万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

2月の法語

2014年01月31日 | Weblog
                                

 
 今月の法語は昭和26年にご往生になられた高光大船師のお言葉が挙げられています。

   人は 
     法を求めるに止まって
   法に生きることを 
     忘れている        高光大船(たかみつだいせん)

 高光大船師は明治12年に金沢市の素封家高木家の3男に生まれられ、幼少期に同市北間の専称寺の後継者として貰われて僧侶

となられたとのことです。(『親鸞に出遇った人びと』3より)長じて清澤満之先生の「浩々洞」の流れを汲む暁烏敏・藤原鉄城

両師とともに同人誌「旅人」や「汎濫」に従事され加賀の三羽烏と称されていたと記されています。(同書による)

 2月の法語の厳しいお心について思いをめぐらせ、思念させていただくことでありますが、親鸞聖人のみ教えに耳を傾け聞法さ

せていただく日々が、お念仏を申させていただく日々であり、お呼び声に遇う日々が自ずから現出することを強調して下さってあ

るお言葉と拝受させていただきました。

 昭和26年、亡くなられる歳の俳句が同書に紹介されていましたのでご紹介しておきます。(73才)

    足早に秋のおとづるる木立かな
    風は森を渡り訪るる誰もなし
    動くこと出来ぬ横臥や蠅の来る
    長閑さの折々蠅の飛ぶ音よ
    蝶の来て我が庵ぬけてけり

 この5句は病に横臥された日々の句でありましょう。ここには淡々と流れ行く時が描写されていて仏法の言葉もお念仏のことも

何ら語られてはいません。それは時の移ろいに衰え行く身をまかせ、その時の移ろいがそのまま大悲のなかでのことなのでありま

しょう。

自然法爾の世界のことなのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公孫樹の枝打ち

2014年01月30日 | Weblog
                       


                                            

        


 2年に1度境内の大公孫樹の枝打ちをすることにしていますが、今年がその年なので数日前より庭師さんが仕事に入っています。公孫樹の枝打ちが昨日終わり冬空に公孫樹の裸木が現出しました。青空にクッキリと芸術作品のようにも見えます。

 晩冬に西本願寺にお参りをし、黄色い森のような公孫樹の黄葉に遇いましたが、あのように枝を自然に伸ばすことは拙寺では出来ません。落葉が大変になってしまうのです。


1月28日午後1時頃、大阪に在住の中学のクラスメイトの中根昭、菅悦宗、和田法雄の3君が立ち寄って下さいました。昨日と今日とミカン狩りに帰ったのだとのこと、懐かしく歓談の時を過ごしました。本堂にも一緒にお参り読経をし、短く法話もさせて貰いました。そう云うことでも有難いことでした。大阪の私の全く関知しないことなども聞かせて下さり、驚くことも沢山ありました。何よりも心身ともに健やかなことは嬉しいことです。


            
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御正忌法座(ごしょうきほうざ)

2014年01月17日 | Weblog

 本日17日、日中席より拙寺のご正忌法座を開座致しました。11時45分頃若院が講師の宮部誓雅先生をお迎えして帰山して

来ました。若院は音戸の寺院へご正忌法座へ出講、宮部先生は東広島西条の寺院へご出講でした。若院が西条の寺院まで帰りに寄

ってお迎えして帰山して来たのです。大寒で寒いのですが、風も雨もなく穏やかな日となりホッとしました。

 宮部先生ははつらつとしてお説き下さいます。大阪弁が一寸混じって暖かいお話です。有難し。


  境内や庭に咲いてくれた椿を数種あちこちに挿して見ました。おたんやに咲いてくれてありがとう。

           
    妙好人           意宇の里         白侘助             数寄屋侘助       初嵐



    枯菊にまだ残る香や残る色         宏子
    交替で孫茶筅持つ二日かな        千代
    年新た雲かがやきて海へいで       文子
    御正忌のご縁に会へてと言い合えり    篤子
    初旅や幼なじみと和みけり          明慧    
          
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御正忌法座のご案内

2014年01月15日 | Weblog
                       

 京都のご本山では1月9日逮夜法要より16日日中法要まで宗祖親鸞聖人御正忌法要がお勤まりになっています。

 当万福寺では本年は若院が他寺へ出講と云うこともあって1月17日日中より16日朝席まで厳修いたします。すでにご案内申

し上げておりますが、寒さ厳しい中ではありますがどうかご参詣下さいますよう重ねてご案内申し上げます。

 ご講師はご遠路大阪より宮部誓雅先生がご出講賜ります。今回で2回目のご縁となります。尊い先生です。宗祖親鸞聖人のご恩

徳を偲びお参りさせていただきましょう。


       
            ご正忌法座では右余間に七高祖様のお軸と聖徳太子様のお軸をお掛けし、

       
            左余間には親鸞聖人の伝記である四幅のご絵伝をお掛けします。順番は一番右の軸の下から上へと拝見いたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

