万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

跳ねる真鯉

2012年01月31日 | Weblog
藤原益子作「跳ねる真鯉」

                                              
                                              藤原寛常篆刻

 大阪の堺市にお住まいであられた藤原益子さんが年末の12月27日に急逝され、先日の1月28日にご遺骨が近親者の方々によってご帰郷、藤原家の廟所に埋葬されました。
 益子さんはご趣味で布絵をしておられ、沢山の作品が遺されていたとのことでその一点を寺にお持ちになられました。その作品が冒頭の画像です。篆刻の画像は平成4年にご逝去された夫君藤原寛常さんが趣味とされていた篆刻を押印されたものですが、これは益子さんが寺に納められたものでした。
 お二人にはお子さんが無く高松や神戸に居られる姪御さん達が暖かく支えておられました。人と人をつなぐ絆の尊さをしみじみと偲ぶことでございます。
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吹上城(ふきあげじょう)

2012年01月30日 | Weblog
                          
                         天守閣と藤堂高虎銅像

             
              平成19年復元された鉄御門(くろがねごもん)


 先日、坊守が今治の眼科に診察に行くのに同行し、時間があるので一人で吹上城へ行って見ました。氷雨のような雨がパラつくお天気で人影は見られず閑散としていました。それだけにお城を独り占めしたような殿様気分になっていました。
 吹上さんに来るのは何年振りになるでしょうか・・・この天守閣が建てられたのが昭和55年でしたから、A.Kさんに案内されて来たのでしたがそれ以来になります。拙寺の本堂の建築が始まる頃に吹上さんの「鉄御門」(くろがねごもん)の復元工事が始まっていました。(土地の人は今治城のことを「吹上(ふきあげ)さん」と呼んできました)
 豪壮な鉄板張りの門と櫓などが完成しています。この門が吹上城の大手門に当たるのでしょう、立派なご門です。
 この吹上城は慶長年間に城造りの名手藤堂高虎によって築城された遺構なのです。高虎の在任期間は数年で伊賀上野に転封されていますが、城の遺構はそう変わっていないようです。
 対岸の広島県の三原城、高松の玉藻城、広島の鯉城など瀬戸内海沿岸の城には海城形式が多くあります。この吹上城は代表的な海城でしょう。堀の水は海水です。

 万福寺の本堂の工事が完成した平成20年前後に市内で建てられた木造建造物は桜井の法華寺本堂、吹上城の鉄御門、大三島大山祗神社の総門などがあります。これらのことを記憶に置いておくべきと、インプットしました。


                              
                              天守から多聞櫓と鉄御門を見る

  
  西方に聳えているのは今治国際ホテル、現代のパレスです。           
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総序のご文

2012年01月29日 | Weblog
                     
                                           
              西本願寺蔵『教行信証』総序影印

 親鸞聖人750回大遠忌法要も去る1月16日ご正当満座法要で無事円成いたしました。11日の正当法要に出勤させていただき又とないご縁に遇わせていただきました。その折り出勤記念として画像のご本典総序の影印版を頂きました。これは大変貴重な影印で有難く忝なく思います。
 古来、東本願寺所蔵の『教行信証』(板東本)を下書き、西本願寺の所蔵本を清書本と呼ばれて来ました。板東本は国宝、西本願寺本は重文に指定されています。現在の両本についての研究では見方が大きく変わっております。しかし、西本願寺本は歴代のご門主の座右に置かれてきたご本であったことは確かなことでしょう。そして板東本の「総序」のご文の大部分が大正12年の関東大震災の被害を受けて失われていますから今回の西本願寺本「総序」を影印で見ることができますのは無上の喜びと云えます。
 浄土真宗の宗義の不動の座りがこの「総序」であると云っても過言ではないと受け取らせて頂いております。
 印刷技術が急速に進んだ今日にいのちめぐまれていてよかったと痛切に思うことしきりです。

この「総序」のご文の書き下しを少し挙げておきます。(『注釈版浄土真宗聖典』P131)

