掲載した古文書は当山第10世断流住職の自筆自伝です。随分と能筆で、
しかも筆まめな人であったようで自筆の説教案文や日事記などが多く遺さ
れています。解読するのには相当くたびれます。
今紹介します「自筆自伝」は断流師の青年時代は幕末から維新にかけて
であったからでしょう徳川幕府から明治へと地殻変動する様が随所に記録
されていて興味がそそられるのです。
写真の筆書きの内容は、明治8年から9年にかけての断流師の松山時代
の記述なのですが、松山の浄土真宗寺院の青年僧や県庁に働きかけて松山
監獄の教誨活動を行うようにしたことが記述されていて、この教誨活動は
全国でも草分けとなっていることが『日本教誨史』の中にも断流師とその
同志のことが記録されていることは特筆すべきことでしょう。
この断流師の記述の中に肥後に起こった反政府一揆「神風連の乱」、そ
れは政府軍に直ぐさま鎮圧されたのですが、逮捕された数十名が松山監獄
へ送監されて来てその教誨に当たったことが記されています。西南の役の
前年のことです。
その断流師が他界されて本年が丁度100年になります。
しかも筆まめな人であったようで自筆の説教案文や日事記などが多く遺さ
れています。解読するのには相当くたびれます。
今紹介します「自筆自伝」は断流師の青年時代は幕末から維新にかけて
であったからでしょう徳川幕府から明治へと地殻変動する様が随所に記録
されていて興味がそそられるのです。
写真の筆書きの内容は、明治8年から9年にかけての断流師の松山時代
の記述なのですが、松山の浄土真宗寺院の青年僧や県庁に働きかけて松山
監獄の教誨活動を行うようにしたことが記述されていて、この教誨活動は
全国でも草分けとなっていることが『日本教誨史』の中にも断流師とその
同志のことが記録されていることは特筆すべきことでしょう。
この断流師の記述の中に肥後に起こった反政府一揆「神風連の乱」、そ
れは政府軍に直ぐさま鎮圧されたのですが、逮捕された数十名が松山監獄
へ送監されて来てその教誨に当たったことが記されています。西南の役の
前年のことです。
その断流師が他界されて本年が丁度100年になります。