念仏申さんと思いたつ心のおこる時

2014年01月11日 | Weblog


 この画像は蓮如上人書写の『歎異抄』第一章の御文です。十数年前にご本山から頂いた複製本をコピーいたしました。日本仏教

史上で一般に最もよく読まれている書がこの『歎異抄』であることは大方が首肯するところでしょう。

 『歎異抄』の撰述者については論議されて来たのですが、親鸞聖人の直弟子である河和田の唯円房(ゆいえんぼう)の手になる

とする説がほとんど定説となっております。これにはもう疑う余地のないところだと思います。『歎異抄』の原本については現在

では見ることは出来ず、一番古い写本がこの蓮如上人が筆写され、西本願寺に伝蔵されている歎異抄なのです。

 書の青蓮院流の名手と謳われた蓮如上人の端正な書写本を拝見しておりますと、語られる親鸞聖人の凜としたみ心、それを真摯

に一言も漏らさないように耳を澄まして聞いいて下さった青年唯円さんの心、それから約二百年後、その歎異抄の一字々々を間違

いなく書写される蓮如上人のその心、その希有なる三上人のみ心が凝縮して今の私どもに邂逅下さってある。忝なく、有難しとし

か云いようがありません。

この『歎異抄』と名付けられている紙葉20枚ぐらいからなる語録は書写された蓮如上人が奥書に

「右この聖教は、当流大事の聖教となすなり。無宿善の機に於いては左右なく、之を許すべからざるものなり。」

 と記されたことからであろう、近世に至るまで一般的には読まれることはなかったのですが、明治以降公版されて多くの人々に

読まれ今までなかった一つの思潮が生まれたと云っても過言ではないほどの重要な書となっているのです。

 冒頭の一葉の写真は蓮如上人書写の『歎異抄』の第1章部分です。18章と序文、後序からなっている歎異抄全体の要、すなわ

ち親鸞聖人の信心の内容が筆録されている章と云われて来たヶ所です。

 この『歎異抄』の現代語訳や解説書は多くの諸先生方による各種の刊本を見ることができます。

 『歎異抄』第1章の現代語訳を挙げておきます。訳者は今は故人であられます大衆文学でフアンが多かった、今東光(こんとう

こう)師の訳文を紹介しておきます。東光師は函館のお生まれで作家となられ、ある時忽然としてに出家され天台比叡山の僧にな

られ、八尾の水間寺や陸奥の中尊寺などの住職を務めつつ小説を書いて行かれたのでした。最近、よく知られていることでは女流

作家の瀬戸内寂聴(晴美)さんが出家される時のご相談と戒師に当たられた方です。また、文化庁初代長官になられた今日出海

(こんひでみ)氏は東光師の末弟です。


      その一
 あらゆるものを救はねばおかぬと御誓いなされた弥陀の本願の不思議な御はからいに助けられて、浄土へ参らせていただけると信じて、御念仏を申そうというこころざしの起きたとき、そのときこそ、もはや光明のうちに摂(おさ)めとって、捨てたたまわぬ恵みにあずかっているのである。
 抑(そもそ)も弥陀の本願は、年寄りであろうが若い者であろうが、善人であろうが悪人であろうが、あらゆる人々を少しの分けへだてなく救い給うのである。あらゆる人々を、ありのままに救うて下さるのであるから、善とか悪とかにかかわらずに、ただ本願の救いを糧(かて)にする信心ひとつが肝要なことを知らなければならない。それではどうして悪人でも本願を信ずるだけで助かるかというと、それは罪の深い煩悩の強い私どもをたすけようための本願なればこそである。
 それゆえに本願を信じさえすれば、それ以外の善根をわざと積みかさねる必要はない。なぜならば本願の念仏よりも優れた善根はないからである。
 さればわが身の悪を振りかえって、これでは救われないのではないかと不安を感じて怖れるにも及ばないのである。何故なら弥陀の本願で救われないほどの悪はこの世にないからである。
 ただ、ひたすらに本願を信じ、念仏を申してこそ救われてゆくのであると、聖人は仰せられたのである。
                                 (『しんらん全集』3語録、昭和34年普通社発行)  


