この画像は一見何なのかよく分からないと思われるかも知れません。これは仏足石の拓本
なのです。私がまだ京都にいた頃、大和西ノ京薬師寺から龍大に来ておられた方のご縁で薬
師寺にある仏足石の拓本をいただきました。この仏足石と仏足跡歌碑は国宝に指定されてい
る貴重な石刻です。
石に線刻されている仏足は足長約50㌢に両足裏が刻まれ法輪、三法印などが線刻されて
います。
唐代の初め王玄策がインド、ベナーレス(鹿野園)の仏足石を謄写し唐にもたらしたもの
を遣唐使黄書本実(きぶみもとみ)が書写して帰えり我が国に伝えたと記されています。
インドの初期仏教では仏足石がお釈迦様の旧跡に造られて礼拝対象となっていたのです。
そのインドの仏足石の原寸が日本に伝えられていることは実に貴重であると思います。
仏典にしばしば見られます礼法に「仏足頂礼」(ぶっそくちょうらい)があります。これ
はお釈迦様の滅後には仏足石」が設けられてこの仏足に五体投地して額に頂くと云う礼拝が
行われたのでしょうが、ご在世の頃にはお釈迦様の足の甲に額を頂いて礼することが行われ
ていたのです。あのインドの大地を素足でもって歩き続け、説法をされたその御足を額に頂
くと云うことは筆舌を超えた精神体験であったに違いありません。
なのです。私がまだ京都にいた頃、大和西ノ京薬師寺から龍大に来ておられた方のご縁で薬
師寺にある仏足石の拓本をいただきました。この仏足石と仏足跡歌碑は国宝に指定されてい
る貴重な石刻です。
石に線刻されている仏足は足長約50㌢に両足裏が刻まれ法輪、三法印などが線刻されて
います。
唐代の初め王玄策がインド、ベナーレス(鹿野園)の仏足石を謄写し唐にもたらしたもの
を遣唐使黄書本実(きぶみもとみ)が書写して帰えり我が国に伝えたと記されています。
インドの初期仏教では仏足石がお釈迦様の旧跡に造られて礼拝対象となっていたのです。
そのインドの仏足石の原寸が日本に伝えられていることは実に貴重であると思います。
仏典にしばしば見られます礼法に「仏足頂礼」(ぶっそくちょうらい)があります。これ
はお釈迦様の滅後には仏足石」が設けられてこの仏足に五体投地して額に頂くと云う礼拝が
行われたのでしょうが、ご在世の頃にはお釈迦様の足の甲に額を頂いて礼することが行われ
ていたのです。あのインドの大地を素足でもって歩き続け、説法をされたその御足を額に頂
くと云うことは筆舌を超えた精神体験であったに違いありません。