万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

仏足石

2010年09月29日 | Weblog
 この画像は一見何なのかよく分からないと思われるかも知れません。これは仏足石の拓本

なのです。私がまだ京都にいた頃、大和西ノ京薬師寺から龍大に来ておられた方のご縁で薬

師寺にある仏足石の拓本をいただきました。この仏足石と仏足跡歌碑は国宝に指定されてい

る貴重な石刻です。

 石に線刻されている仏足は足長約50㌢に両足裏が刻まれ法輪、三法印などが線刻されて

います。

 唐代の初め王玄策がインド、ベナーレス(鹿野園)の仏足石を謄写し唐にもたらしたもの

を遣唐使黄書本実(きぶみもとみ)が書写して帰えり我が国に伝えたと記されています。

 インドの初期仏教では仏足石がお釈迦様の旧跡に造られて礼拝対象となっていたのです。

そのインドの仏足石の原寸が日本に伝えられていることは実に貴重であると思います。


仏典にしばしば見られます礼法に「仏足頂礼」(ぶっそくちょうらい)があります。これ

はお釈迦様の滅後には仏足石」が設けられてこの仏足に五体投地して額に頂くと云う礼拝が

行われたのでしょうが、ご在世の頃にはお釈迦様の足の甲に額を頂いて礼することが行われ

ていたのです。あのインドの大地を素足でもって歩き続け、説法をされたその御足を額に頂

くと云うことは筆舌を超えた精神体験であったに違いありません。
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居待月(いまちづき)

2010年09月26日 | Weblog
 昨夜(9/25)9時前頃に今宵の月は如何にと東の空を仰ぎ見ますと中天にきれいな姿

が見られました。15夜から3夜後の月です。気温が冷えて来た所為でしょう冴え渡った月

光を放っていると感じました。

 18夜の月は「居待月」と呼ばれて来たとのことです。17夜の月は「立待月」、19夜

は「寝待月」と云うのだそうです。このような云い方は遠く万葉の頃から云われていたよう

です。

 『万葉集』3に次のような歌が収録されています。

    たびの歌一首 
 わたつみは くすしきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を伊予に回らし
 座待月(いまちづき) 明石の門ゆは 夕されば 潮を満たしめ・・・・・・

 人類の長い歴史の夜に「月」がなかったとしたらどうでしょうか、人の心に培われて来た

情緒はもっともっと荒れたものになっていたでしょうねエ・・・・・。

 親を殺害し心荒び、拠りどなき失意の王舎城の大王「阿闍世」(あじゃせ)をお釈迦様は

「月愛三昧」(がつあいさんまい)に入られて迎えられたと『涅槃経』(ねはんぎょう)に

述べられています。

 涼しくなった良夜をお過ごし下さいますように、
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六字のご本尊

2010年09月25日 | Weblog
 お彼岸の中日を迎えた様に朝は冷えを感じるようになりました。どなたにお会いしても今

夏の猛暑のことを語られます。今まで経験したことのない夏でありました。

 中秋の月も、お彼岸の日々も足早に過ぎ去って行きます。

 
 お彼岸の入る前頃からご門徒の家々のお取越し報恩講を始めています。汗をかきながらで

ありましたが、ここ数日少し凌ぎやすくなり心も安んじてきたようです。


 画像は昨年ふとしたことで落手しました蓮如上人筆と伝えられる「六字名号」を庫裡のお

内仏のご本尊にしつらえさせていただきました。戸帳も手持ちの古い金襴地で作ってもらい

お懸けしました。

 本願寺八代蓮如上人は何万も何十万もお名号を書き続けられました。南無阿弥陀仏一つで

あなたの人生の大事は大丈夫なのですよ、あなたの人生の歩みに阿弥陀さまは常に歩調を合

わせて下さっています・・・・等々、語ってくださいます。    南無、ナモ、
 
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秋季彼岸法座

2010年09月22日 | Weblog
9/22(水)午後1時より秋の彼岸法座を営みます。先日ご案内をさせていただきました

が、曜日が(木)曜日になっていますが22日なのですか、23日なのですか?と、お電話

をいただき間違いに気づきました。申し訳ありません。22日(水)なのです。今日なので

す。遅ぼそですが訂正させていただきます。

 まだ残暑厳しいことですがご参詣くださいませ。

 ご講師は松山市西清寺の林教信(はやしきょうしん)先生です。先生には本堂落慶法要の

折りなど大変お世話になりました。当院若院も所属している雅楽会のメンバーでもあられま

す。


 庭の「芙蓉」が開花盛んです。芙蓉には大変失礼ですが、本当に造花のようなと云いたく

なるような微妙な容姿をしています。天然自然の造化の妙と感じ入ること頻りです。
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えのころ草