 もし、『歎異抄』を読みたい思いの方がおられましたら万福寺の方へお申し越し下さい。ご紹介いたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数寄屋侘助

2014年01月09日 | Weblog
            


 四恩堂納骨所の前にある数寄屋侘助(すきやわびすけ)が咲き始めています。瀟洒な小振りの筒咲きの侘助椿。色は上品な淡い

紫色です。

 この小さな一重咲きの椿に「数寄屋」の名がどのような想いから付けられたのでしょうか、

 「数寄屋」とは水屋などをも備えた小間の茶室を指して呼ばれています。その茶室に招かれて茶室に座った思いは、掃除が行き

届き清潔感があって、なお冬ならば炉の釜に湯が滾っている。寒冷の中にあって亭主の暖かい心が伝わって来る。すなわち気取ら

ない「おーもーてーなーし」の心。そのような思いを想わすような姿が感じられるからの椿名なのでは、、、、と、思ってみま

す。

 このことにあまり関連はないけれど、やっぱり「すきやねん」などをヒットさせていた「やしきたかじん」さんが亡くなったと

惜しむ報道がしきりであります。一寸見破天荒な人であったがその奥にはやさしさと人を気遣う思いの厚い人であったと周囲の

方々は涙ながらに語っている。まさに「数寄屋」の心にどこか通じている人であったようにも思えます。基本的には、人間が好き

だと云うことでしょうか。


          
     雲南大絞り        妙好人の蕾        柏葉紫陽花の越年紅葉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元旦に咲いた花たち

2014年01月04日 | Weblog
                       


            


 元旦にふと見ると蝋梅(ろうばい)の枝に一杯黄色い蕾が膨らんで早数輪ほころんでいました。今年の蝋梅の開花は随分と早い

ように思います。去年までは確か1月中旬以降の開花であったように思うのですが・・・・。馥郁と微香が薫っています。

 蝋梅は「蝋細工で出来たような梅」と呼ばれているのでしょうが、蝋細工ではなくてちゃんとした素晴らしい佳香を寒気の中に

放っているのです。徳はほのかに薫って風に流れ行くのです。


            

 夏に油かすなどをタップリ施した所為なのか「白侘助」椿が沢山一斉に咲いています。こんなに沢山の白侘助が咲いたのは始め

てです。拙寺の侘助椿で最も早く咲くのはこの白侘助と一子侘助です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成26年1月の法語

2014年01月01日 | Weblog
                               


     み仏のみ名を称ふるわが声は
         わが声ながらとふとかりけり  甲斐和里子(かいわりこ)  

明けましておめでとうございます。大晦日から元旦にかけて大風が吹き荒れましたが午後からは風も治まり、比較的暖かくて穏

やかな新年となりました。本年もどうか宜しくお願いいたします。


 1月の法語は昨年9月の法語、甲斐和里子先生のお歌「み仏をよぶわが声は み仏のわれをよびますみ声なりけり」が

掲げられていましたが、本年1月も和里子先生のお歌が上げられています。

 如来さまが名号となられ、私の口から私を喚ぶ声となって私の耳に聞こえてくださる。心に時おり響いて下さって、「大丈夫!

大丈夫!ここに居るよ」と、寄り添い下さってある。

 和里子先生の『草かご』の昭和31年の随筆の中からこのお歌に関連したご文を紹介させていただいておきます。

 嬉しいことに私も眼はまだよく見えます。どんな細字でも読めます。けれども何分老眼のことゆえ酷使してはならぬと思い、もっと読みたいのになァ、とひとりごとしつつも大概夜の十時までで中止するよう克己しています。
 次に私の口について申し上げます。もとより総入歯で妙な口でございますが其の妙な口からお念仏がおでましくださいます。いかなる大善大功徳よりも一声のお念仏の方がより尊いと聞かせていただいておりますが、さほど尊いお念仏が、ややもすれば人をそしったり、要らぬことを言いちらしたりする下品な下品な私の口から、昼でも夜でも又之を書いている只今でもドンドンお出ましくださるということは誠に不可思議千万で、勿体のうてたまりません。殊に人なき林の中などで声たててお念仏していると、何だかお浄土の如来様とお話をしているように感ぜられだして泣けてくるときがございます。
   みほとけの御名を称ふるわが声は
   わがこゑながら尊とかりけり

 和里子先生のお住まいは京都右京区の臨済宗相国寺派になる等持院近くでした。ご自宅での聞法会には等持院などの雲水さんた

ちも聞法に見えていたそうです。

 和里子先生は昭和37年11月27日にご往生、95才であられました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする