万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

11月の法語

2011年10月31日 | Weblog
                   

 今年も残すところ2ヶ月となりました。政治、経済、社会、どの世界も不安定極まりない中に3月11日、東北地方を襲った地震と津波、そして福島原子力発電所の破壊は第2次世界大戦以来の難渋を余儀なくされています。この度の大災害は復興にも相当の時間を要することで胸が痛みます。
 
 11月のカレンダーをめくりますと、親鸞聖人の『教行信証、化身土巻』のお言葉、

   心を弘誓(ぐぜい)の仏地(ぶつじ)に樹(た)て
   念(おもい)を難思の法界(ほうかい)に流す 

 ここでの「心」とは〈私の本質〉、〈いのち〉と考えるべきでしょう。私そのものを如来さまの弘誓ーーどのようなことがあってもあなたと一緒に人生を歩み、必ずお浄土へ生まれて行きますーー、と云う〈いのちの大地〉に堂々と立ち根を下ろし如来さまの大慈大悲を養分とさせていただきます、と云う腹、姿勢を申されるお言葉であると受け取らせていただいております。
 また「念を難思の法界に流す」とは、自分の日常の様々な思いや考えを世間の考えを聞くことはあっても最終的には、究極としては如来さまの広い、深いお心(法界)に帰順させていただきます。と、申されているお心であります。

 このお言葉の頭に置かれているご文は

  慶(よろこ)ばしいかな

 と、申されてカレンダーのご文を述べられています。この「慶ばしいかな」からのご文は『教行信証』全巻の「むすびの言葉」としてまとめられています。この法語に続くご文を数行掲げておきます。少しづつ読んでみてください。親鸞聖人の熱い思いが伝わって来るようです。

 深く如来の矜哀(こうあい)を知りて、まことに師教の恩厚(おんこう)を仰ぐ。慶喜(きょうき)いよいよ至り、至孝(しこう)いよいよ重し。これによりて、真宗の詮を鈔し、浄土の要をひろふ。ただ仏恩の深きことを念(おも)うて、人倫(じんりん)の嘲(あざけ)りを恥ぢず。
(後略)                         (注釈版『浄土真宗聖典』p473)


                  
                     境内の野紺菊
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椿を生ける

2011年10月30日 | Weblog
                

 昨年は庭の椿の木の剪定をバッサリ、バッサリしたものですから西王母椿の花をほとんど見ませんでしたが、今年は新しい枝が伸びて花が次々と咲いてくれています。剪定したせいかどの花もハッとするほどの美しさを見せています。昨日一枝いただいて挿して見ました。葉っぱを7枚残して銅虫の花器に入れて玄関に置きました。花と葉っぱの調子がいい枝は中々ないのですがこの枝は格好のものでした。嬉しくて写真に撮っておきました。
 銅虫と云うのは広島に工房があるのですがいろいろな銅器を打ちだしています。頂いたものですが非常に上品でよく使わせていただいております。
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見返り草

2011年10月29日 | Weblog
                                    

 10/26、「大文字草」の花の開花を紹介いたしましたらいつもコメントをくださる福山のらんこさんが興味深く見て下さり、自庭には「見返り草」が今咲いていますとお知らせ下さいました。「見返り草」は寺にはありませんし、見た記憶もありませんので画像を送って下さいと依頼しておりましたら早速に送って下さいました。
 群生して沢山の穂花が見えます。確かに通りすぎて、もう一度見返って見るような華麗で魅力を有っているように感じられます。
 調べてみますと、「しそ科」の植物で姉妹に「十二ひとえ」や「しそとらのお」、「サルビア」などしぶい山野草が多いようです。
 
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大文字草(だいもんじそう)

2011年10月26日 | Weblog
               

 春に水軍窯の村上洋子さんから「大文字草」の鉢をいただいていたものが今可愛い花を咲かせています。うっすらとピンクがかった花ですから、「アカバナダイモンジソウ」なのでしょう。ダイモンジソウは「ゆきのした科」に属している草なのです。花の形状が「大の字」に見えることから大文字草と呼ばれていて珍重されています。(ネットで見るとアカバナはもっと鮮やかなアカですからこれはアカバナではないようです。ダイモンジソウには異種が5、6種あるようです)
 「雪の下」は初夏の梅雨の頃に咲きますが、大文字草は秋に花を咲かせるのです。葉っぱも花も同科目ですから従兄弟くらいによく似ているのですが開花期が全く違っているのは面白いものす。DNAの世界のことになります。
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深まる秋色

