万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

水軍窯40年(すいぐんよう)

2011年09月30日 | Weblog
 9月27日(火)より10月2日(日)まで今治の河野美術館茶室「柿ノ木庵」で村上水軍窯40周年展が行われています。
28日に今治に丁度法務がありましたので寄らせてもらいました。
 陶芸家村上俊山氏が陶芸の修行から郷里の大三島宗方に帰郷し窯を据えられてからもう40年にもなるかと感慨一入のものを感じます。
 大三島のの山野を探索されて陶土や釉薬の鉱石を集をめられて大三島産の釉薬を主として使って来られたのです。鉄釉、青磁釉などの試行くり返し今日のようなオリジナルな作品を創造して来られたのでした。
 今回「柿ノ木庵」和室に40点の代表作を展示されて40年の作品を回顧され、世に問うておられます。最近手がけておられる青磁地に魚鳥紋を彫り辰砂を象嵌した作品は他には見られないものでしょう。
 足を運ばれては如何でしょうか、お勧めいたします。

        

        茶室の展示作品


                            
                            青磁地魚鳥紋辰砂象嵌大皿


                                                
                                                鉄釉掛け大壺


                   
                  この酒器は俊山氏が郷里に窯を据えて
                  最初に焼いたもので、万福寺へ下さったものです。
                  大三島の鬼板釉にみかんの木の灰を掛けたものと当時語って
                  おられました。杯の造りが上品です。

展示会場の河野記念館の茶室「柿ノ木庵」は大坂府山崎の妙喜庵の国宝待庵二畳隅炉茶室を忠実に写した茶室で一見の価値があります。山崎の待庵は二つしかない国宝指定茶室の一つです。
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鷹谷俊昭兄のこと(たかがいしゅんしょうけい)

2011年09月28日 | Weblog
                  

 先日画像のような法話集をいただきました。著者は広島県江田島市の教法寺前住職鷹谷俊昭師です。『三分間真宗法話365』
と題されているように1頁に1篇のご法話が365篇、365頁に纏められています。1篇1篇珠玉のお言葉でハッとするようなお言葉が綴られています。
 百数十年前から江田島、能美島、音戸辺りの浄土真宗寺院では常朝事と呼ばれている毎朝の勤行に続いてご法話が語られてまいりました。1年365日、休みなしにです。毎朝数十人の参詣者があるとのことです。尊い習慣が続けられていることに頭が下がります。ご住職、坊守さまの忍耐と努力なしにはあり得ないことです。
 教法寺の前住職鷹谷俊昭師は東京生まれ、東京の武蔵野女子学院に勤務されていましたが教法寺住職を継職の為帰山、常朝事も継職され勤められて来られました。この集はそれをまとめられた法話集で今回で7冊目になります。長年にわたるご努力と熱意に唯々敬服いたします。
 随分以前にお聞きしたことですが、東京時代、小学校の同級生、同窓生に詩人の谷川俊太郎氏や共産党委員長であった上田耕一郎氏などがいるとのことで影響し合っている面もあるのでしょう、内容が広くて深いものになっています。

 『真宗法話365』から1篇を紹介させていただきます。

  有為の奥山
 いろは歌の後段は「有為の奥山今日越えて」です。有為とは様々な条件、因縁によって生じ、変化し消えてゆくもの、現象のことです。この人間の世界はまさに有為の世界です。そこに苦しみ、悩み、争い、憎しみが生まれます。それを越えることは甚だ難しい、ですから奥山で、越えた先にある行くべきところ目標とそれにいたる道筋を見、一歩踏み出す意義と、喜びの心が現れています。
 奥山というところだけを見ると徳川家康の道訓と言われている、人の一生は重荷を担うて遠き道を行くが如しというのにも似ていると思いますが、ここでは急ぐべからずと続き、急いては事を仕損じる、と徐々に着実にというに過ぎません。それも悪いことではありませんが、そうすればいつでも誰でも家康のように天下が取れるわけではありません。むしろ家康は、自分のほかに天下を取る人が出ては困るのですから、これは万人の目標とは言えないのですし、この言葉を悪く考えればそのうちにどうにかなるさという程度にしか受け取れません。
 そんな目先のことではない、浅はかな迷いの快楽、一時的な希望に溺れる夢は見ない、独りよがりの酔いにふけることがなくなるのが仏道です。(3月23日の項より)