   顕浄土真実教行証文類 序(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい じょ)
 ひそかにおもんみれば、難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度する大船、無碍(むげ)の光明は無明の闇を破する恵日(えにち)なり。しかればすなはち浄邦縁熟(じょうほうえんじゅく)して、調達(ちょうだつ、提婆達多)、闍世(じゃせ、阿闍世)をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰(じょうごうきあらわ)れて、釈迦、韋提(いだい)をして安養(あんにょう)を選ばしめたまへり。これすなはち権化(ごんけ)の仁、斉しく苦悩の群萌(ぐんもう)を救済(くさい)し、世雄(せおう)の悲、まさしく逆謗闡提(ぎゃくぼうせんだい)を恵まんと欲す。ゆゑに知んぬ。円融至徳(えんにゅうしとく)嘉号は悪を転じて徳を成す正智(しょうち)、難信金剛(なんしんこんごう)の信楽(しんぎょう)は疑を除き証(さとり)を獲(え)しむる真理なりと。
 しかれば凡小修(ぼんしょうしゅ)し易き真教(しんきょう)、愚鈍(ぐどん)往き易き捷径(せっけい)なり。大聖一代(だいしょういちだい)の教、この徳海にしくなし。穢を捨て浄を欣(ねが)ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏(くら)く識寡(さとりすくな)く、悪重く障(さわり)多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣(はっけん)を仰ぎ、かならず最勝(さいしょう)の直道(じきどう)に帰して、もっぱらこの行に奉(つか)へ、ただこの信を崇めよ。ああ、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)、多生にも値(もうあ)ひがたく、真実の浄信、億劫(おっこう)にも獲(え)がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまた疑網(ぎもう)覆蔽(ふへい)せられば、かへってまた嚝劫(こうごう)を経歴(きょうりゃく)せん。誠なるか、摂取不捨(せっしゅふしゃ)の真言(しいごん)、超世希有(ちょうせけう)の正法(しょうぼう)聞思(もんし)して遅慮(ちりょ)することなかれ。
 ここに愚禿釋(ぐとくしゃく)の親鸞、慶ばしいかな、西蕃(せいばん)月支(げっし)の聖典、東夏(とうか)・日域(じちいき)の師釈に、遇ひがたくしていま遇うことを得たり、聞き難くしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもって聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表情人形

2012年01月24日 | Weblog
                         

                
                端午

                                                  

                            
                            お父さん(和服は大島紬です)

 平成21年の11月に宗方にお住まいの菅幸枝さんがご逝去になられました。そして昨23年7月にご夫君誠男さんも亡くなって行かれました。主の居なくなったお家に幸枝さんが何十年にもわたって製作されて来た表情人形が部屋一杯遺されていました。一つとして同じ人形はありません。それぞれが人間の一瞬を捉えた輝く顔の表情と体の所作が表現されています。お二人にはお子さんに恵まれなかったこともあったのでしょうか、この人形たちは幸枝さんの分身のように思えます。
 端切れや古着を大切に集められ、京都へ行かれた時は端切れなどを扱う店を回ることを楽しみにして居られたとのことです。

 この2体のお人形は幸枝さんと親友だったS.Fさんがお寺のどこかに飾って下さいと先日お持ちくださったのです。幸枝さんが亡くなられるまでこのような素晴らしい表情人形の製作をされていることを知りませんでした。町内の保育所に定年までお勤めになっておられました。言葉数のきわめて少ない方でした。その分人形製作に集中されておられたのでしょう。
 お人形の顔、着物、小物にいたるまで創られた方の優しい心根と体温が感じられます。

 なお、お人形の名前は私が仮に付けました。


                    


                                           

 S.Fさんが再び来られて「この前お持ちしたのは女の子のがなかったので、これも貰って下さい」と、男女児の和装人形、七五三と題されたペアーのお人形を下さいました。早速撮影してアップします。二人の表情がなんとも可愛いですネ、
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親鸞 激動篇

2012年01月21日 | Weblog
                              
                            1/14発行された『親鸞』激動篇

 昨年春より全国の地方新聞44紙へ12月11日まで連載された五木寛之氏執筆の『親鸞』激動篇上下2巻で単行本となりました。750回大遠忌ご正当法要中の1月14日に講談社から発行されました。拙寺の購読新聞は地方紙ではなく読んでいませんでしたから早速14日にネットで注文しておきましたら翌日の15日に届けられたのには驚きです。しかも送料は無料で、

 ご正忌法座が終わってやっと読み始めています。35才で越後直江津へ流罪、激動篇はこの越後の流刑地での聖人から物語は始まっています。聖人の生涯を知る上で最も資料の少ない年代がこの越後での日々なのですが五木さんはその親鸞聖人を生き生きと描いておられます。最新の親鸞学の論文を読み切っての小説だけに迫力と強い説得力が感じられます。
 第3部となる京都帰洛からご往生までも執筆されるご計画だろうと思いますが待ち遠しいですね、


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意宇の里(椿)