2011年10月24日 | Weblog
                      

 朝夕の冷えと昼間の温かさの差が著しい季節になって急速に秋色が広がって来ました。早生ミカンの色も進んでいます。
先日報恩講にお参りしますと真っ赤になった「唐がらし」をいただきました。これも秋の色の一つと云えます。



                                          
 寺の裏山に「石蕗」(つわぶき)の花が群れ咲いていました。これも秋を代表する色、



         
椿、西王母(せいおうぼ)が盛んに咲いて落花しています。この花は今の季節の女王と云えます。
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今治組仏教婦人会連盟研修会

2011年10月22日 | Weblog
                      
                     開会式 

 10/20(木)午後1時より今治市市民会館において今治組仏教婦人会連盟の総会・研修会が開催されました。10単位仏婦より約130名の代表者が参加しての総会そして研修会です。
 最初に「らいはいのうた」の勤行で開会式、続いて奈良県御所市教恩寺のご住職でありシングソングライターのやなせなな先生のトークときれいな歌を聞かせていただきました。なな先生は20代に死に至るような大病をされ「いのち」と「きずな」の深さに思いをもたれるようになったことを語られました。その「いのちときずな」の世界を詩にあらわされ曲を付けて来られたとのことです。
 この度の3月11日の東北地方の大災害の起こる前から東北地方とはご縁が深く、この度の震災の鎮魂歌「千年眠れ」やはげましの応援歌「まけないタオル」など曲にされていて歌ってくださいました。きれいな歌声と旋律に感動し心洗われる思いがいたしました。

                       
                      熱唱されるやなせなな先生


  
  連盟総会の模様


○ネットで「歌う尼さんやなせなな」で検索するとやなせなな先生の歌が聞けます。
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古希の同窓会

2011年10月19日 | Weblog
                 
               同窓会会場のステージ

                                            
                                       一人一人自己紹介と近況を語りました


 夏の頃に中学校の古希の同窓会を大阪で開くから是非出席してほしいとのご案内を頂いていました。丁度ご門徒の報恩講中のことでもあり返事をためらっておりましたら若院がお勤めはボクがしますから出席して下さいの一言で参加することにしたのでした。
 会場は大阪港区弁天町に建っている高層ホテル「大阪ベイタワー」22階の広間が用意されました。同行のS・Fさんと大三島→福山→新大阪→梅田→弁天町、それぞれの乗り換え駅で各地からの参加者と待ち合わせながら会場へ向かいました。
 会場には既に懐かしい同級生の顔、顔、顔、それぞれ同じ70年を生きて来た顔。中学校の頃の面影が残っているお顔、初めてお目に掛かるようなお顔もあったり・・・・。
 いつもお世話下さるY・Yさん、Y・Kさん、A・Nさんの連携のとれた絶妙な進行、司会で会が進められて行きました。還暦の会の時より皆さん一層に棘が取れてまん丸になって来られた感じがします。それだけに楽しい時が過ぎて行きました。
 (準備下さった3人の幹事の方のご苦労は一方ならないものがあります。気の行き届いた温かいケヤーを感じました。Y・Yさん作成の資料は過去のデーターを縦横無尽に駆使された労作で感服いたしました。多謝々々)

 会の半ばで20名の物故同窓生と2名の亡くなられた担任の先生へ一同で黙祷をして、住職に何かコメントをしてくれと云うことで、ドギマギしながらも少しだけお話をさせてもらいました。(私の学んだ中学校は愛媛県越智郡岡山村村立岡山中学校で同学年生が185名4クラスありました)

