同窓会会場のステージ
一人一人自己紹介と近況を語りました
夏の頃に中学校の古希の同窓会を大阪で開くから是非出席してほしいとのご案内を頂いていました。丁度ご門徒の報恩講中のことでもあり返事をためらっておりましたら若院がお勤めはボクがしますから出席して下さいの一言で参加することにしたのでした。
会場は大阪港区弁天町に建っている高層ホテル「大阪ベイタワー」22階の広間が用意されました。同行のS・Fさんと大三島→福山→新大阪→梅田→弁天町、それぞれの乗り換え駅で各地からの参加者と待ち合わせながら会場へ向かいました。
会場には既に懐かしい同級生の顔、顔、顔、それぞれ同じ70年を生きて来た顔。中学校の頃の面影が残っているお顔、初めてお目に掛かるようなお顔もあったり・・・・。
いつもお世話下さるY・Yさん、Y・Kさん、A・Nさんの連携のとれた絶妙な進行、司会で会が進められて行きました。還暦の会の時より皆さん一層に棘が取れてまん丸になって来られた感じがします。それだけに楽しい時が過ぎて行きました。
(準備下さった3人の幹事の方のご苦労は一方ならないものがあります。気の行き届いた温かいケヤーを感じました。Y・Yさん作成の資料は過去のデーターを縦横無尽に駆使された労作で感服いたしました。多謝々々)
会の半ばで20名の物故同窓生と2名の亡くなられた担任の先生へ一同で黙祷をして、住職に何かコメントをしてくれと云うことで、ドギマギしながらも少しだけお話をさせてもらいました。(私の学んだ中学校は愛媛県越智郡岡山村村立岡山中学校で同学年生が185名4クラスありました)
亡くなられている20名と2名の先生のご芳名を紹介して、
70と云う古希の歳を迎えると両親もほとんどの方が居られないでしょうし、中には連れ添いの方、兄弟(姉妹)、沢山の知人、芳友との別れをされていると思います。
生きると云うことは別れて行くこと、そして私の死と云うことから免れ得ないことなのだと云うことを実感しております。
過日テレビ番組で観た93才の日本画家「堀文子さん」の言葉「私には死が同居していたんだ!」と云う偉大なる発見を語られ、そこからの見るもの聞くことが今まで以上に感動的であると話される堀さんの語りに私は感動しました。
そうなのです。釈尊が「諸行無常」を前提に自分を含めたあらゆる事象を見て行くことを説かれた仏教と堀さんの「死が同居している」との発見は共通している点が多分にあると感じました。
死を通して生を見る、別れを通して今の出会いを思ってゆくこと。
天台大師(6世紀中国の学僧、日本の精神文化に多大の影響を与えた)の言葉に「止観」(しかん)と云うのがあります。「止まって観よ」と申されていますが、70才、古希の歳はそう云う歳ではないかと思います、とお話しました。
最後に東井義雄先生(兵庫県、小学校教師、寺院住職、10数年前逝去)の一篇の詩を紹介して終えました。
その詩をここに紹介しておきます。()の詩句は同窓会ではお読みしていません。
(目をさまさせてもらってみたら、「老」も「死」もヒョロンヒョロンの私の肩にくい込む「苦」ではなく「救い」ではないのだろか、と思われてきた)
*
落とせばこわれる茶碗だから
この茶碗のいのちが尊い
落とせば
今すぐにでも壊れてしまう私のいのちだから
今ここに生きさせてもらっているということが
ただごとでなく いとしい
ただごとでなく うれしい
プラスチックのいのちでないことが
ただごとでなく
ありがたい
*
川にそって
岸ができている
川のための
岸
(私にそって本願ができていてくださる
私のための
本願
どこまで流れていっても
すむことのない
私のための
本願
川のための
岸
私のための
本願 )
なごり惜しくも5時過ぎ頃、みなさんとお別れをして帰途に着きました。福山からの車の運転はアルコールを飲まれないS・Fさんに運転をゆだねて大三島に帰りました。
みなさんありがとう、ごきげんよろしゅうに!また、いつの日にかお会いしましょう!
翌朝、隣家の甘夏柑の幹に巻き着いて咲いている蔓草の小さな花を撮ってみました。
雑草として処理される草なのですが、1,5㍉足らずの小さな花を沢山咲かせています。
よくよく見ると形状も色彩も実に鮮やかです。
調べて見ると「ひるがお科」で「丸葉縷紅草」(まるばるこうそう)とちゃんとしたすごい名前が付いている雑草であることが分かりました。