万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

藤田省三氏のこと

2007年01月28日 | Weblog
 過日、あるお家でのご法事のことである。そのご法事にお参りになっておられた大阪在住の方がこのようなお尋ねをされた。
 会社の上司が「あなたは大三島の出身だから藤田省三と云う人を知っているでしょう」と尋ねられて全く知らないので困ってしまいました。どのような人なのですか? と、云うお尋ねであった。

 藤田省三氏のご先祖からの墳墓は大三島口総にある。平成2年3月に省三氏のご母堂静代さんが東京で101才で亡くなられた。そのご遺骨を大三島の藤田家墓地に埋葬すべくご帰郷になられた時の法要でお会し、しばらくお話を伺ったのが私としては最初で最後のご縁となった。
 東大で丸山真男教授のもとで政治思想史を考究され、昭和20年代に全国学生連盟を組織して理論闘争の中心に位置していた人であることはよく知られている。
 その後、氏は法政大学に請われて同大法学部教授となられた。
 省三氏をよく知っておられる二村一夫氏は「藤田省三さんのこと」と題した一文の中にこのように評している。「(藤田さんは)本を読むことを無上の楽しみとしており、底知れぬ知的好奇心が着物を着て歩いているような人でした」と評伝している。
 ご母堂さまの納骨法要の時、話が親鸞聖人に及んで、この様に云われた。
「親鸞は日本の思想史の中で、これは別格ですよ、・・あのような人が日本に生まれたことが不思議なくらいです。」と、私はすかさず「先生、親鸞聖人について何か書いてくださいませんか」とお願いしたところ「いずれ書きたいとは思っていますが、まだ先輩がいますからね・・・」と云われたことが強く印象に残った。 
 その時の「先輩がいますから」と云われた先輩とは一体誰のことなのだろう
と、長く思案していたが、それは親鸞聖人について精力的に執筆し世に問うている思想家「吉本隆明」を指しているのではないかと最近になって思い当たった。

 藤田省三氏も2003年5月28日に行年76才で逝去され、大三島の藤田家
の墓地に分納された。
 省三氏の長兄洲司氏と次兄禮二氏は昭和20年に相次いで特攻隊員として沖縄にレイテに散って行かれた。今は令姉黒川香彌さんが千葉に住んで居られる。住職記
 
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水仙

2007年01月27日 | Weblog
 寒中に咲く花たちはどうしてこのように清楚で端正なのだろうか。
寺の水仙の花が満開で寒風に揺らぎながらもすっくと立って、芳香を
放っている。
 話は変わりますが、昔々その昔には人や家畜が亡くなるとその墳墓に
樹木を植える習慣があったようです。『花咲かじじい』の隣の意地悪じいさんに殺されたポチの墓に一本の松を植えたことから話が展開してゆきます。
 桜をこよなく慕った本居宣長は自分の墓には一本の山桜を植えて欲しいと願ったそうです。宣長の墳墓は三重県松阪市の妙楽寺の山室山にあり桜に囲まれて寂しているそうです。
 明治の頃、日本の伝統的美の世界に光をあてた岡倉天心は私の墓には「いささかの水仙とたぐいまれな芳香を放つ一本の梅」を植えてくれたらそれでいいと、辞世の詩に述べています。
 これら死後に対する情緒は数年来静かに口ずさまれている「千の風になって」の情緒とも通じるものが感じられるのです。      

 それにしても寒に咲く花たちは逞しくて、端正でいて気品漂う。 佳きかな。  
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胡蝶侘助(こちょうわびすけ)

2007年01月26日 | Weblog
 寺庭の植栽に数種の侘助椿がある。寒中の今、それらの数寄屋侘助、一子侘助、白侘助、胡蝶侘助などが次々と咲いている。椿の種類はおびただしい。その中で茶花として珍重される花は薮椿や侘助椿のようである。たしかに侘助椿は一見単なるミニ椿のように見えるが、その形状は小さくとも存在感は大きいものがある。見れば見る程印象は心の奥で深く広がるのである。
 「胡蝶侘助」は侘助の代表と云ってもいい。侘助と云えば利休居士の頃には「胡蝶侘助」を指していたもののようである。胡蝶侘助は花弁は2㌢くらいで薄紅いろに白い斑が入っている。一重筒咲きで数輪咲いていると正しく蝶々が飛び戯れているように見える。
 一説によれば太閤秀吉が朝鮮出兵の時、侘助と呼ばれる男が持ち帰り献上したものだと書かれているものがある。
 数年前に京都大徳寺の塔頭総見院を拝観した時、この寺の庭に「胡蝶侘助」の古木があって秀吉が主君故信長に献上した侘助であると記されていた。椿には椿で深くて広くて長い歴史があるものだと思う。  住職
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大正11年の入仏法要

2007年01月24日 | Weblog
 この写真は大正11年の春に営まれた大会(だいえ)の模様です。
この法要は現須弥壇、宮殿がご寄付により新調されての入仏法要の
模様です。写真家山田政寛(まさひろ)さんの撮影になる貴重な写真です。
 ご本尊前の礼盤上(らいばんじょう)には当時の住職慈朗法師が
七条袈裟を着して導師をつとめていることが判ります。内陣の左右
には20数人の稚児が写っています。おそらくこの時のお稚児さん
で存命者はもう居ないと思います。私(住職)の母も3年生、叔母
澄子4才で出仕していますが、二人とももう故人です。
 この写真を見ますと、内陣に巻障子がまだ備付けられてなく、し
かも中柱2本が立っていないことは驚きです。
 今、この写真の須弥壇、宮殿は修理、お彩色のために京都の仏具店
に運ばれています。新本堂が完成すると搬入されます。おそらく大正
11年の時と同じ輝きをもって帰ってくることでしょう。
 山田政寛さん撮影の写真はまだ他にも数枚ありますのでいつかご紹介
いたします。この政寛さんの遺産で岡山地区公民館である山田会館がで
きましたからよくご存知だと思います。   住職
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屋根下地了る