 亡くなられている20名と2名の先生のご芳名を紹介して、
 70と云う古希の歳を迎えると両親もほとんどの方が居られないでしょうし、中には連れ添いの方、兄弟(姉妹)、沢山の知人、芳友との別れをされていると思います。
 生きると云うことは別れて行くこと、そして私の死と云うことから免れ得ないことなのだと云うことを実感しております。
過日テレビ番組で観た93才の日本画家「堀文子さん」の言葉「私には死が同居していたんだ!」と云う偉大なる発見を語られ、そこからの見るもの聞くことが今まで以上に感動的であると話される堀さんの語りに私は感動しました。
 そうなのです。釈尊が「諸行無常」を前提に自分を含めたあらゆる事象を見て行くことを説かれた仏教と堀さんの「死が同居している」との発見は共通している点が多分にあると感じました。
 死を通して生を見る、別れを通して今の出会いを思ってゆくこと。
 天台大師(6世紀中国の学僧、日本の精神文化に多大の影響を与えた)の言葉に「止観」(しかん)と云うのがあります。「止まって観よ」と申されていますが、70才、古希の歳はそう云う歳ではないかと思います、とお話しました。
 最後に東井義雄先生(兵庫県、小学校教師、寺院住職、10数年前逝去)の一篇の詩を紹介して終えました。
 その詩をここに紹介しておきます。()の詩句は同窓会ではお読みしていません。

 (目をさまさせてもらってみたら、「老」も「死」もヒョロンヒョロンの私の肩にくい込む「苦」ではなく「救い」ではないのだろか、と思われてきた)   
     * 
 落とせばこわれる茶碗だから
 この茶碗のいのちが尊い

 落とせば
 今すぐにでも壊れてしまう私のいのちだから
 今ここに生きさせてもらっているということが
 ただごとでなく いとしい
 ただごとでなく うれしい
 プラスチックのいのちでないことが
 ただごとでなく
 ありがたい
     * 
 川にそって
 岸ができている
 川のための
 岸

 (私にそって本願ができていてくださる
  私のための
  本願
  どこまで流れていっても
  すむことのない
  私のための
  本願
  川のための
  岸
  私のための
  本願        )


 なごり惜しくも5時過ぎ頃、みなさんとお別れをして帰途に着きました。福山からの車の運転はアルコールを飲まれないS・Fさんに運転をゆだねて大三島に帰りました。

 みなさんありがとう、ごきげんよろしゅうに!また、いつの日にかお会いしましょう!

                   
                                  
 翌朝、隣家の甘夏柑の幹に巻き着いて咲いている蔓草の小さな花を撮ってみました。
 雑草として処理される草なのですが、1,5㍉足らずの小さな花を沢山咲かせています。
 よくよく見ると形状も色彩も実に鮮やかです。
 調べて見ると「ひるがお科」で「丸葉縷紅草」(まるばるこうそう)とちゃんとしたすごい名前が付いている雑草であることが分かりました。
 
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金木犀(きんもくせい)

2011年10月15日 | Weblog
                        
                        金木犀の絨毯 携帯の写真なので鮮明さに欠けます。

 昨夜からぐずついた空模様、雨音がして突風の吹く音が窓外にしておりました。今朝外に出ると枯れ枝や葉っぱが境内に落ちて
いました。
 報恩講のお参りは午前8時30分から始めています。今日は宗方の黒瀬組です。空き屋が目立ち始めてきました。Fさんは数年前から養護施設に入っておられますが、そのお家の入り道に昨夜の突風で金木犀が目せきに散り落ちていました。そのまま通過するのは余りにも惜しいので携帯電話で撮っておきました。
 この時期の報恩講のお参りはいつも金木犀の香りがあちこちから漂って嬉しい気持ちになるのですが、このような花の絨毯は初めてです。
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秋の装いが進んでいます

2011年10月12日 | Weblog
 暑い暑いと云っておりましたら山も野も庭も着実に秋色に変わりつつあります。日中はまだ汗が出るのですが朝晩はヒンヤリして掛け布団が必要となりました。日一日と朝も夕も暗くなりました。
 毎日ご門徒の報恩講にお参りしております。昨日より宗方地区の報恩講が始まりました。

       
       水引き草と杜鵑(ほととぎす)