 このように仏教の広い味わいが365篇収録されています。もし求めたい方がおられましたらご連絡ください。
        出版社は京都市下京区七条大宮東入大工町124-1 探求社です。  
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彼岸花ロード

2011年09月27日 | Weblog
                    

 25日松山からの帰り道、国道317号を今治方面へ車を走らせ、石手ダムを少し過ぎた辺りの道路沿いに彼岸花が植えられているのに気づきました。1㎞近くは咲いていたでしょうか・・・・、途中車を止めてカメラにおさめておきました。このメラメラと燃える炎のような彼岸花が道の両端に咲き続いているのです。この風景は他の花では出来ないでしょう。
 恐らくこの土地の人たちがボランティアで植えられたのでしょう。温かいおもてなしにありがとう。

                     
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宝厳寺再訪

2011年09月25日 | Weblog
 午前10時30分より松山石手町のS.Oさん宅のご法事にお参りするべく出発しましたが、1時間も早く石手に着いたので道後の一遍上人の誕生寺宝厳寺さんへ寄り境内に建てられている句碑、歌碑を見て回っていましたらご住職の長岡師が出て来られました。挨拶をし本堂へお参りするよう招ぜられました。その折り境内を散策していた二人連れの娘さんにあなた方も本堂へお参りしませんかと声をかけると本堂に上がって来ました。鍵が開けられる間娘さんらに「どこから来られました?」と訊ねると「韓国から」、この娘さんらは韓国からの旅行者だったのです。
 三人で本堂の御本尊さまにお参りし、重文の一遍上人立像を拝観させていただきました。いよいよ側の側で拝観させていただくことが出来嬉しいことでした。
 ご住職自らお茶を入れて下さり、お茶菓子の「山田屋饅頭」を口に入れ、お煎茶を頂きました。韓国からの二人の娘さんも感嘆の声を上げて喜んでいました。声をかけなかったら全く何もなかったのでしょうが、袖触れ合うも多生の縁です。
 ご住職の長岡師は昭和27年龍大入学の大先輩で、龍大合唱団のメンバーであられたとのことです。


                 
                長岡ご住職と韓国からの旅行者

 境内は箒目が隅々まで残こされ心洗われます。白萩が秋風に揺れていました。

                  
                     正岡子規の句碑
                    色里や十歩はなれて秋の風
                     昔は宝厳寺の門前は歓楽街だったのです。
   
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25日早朝の驚き

2011年09月25日 | Weblog
                       
                       暁天の27夜の月
                       丁度眉月の逆さです。

9/25日、午前5時30分暁鐘。東の空が少し朝焼けています。その右上に細い月が掛かって見えました。驚きました、つい先日中秋の満月を日没後に観たのに?慌てて指折り数えてみると満月からもう2週間も経とうとしているのです。満月から2週間経つとこのように細くなり月の出は朝方になるのだと云うことは当然であるのに驚いてしまいました。私の思いは満月から数日しか経っていないと云う愚かしい感覚しかないことに苦々しく、呆れてしまいました。
 今朝の月は27夜の月でした。
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9月22日のご法座

2011年09月23日 | Weblog
 昨日秋彼岸法座と報恩講法座を併修いたしました。台風一過快晴の中のご法座となりました。
 講師は当院次男で一昨年香川県坂出市西招寺へ入寺、住職を務めている林恵真師が初めて出講してくれました。恵真を小さい頃からよく知っている方など大勢お参り下さいました。

 先ず、親の付けてくれた自分の名前「恵真」(えしん)について語りました。小学校の頃には「まことを(他に)恵む人になれ」と云う意味のように思っていたけれど、仏教を学び『無量寿経』を読ませていただいて大きな間違いをしていたことに気づきました。「恵真」の主語は如来さまだったのです。如来さまが真実心の全くないこの私に真の心を南無阿弥陀仏の名号として私に恵み与えて下さっていた意味であったことを知ることができたと語ってくれました。

 ご法話を聞くまで父親としてドキドキとして不安感一杯でしたが、終わってみると有り難い限りでした。ありがとう。


                        
            白扇を広げて「これが雲に見えますか?}と、
            雲は雨となり、大地に降りそそぎ木や竹を育てます。
            その木が紙となり、竹が扇の骨となり白扇となりました。
            ですが、私たちの目にはそのようには見えないのです。全ての
            存在は縁によって結ばれています。無縁の存在は皆無であると、  