2007年01月19日 | Weblog
 ○16日の御正忌法座の日に本堂屋根下地が完成しました。大工さん達は岐阜へ帰って行きました。
 次の工程は屋根瓦葺きになりますが、寒中のこととて屋根土が凍るおそれがありますので、工事は寒が明けてからになると思います。
 ○瓦は葺かれていませんが、豪壮で穏やかな甍が冬空に現出いたしました。もうすでに大屋根が如來さまの大悲を説法し始めていると感じられます。おだやかに、たゆとうに人の世を生きていきましょうと・・・・。
 ○昨11月6日より本堂の柱立てから大屋根の組み方を担当下さった井戸棟梁、室伏脇棟梁以下8人の若い大工さん達、本当にご苦労様でした。事故も怪我もなく終日直向きに作業に当たって下さいましたことに甚深の謝意と敬意を表します。
 ○したがいまして、今工事は行われていませんので、見学ができます。遠慮無くお越し下さい。小屋組の木組みの様子がよく分ります。        住職
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御正忌報恩講

2007年01月12日 | Weblog
 万福寺の御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)を1月15日日中法要(1時始め)より15日夕席(7時始め)16日朝事(10時始め)まで3座にわたって勤修いたします。
 講師は三原市大和町の徳正唯生師(とくまさゆいしょう当山住職の弟)です。会場は庫裏の仮本堂でお勤めいたします。寒い中ですが親鸞聖人の745回目のご法事にご遺徳を偲び、お法に遇わせていただきましょう。
 どうかご参詣くださいますようご案内申しあげます。
 写真は当山所蔵の親鸞聖人の4幅の「御絵伝」の聖人のご臨終と葬送の図です。仮本堂にお掛けしております。  住職
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妻の斗組

2007年01月10日 | Weblog
 昨朝、今朝と寒の霜が降りて冷え込んでいた。
大工さん達は3人づつ2班に分かれて南北妻の
斗組(ますぐみ)作業に当たっている。斗組が組
み込まれると風格が出てくるようだ。
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仕事始め

2007年01月09日 | Weblog
 午前8時亀山建設の室伏脇棟梁と5人の大工さん達が帰任されました。
庫裏の仮玄関へ勢揃いされて新年の挨拶をされご本尊へお参りしたいと、
仮本堂の万福寺ご本尊前に揃って坐られました。小職が調声してご一緒に
「讃仏偈」の勤行をし、焼香されました。小職、皆さんの方を向き新年の
挨拶と昨年からのお仕事を労い本年も安全を第一に建築工事をお願いする
旨をお話して「仕事始め」となりました。
 寒中なので矢張り外は冷え込んでおります。
  写真は向拝柱と本堂をつなぐ「海老虹梁」(えびこうりょう)。
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棟札

2007年01月05日 | Weblog
 仮本堂(庫裏)の廊下へ旧本堂の棟木に止められていた棟木を取り出して展示しております。その棟木板の墨書銘に依りますと、旧本堂の起工は明治33年正月であったことが記されています。その時の棟梁は藤田友助、肝煎相原直吉、以下6名の大工さんの名が知られます。またその時の建築委員(総代、世話人)として大内柳作、川上喜平、木村重太郎、藤田甚之助、越智磯右衛門、肝煎杉野兵助、小笠原庄兵衛の総代の名が記され続いて藤原峰吉以下藤原愛之助、相原愛治、藤田友助、相原喜代治、相原忠俊、藤高伊三治、市川林助、小笠原久之助、菅銀之右衛門、川上伊作、菅常右衛門、市川徳之助、渡辺為八、菅清兵衛、市川為助、菅半三郎、国貞八平、越智銀之助、池田直次、越智瀧三郎、酒井喜三次、越智万五郎、笠崎八五郎、藤原利七、中根勇治、小池孫七、藤原愛吉、越智八重作、越智通寿、高橋甚太郎、高橋三代助の32名の各世話人が建築委員として参画していたことが知られます。これらの方々は現住職である私がお会いした人は一人もおられませんが随分とお骨を折られたことでありましょう。その本堂は百年以上にわたって大三島岡山地区の聞法道場の中心となってきたことに甚深の感謝の念を改めて申させて頂きたいと存じます。                                            住職

 
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新年おめでとうございます

2007年01月02日 | Weblog
 明けましておめでようございます。
本年もどうか宜しくお願い申しあげます。
 今日は正月二日、元旦は除夜の鐘に続いて修正法要をお勤めし、朝7時から
晨朝のお勤め、10時頃より家族全員(住職、坊守、若院、恵真、妻陽子)で
新年をお祝いいたしました。元旦は終日三三五五参詣者が来られ、仮本堂への
お参りや建築中の本堂の説明に追われて過ごしました。
 写真は仮本堂へご安置しているご本尊前の新年のお荘厳(おそなえ)です。
今年は簡略なお供えで申し訳ないことです。来年は新本堂でお給仕ができるで
しょう。
 仏華は若松を真に葉牡丹、寺庭に一杯赤く実をつけた千両、水仙、赤と白の
薮椿を添えるとお正月らしくなりました。お餅は今年は真ん中に一重ねのお供
えとし、葉付き橙を置きました。
 お参りの皆さんと「お正信偈さま」をお勤めして新年を有難く迎えさせていた
だきました。
 無量の寿に抱かれて、無辺の光明に慈照されて今年も生かされて参りましょう。
                  帰命無量寿如來 南無不可思議光
                                             住職
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