2012年01月20日 | Weblog
                  

寒風吹く中を蕾を膨らませていた「意宇の里」(おうのさと)椿の一枝を蝋梅に添えて玄関に飾っておりましたら今朝開き始めました。他の蕾はまだ開いていませんから屋内とは違うのでしょう。この椿の色調は「西王母」や「曙」などの大輪椿に似ていますが大きさは中輪で咲き方が可憐です。なんとも云えないほのぼのとしてうっとりする雰囲気をもっています。好きな椿の一種で、咲くと嬉しくなります。
 花名の「意宇」(おう)については以前にも紹介いたしましたが島根県東部に昔呼ばれていた郡名「意宇郡」(おうのこおり」に由来しているようです。その辺りに咲いていた椿なのでしょう。お茶の盛んな所ですから茶花として挿されて来た椿に違いありません。(花器は備前火襷徳利)


                  
                  今年も大寒近く、「寒あやめ」が咲いています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法の舟にあわずば

2012年01月18日 | Weblog
 1/18(水)今日は朝からおだやかな日です。ご正忌法座の片付けを寺族で行いました。ホッとした思いの為なのかみんな黙々として片付けをしています。何かを思っているに違いないのですが何も語りません。

                    
 講師間の床には本願寺21世門主大谷光尊、明如上人の短冊をお掛けしたことです。

    釋教  法の舟にあわずば我も苦しみの
          うみにいつまでしずみはてまじ   光尊

 明如上人の書は明治時代きっての品格香る書と称されています。明治の動乱期を浄土真宗の巨大教団の方向を示され、そのことが仏教界全体の方向ともなったのでした。
 明如上人のご長男は大谷探検隊で著名な大谷光瑞門主や九条家に嫁せられた歌人として知られる九条武子夫人などがおられます。

                         
 床の花は簡単に小さな花器に水仙と白椿「妙好人」を一輪添えて竹製の「華籠」(けろう)を花台にして置きました。先日の本願寺での法要に使用した散華の華葩を華籠に1枚入れておきました。
  
 宗祖聖人ご往生から751年に入ったことですが、日本も世界も益々混迷の状況を呈しています。聖人が立脚された「念仏のみぞまことにておはします」が人生の柱なのだと云うことを再確認させてもらわなければならないことと存じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御正忌法座終わる

2012年01月18日 | Weblog
                        
                        御正忌の聴聞

 昨日1/17、朝席をもって拙寺での親鸞聖人御正忌法座(750回大遠忌御正当法要)が終わりました。私としてみればなんともなごり惜しい思いが一杯胸に満ちてくる思いがいたします。聖人の700回大遠忌(私の19歳)から50年ご法義に携わらせて頂いてきて70才を迎える今、何とも忸怩(じくじ)とした思いです。

 大寒の中、霜を踏み踏み朝早くから「おとき」の準備に来て下さった口総地区の婦人方、ご多忙の中聴聞に足を運んで下さったご門徒の方々、尊いご法話を諄々と語って下さった講師徳正唯生(とくまさゆいしょう)師、本当に有難うございました。
 最後にお話し下さいました「お浄土があってよかったねェ!」のフレーズが今、脳裏にこだましています。ノモアミダブツ、
 

         
          講師徳正唯正師、黒板の後方に四幅のご絵が見えます。

                                          
                                          ご正忌の「おとき」

 ○16日に読売新聞社の今治支局の記者さんから電話があり境内に咲いている「蝋梅」を取材させてほしいとのこと、pm4時頃来山、撮影、取材をして「明朝の愛媛版に掲載させてください」とのことでした。17日に新聞を見ましたと、蝋梅を見に来る人が2、3ありました。
 
               
               18日に読売の奥平記者からeメールで送られてきた蠟梅の画像
www.yomiuri.co.jp/e-japan/ehime/news/20120116-OYT8T01282
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親鸞聖人750回大遠忌正当法要(しんらんしょうにん・・・だいおんきしょうとうほうよう)

2012年01月12日 | Weblog
1/9から厳修されていますご本山(西本願寺)のご正当法要に今治祖7ヵ寺のご住職方と出勤させていただきました。10日夜宿舎に泊し、朝6時からのご晨朝にお参りしお参りしながら不遜ですがスナップを撮りました。10時からの日中法要には正装での出仕ですからカメラは持てませんので写真はありません、ご晨朝での写真でご想像ください。

                                  
            午前5:45、津々と冷えるまだ闇の中を本山周辺の宿舎からお参りの方々が
            足早にお御堂に向かいます。九州弁や北陸弁の話し声が聞こえて来ました。