            
           野々江と浦戸のお世話人さんの手で「おとき」が
           作られました。100㌫お精進料理です。
           大変おいしかったです。多謝、
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お彼岸と報恩講法座のご案内

2011年09月19日 | Weblog
 来る9月22日午前10時始めでお彼岸と報恩講のご法座を営みます。
講師は坂出市西招寺住職林恵真師です。林恵真師は当山の次男で一昨年縁あって西招寺に入寺し住職を務めさせていただいております。
 今回生家の万福寺で初めて布教をしてくれることになりました。ご多忙のこととは存じますがご参詣頂きお励まし頂きたく存じます。
 今回のご法座は短時間ではございますが、おときをご用意いたします。(野々江、浦戸のお世話)宜しくお願い申し上げます。

                   
 
 境内の萩が咲きこぼれています。萩が咲き始めるとどんなに残暑厳しいと云っても秋を感じます。

   白萩や伽藍の空の透き通り     明慧
  
 
  
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河骨(こうほね)

2011年09月17日 | Weblog
昨日は口総地区の絹川、田中組の報恩講をお参り致しました。そこの真ん中に約5千㎡ぐらいの池があって田中池と呼ばれています。長い間生活排水が流入して汚い池になっていましたが、近年集落の下水道工事が完成したり池の改修工事も行われ水が見違えるようにきれいになりました。
 その池の工事が終わった時にその池の側で生まれ育ち現在東広島市に住んでおられる相原礼治さんが睡蓮や河骨(こうほね)を植えられたのです。それらが今勢いよく繁茂して盛んに花を咲かせていました。河骨(こうほね)がこのように沢山咲いているのは大三島では珍しい風景なので今朝撮影に行って来ました。
 撮影をしていますと相原礼治さんが帰郷しておられ、撮影現場へ出て来られました。この河骨は西条河骨(さいじょうこうほね)と云う種だと話して下さいました。


                                  
                            黄色の花が河骨

                   
                     田中池の睡蓮

 鯉の稚魚も放生したようで大きくなっているようです。元々この池は湧水を利用した池ですからキッときれいな水を湛える池になることでしょう。

 河骨(こうほね)は睡蓮科の植物です。黄色で可憐な花がみずもにすっきりと咲いている姿に魅了されます。ですが呼び名がふさわしくないように思い調べてみますと、水面下の根が白い骨のように見える処から「河骨」と呼ばれるようになったようです。この根は漢方の薬草としても使われ「川骨」(せんこつ)と呼ばれていることを知り納得出来ました。
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東雲(しののめ)

2011年09月16日 | Weblog
 9/16 朝の鐘を撞きに鐘楼に立つと東の空が朝焼けていました。このような美しい朝焼けは一年にそう何度も出会うことはありません。カメラを持ち出して撮しておきました。

   

                  

                                     

 東雲(しののめ)、東天紅、暁の豊旗雲(とよはたぐも) 日月の様々な現象に感動を覚え、心がときめきつつ四季が移ろい時がたゆとうに過ぎて行きます。

 朝焼け(あさやけ)も夕焼けも俳句では夏の季語となっています。朝焼がすると雨が近く、夕焼けがすると明日はいいお天気と云われているのは大体合っているようです。
 俳句歳時記の朝焼け句に次のような句が紹介されていました。

   ガンジス河朝焼けのして人人人   増田司学

 おそらくベナーレスのガンジス川早朝の沐浴風景の句であろうと思います。
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中秋の月

2011年09月13日 | Weblog
                  
                  中秋の名月

                         
                         尾花

 午後6時50分、谷条組の報恩講のご法座に行くべく外に出ると丁度月が山から出たところでした。今夜は雲が多くて駄目だろうと思っていたのですが・・・・、急いで部屋に帰り三脚をセットしたカメラを持ち出し撮影しました。時間が余りありませんでしたので2、3枚しか撮れませんでしたが、どうにか今年の中秋の月を撮ることができました。今年は6年に1度の完全な満月なのだそうです。雲は多いのですが、雲の切れ間の月です。レンズは500㍉レフで撮影してみました。
急いだので露出もしっかりしていません。(クリックで大きくなります)

 その夜の報恩講の法話は満月をご縁に「涅槃経」のお釈迦さまが王舎城の父王を殺害し、母をも殺害せんとした阿闍世王のために月愛三昧に入られたことについて再びお話をさせていただきました。
 月の光はどこまでもやさしくそーっと、そーっとつつんでくださる。そして心の奥までしみこんでくださる光。
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