                       
                       椿は矢張り西王母が早いです。

                                         
                                         タンポポのタンポン
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龍谷大学学歌に想う

2011年10月09日 | Weblog
                    
                   『龍谷大学350年の歩み』1989年刊より

 本年は宗祖親鸞聖人のご往生から750年、大遠忌法要が各ご本山で厳修されています。50年前の昭和36年の700回大遠忌法要の年に宗門立の龍谷大学に入学しました。700回大遠忌の記念事業の一つとして龍谷大学の拡充計画が立てられて経済学部が設立されて深草の元京都師団の練兵場跡地に置かれました。文学部の教養課程も深草学舎でと云うことで深草学舎に入学したのでした。大学の学舎と云ってもほとんどが兵舎が利用されていて今の様にカレッジカラーに統一されたキャンバスなど想像も出来ませんでした。現在は3キャンバスに7学部と云う総合大学に発展しています。画像の平山郁夫画伯の「祇園精舎」の巨大な陶板画は顕真館(講堂)の正面に見ることが出来ます。

 画像の上に印刷されているのが龍谷大学の学歌なのですが、入学式の折、龍大の男声合唱団がこれを四部合唱で唱われ初めて聞きましたが、いい歌なので聞き入りました。山田耕筰の作曲なのです。耕筰はいろんな大学の学歌の作曲をしていますが龍大のは荘厳で力強さが感じられて好きになりました。この合唱団が歌う学歌を聞いて合唱団へ入部した人が多くいたように思い出します。

 この学歌の歌詞のことなのですが、平成4年1月19日前住職が他界し、その春頃より約1年費やして父三智の遺稿集の編集と出版作業を行ったことがあります。その折り父の70年以上にわたる日記もザッーと読んで「日記抄」として少し収録したのでしたが、その時、昭和2年9月23日の記述に「・・・夜、龍大校歌を作って見た。1篇を作ったが当選の自信はない」として4番までの詩篇が記されているものが読み取れました。ザッと読んで見て現今の学歌とは随分違うので没になったものと思い遺稿集の「日記抄」には収録しませんでした。

 最近、龍大の学歌の作詞者は誰であろうかと調べて見ますと、特定の人の作詞ではなく「学歌作制委員会」となっています。「あれっ?」と思い、再び父の昭和2年日記を取り出して照合して見ました。すると同じフレーズは全くありませんが、イメージについては明らかに父の詩篇と同じカ所が何句かあることに気付きました。昭和2年秋に学内から応募された学歌の詩篇は何篇あったのかは知る由もありませんが、恐らく何篇かの詩篇やイメージーをもとにして作制委員会(国文学者で詩人の土岐善麿先生や深浦正文先生などがおられたのではないかと思います)において纏められたもののようです。この現今の学歌の完成は昭和5、6年頃ではないかと考えられます。なぜなら父は私が龍大に入学して学生手帳の学歌を見せるまで知らなかったようです。完成は応募から数年も後のことであったようです。現今の学歌を初めて見た折りも昭和2年に学歌の詩篇を創作して応募したことについて話すことはありませんでした。

 今ここに昭和2年に父が作詞を試みて応募した詩篇を紹介しておきます。父はキッと苦笑いをするに違いありません。それに本人も当時の日記にいい出来ではないと記しておりますし、私も余りまとまりのいいものとは言い難いし、大学の学歌としては不向きな面が多くあると思いますが龍谷大学学歌誕生の過程の何らかの資料とはなるのではないかと思い、敢えてアップしておきます。

    1、瞑想の夜の帳は開け
      明け行く空に比叡輝く
      朝風静かに吹き過ぐれば
      高鳴る胸の我等が庭に
      巍々たる銀杏の梢は揺れて
      幾三百の歴史を誇る
    2、嗚呼学舎の門廷に立てば
      我等の想ひ飛び行く彼方
      ヒマラヤの峰は雪に輝き
      ガンジスの水 流れは尽きず
      聖の掲げし教えは高く
      法燈永久に世道を照らす
    3、全人の夢空しく消えず
      白馬の跡はあまねくあたり
      長安に咲きし花散り行きて
      中華に栄えし香は失せしかど
      大乗の光日土を恵み
      聖の理想此処にお生きぬ
    4、鎖国の睡夢一度醒めて
      西欧の文華乱れ入りぬ
      混濁の流れ逆巻くところ
      今ぞ我等の立ち行く時ぞ
      大乗の子等が血潮はおどり
      進み行く方道はるかなり  
               (旧姓藤原三千丸作詞)

 下記のアドレスをクリックすると龍谷大学学歌が聞けます。
  http://www.ryukoku.ac.jp/about/outline/songs/collegesong.html                       
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