2010年09月18日 | Weblog
 歩む路のあちこちに「えのころ草」の穂が揺れています。「えのころ草」は「犬ころ草」

と呼ばれていたのが訛って「えのころ」となったのだそうです。犬の子の尾っぽのようなと

云う意味からなのです。

 別名「ねこじゃらし」と呼ばれています。これはこの穂でもって子猫をじゃらすと子猫は

喜んでじゃれて遊ぶことからこの呼び名ができたとのことで、主に東京方面が「ねこじゃら

し」と呼ぶようです。

 どちらにしてもこの草は童(わらべ)の世界、野山に駆け回り遊ぶ童(わらべ)の情景か

ら生まれた呼び名であることには間違いはないでしょう。

 幼年の頃、父がこの「えのころ草」の穂二本を器用に使って弥次郎兵衛を作ってくれたこ

とがありました。それは子猫がじゃれるほど以上に童心を集中視させるものでした。

 遠い遠いその昔の忘れ得ない思い出です。今も昔も「えのころ草」は秋になれば同じよう

に風に揺れています。
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アメリカやまごぼう

2010年09月15日 | Weblog
 裏山の雑木の中に紫色の太い茎に葡萄状の黒い実が熟れて垂れているのが目につきまし

た。これは「アメリカ山牛蒡」と呼ばれる帰化植物です。北米から明治年間に外来して全国

の山野に自生するようになったとのことです。夏の間は緑色をしている葡萄状の実が秋にな

ると真っ黒に熟れて照ります。その漆黒はハッとするほどの魅惑があります。

 洋種山牛蒡とも、黒い実の汁がインク色をしているのでインクベリーとも呼ばれているの

だそうです。

 茶花としても秋海棠(しゅうかいどう)や木槿(むくげ)などと取り合わせると面白いも

のになります。

 昨日より空気が嘘のように秋めいて参りました。二ヶ月以上にわたって続いた猛暑、この

秋風にどっと疲れが出てきそうです。皆さまご自愛くださいませ。 
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義山書(ぎざんしょ)

2010年09月13日 | Weblog
 画像の書は足利義山(あしかがぎざん)和上の一軸で父の代からしばしばお掛けするお軸です。
善導大師の撰述『玄義分』からの御文で、

 ただねんごろに法に奉(つか)へて、畢命(ひつみょう)を期として、この穢身を捨てて、すなはちかの法性(ほっしょう)の常楽(じょうらく)を証すべし。

 と揮毫されています。渇筆でいて香気馥郁(こうけふくいく)とお徳が伝わって参ります。
 義山和上は文政7年に備後光円寺に生まれられ、勝願寺の住職を勤められましたが明治43年に87才でご往生になっておられます。青少年期に備後甲山正満寺慧海和上の学心館に学ばれ慧海和上に続いて勧学となられた学徳高い和上であられました。
 京都女子学園の基を築かれた甲斐和里子先生は義山和上のご息女、勧学となられ龍谷大学の学長を務められた足利瑞義和上はご長男、また、自照舎を主宰された足利淨圓先生は孫にあたられます。淨圓先生のご筆跡もまた渇筆であられて義山和上と同じ味わいが湧いて参ります。
 
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のぼたん

2010年09月11日 | Weblog
 この干天、まだ続く猛暑の中を「のぼたん」が盛んに花をさかせています。散水をするせいも

あるのでしょうがそのバイタリテイには感心いたします。

 桔梗の紫色とこののぼたんの紫色は魅力的な紫です。

 図鑑で調べてみると台湾や琉球(沖縄)が原生であるとのこと、道理で暑さに強いはずで

す。

 毎日暑さに喘いでいるそばで平然と咲き続けているこの「のぼたん」を見るとエネルギー

が貰えるような気になります。
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今治組仏婦連盟総会と研修会

2010年09月09日 | Weblog
9/8pm1:00より今治市民会館を会場に開催されました。万福寺仏婦からは役員8名と住

職、若院、坊守も同行いたしました。万福寺仏婦会長の大内美保子さんは連盟のお役は会計

の監査役で朝早くから出席されました。ご苦労さまでした。

 開会式、総会と進行し、2時から中央相談員としてご活躍の季平博昭(すえひらはくしょ

う)先生の「ともに いのち かがやく 世界へ」と題した90分にわたるご講演を聴聞い

たしました。

 ともに歩んで下さり、ともに悲しんで下さる阿弥陀さまのみこころのなかに生かされてゆ

く日々は、自ずから御同朋(おんどうぼう)の世界がかもしだされて来る。御同朋の社会は

「競い合うのではなく、比べ合って悲嘆落胆を繰り返すのではくて、支え合い敬いあう世

界」であることなどを日常のくさぐさに光りをあてられ、見過ごしがちな家族のことな

どを抱き上げられてお話し下さいました。実に感動的な90分でありました。

 帰途、瀟洒な茶房に寄りお茶をいただきながら、今日の感想を語り合ったことです。

 画像はご講演の季平博昭先生、
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哀れ白侘助椿(あわれしろわびすけつばき)

2010年09月06日 | Weblog
 今春、鉢から路地植えにした「白侘助椿」が調子が悪く、葉の色も元気がなく、葉っぱを

振るい落としています。私の好きな椿の一つなのです。何とも残念で可愛そうに思います。

今年の異常な暑さと干天のためなのでしょうか・・・・。

 枝を切り詰め、日よけにコウモリ傘をさしてやり、萱を切って根本に敷いてやりました。

一枝でも二枝でも生き残ってくれればいいのですが・・・。

 この白侘助にはその花に何度癒され、がさつな心に潤いをもらったことでしょうか、

初冬のたそがれ時に小さき白き花を楚々と咲かせて阿修羅の琴の音を奏でていました。そ

の琴の音はいつしかお念仏の声をささやいていました。

 白侘助椿よ!助かってください! 


   *お育て

 人間はすべからく未熟児で生まれて来る哺乳類であると云われます。生まれて直ぐには立

つことも這うことすらも出来ません。お乳を飲むことすらもままなりません。

 ですから(広い意味での)教育と云うことが大切で、教育なくして人となることはあり得

ないと云えます。

 人の心でもってのお育てそして、仏心に触れることによってのお育てにあずかることが大

切なことだと思います。これは生涯にわたっての薫育が大切にされなくてはいけないことで

しょう。

 
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