                     
                ご正当法要のご真影さま(親鸞聖人のご尊像)とそのお荘厳(しょうごん)。
                                   
 須弥壇、脇壇に28対の色々なお供えがされています。法要初日に池坊家元によって一対のお立花が立てられてお供えされていました。

      
      阿弥陀堂でのお参りは今朝は「阿弥陀経」のお参り。

                                   
                       
 ご影堂でのお参りは「初夜礼賛」のお参り。ジンジンと心に響いてきます。このように大勢でお唱えする「礼賛偈」(らいさんげ)のお参りは初めてで感動的でした。
 外陣の各椅子には膝掛けが2枚づつ置かれているお心使いには京の底冷えの最中、本当に有難いことでした。

                 
 両堂の門に一対づつ正当法要を意味しているのかきれいな「幡」が立てられています。これも見納めかなァと思い撮しておきました。ご真影さまの前にも1対立てられていましたねェ、


 7:15 ご晨朝の勤行が終わると急いで宿舎に帰り朝食、お粥定食を頼みました。お粥は小豆粥でした。親鸞聖人が小豆がお好きだったと云う言い伝えがあるのです。味わい深いものがありましたが、急いで啜り込み、8:30集合への準備をして再び本山へ向かいました。
 お正月に大阪から帰郷された2、3の人に今日の法要のことをお知らせしておりましたら4人の方がお参り下さったとのこと、しかしお会いすることは出来ませんで申し訳ないことでした。ですが後から電話で正面中央でお参りしましたからご院下さんの参進する姿がよくわかりました、とのことでした。

 今日の日中法要は両門さま、内陣への結衆、余間の列衆、讃嘆衆(奏楽)それに他宗派からの代表者もあり総出仕僧侶は300名ぐらいはおられたように見えました。余間の私ども列衆も華籠(けろう)を持ち立列(りゅうれつ)して散華(さんげ)すると云うこの上ない賑々しい法要でした。雅楽も50年前と比べると格段な演奏と迫力になっていると感じました。2台の太太鼓の響きは強いインパクトがあります。
 勤行は親鸞聖人ご撰述のご和讃を依経段、お念仏一つの救いをお経のご文からご讃嘆の詩10首。続いて依釋段、お念仏のみ教えをインド、中国、日本に出られた7人の高僧方のお味わいを讃嘆されている詩7首と最後に回向句の和讃1首を声高らかにお唱えいたしたことです。最初の1首と回向句和讃1首を挙げておきます。

     如来の作願(さがん)を たづぬれば
     苦悩の有情(うじょう)を すてずして
     回向(えこう)を首と したまひて
     大悲心をば 成就(じょうじゅ)せり

     南無阿弥陀仏を とけるには
     衆善海水(しゅぜんかいしい)の ごとくなり
     かの清浄(しょうじょう)の善 身にえたり
     ひとしく衆生(しゅじょう)に 回向(えこう)せん


                      
 散華に使われた華葩(けは)、紙製の花びら、聖人のおもむかれた土地を代表する花が図案化されています。正当法要は終焉の地京都の市花「椿」でした。      
 

        
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗祖聖人750回正当法要へ

2012年01月10日 | Weblog

月刊誌「大乗」グラビアより

 ○1/9より16日まで親鸞聖人750回大遠忌正当法要がおつとまりですが、私は今治組の法中方と明11日午前10時開始の法要へ出勤(列衆で)させていただきます。本日正午頃出発の予定です。今朝も冷え込んでいます。京都はさぞかし底冷えが厳しいことと思います。
 インターネットをされる方は西本願寺のHPからリアルタイムで法要の実況が見れます。ネットでご縁を頂いてください。

 ○当山万福寺のご正当法要は1/16、17日昼席より朝席まで3座お勤めいたします。寒い最中です。暖かくしてお参り下さい。親鸞聖人の750回正当法座です。
 講師は三原市大和町の徳正寺住職徳正唯正師(とくまさゆいしょう)です。徳正師は旧姓浅野尊丸、当山住職の実弟です。どうぞお参り下さいませ、


                        
                        椿 桃源白

 拙寺にある白い椿では「初嵐」が早く咲きます。他の白椿はまだこれからなのですが、「桃源白」と呼ばれている白椿が昨日咲いていました。どっしりした純白の椿です。伊賀か備前に一輪挿すといいだろうなァと思いました。白藪椿の拙寺の「妙好人」も蕾が膨らんで来ましたが、開花は数日先のようです。今朝は厚い霜が降っていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする