り始めたので、ホッとしました。雨に濡れはじめたアジサイたちを撮影しておこうと、久しぶりにカメラを藻って庭を歩きました・万福寺に植わっているほとんど全てのアジサイを撮すことができました。矢張りアジサイは少し雨が降っている方が色彩がいいようです。雨性の華です。

           

 

           

 

        

 

 

 花の名はそれぞれあるのですが、今日は記しません。クリックしたら大きくなります。手動撮影です。レンズはマイクロニッコール105㎜、フォーカスも手動ですからまだ大丈夫のようです。

 長い間ご無沙汰してすみません。気遣ってお電話下さる方があったり、すみませんでした。体はいたって健康なのですが、今ある調べものに集中しておりまして、ブログの方を怠っています。ブログも少しずつアップするようにいたします。

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