天候が不順のまま5月が終わりました。天候不順でいつまでも朝が低温が続き、いつも初旬に咲くみかんの花が今頃咲いていますから今までにない異常気象です。
6月の法語カレンダーをめくりますと、親鸞聖人ご撰述の『入出二門偈』からのご文、
凡夫(ぼんぶ)
煩悩の泥(でい)のうちにありて
仏(ぶつ)の正覚(しょうがく)の華(はな)を生(しょう)ず
なんの取り得もない、日々を煩悩(むさぼり、はらだち、なきごと、自己中心で驕慢などの心)にまみれ、沈淪(ちんりん)している凡夫と云われるこの私に如来さまは声の限り呼び続けられています。「あなたよ!煩悩の泥海にあって恐れるなよ!心配するなよ、煩悩の海をあなたとともに生き抜いてお浄土にともに生まれてゆくよ、恐れるでない!」とナモアミダブツ、ナモアミダブツと呼び続けられています。そのお心に、み声を聞くままに煩悩の泥に染まらない信心の華、正覚の華が咲いて行くのです。
カレンダーのご文の前後のご文を『入出二門偈』から紹介しておきます。(『注釈判』P549)
この信心をもって一心と名づく。煩悩成就せる凡夫人、煩悩を断ぜずして、涅槃(ねはん)を得、すなはちこれ(安楽自然(あんらくじねん)の徳なり。
游泥華(おでいげ)といふは、『経』(維摩経ゆいまきょう)に説いてのたまはく、高原の陸地には蓮を生ぜず。
卑湿(ひしゅう)の游泥(おでい)に蓮華を生ずと。これは凡夫、煩悩の泥のうちにありて、仏の正覚の華を生ずるに喩(たと)ふるなり。これは如来の本弘誓(ほんぐぜい)
不可思議力を示す。すなはちこれ入出二門を他力と名づくとのたまへり。
入出二門とはお浄土へ往生する門と浄土往生からただちにこの土へ救いのはたらきとして帰る門と云うことです。
浄土往生は「自利」、還相(げんそう)は「利他」。
お浄土へ往生させていただくこと、そのままが「自利利他円満成就」(じりりたえんまんじょうじゅ)と云う広大な法界の身とさせていただくことであります。
徳力さんの版画は建永2年(1207)興福寺などの告訴により法然聖人の専修念仏の教団は解散、法然聖人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ配流せられました。この図は親鸞聖人の配流の模様が描かれています。
法然聖人のお導きによって無辺広大な如来さまの大慈大悲が身に満ちあふれる親鸞聖人には苦痛や後ろめたさや屈辱感などは微塵もなかったと考えられます。法然聖人も親鸞聖人も世俗の善悪では計れない崇高そのもので姿勢を崩されることはなかったと伺います。それは聖人の越後以後のおいのちのご活躍を伺います時、ただただ勿体ない限りです。歩む姿は象に似てとの仏典のお言葉が彷彿といたします。
6月の法語カレンダーをめくりますと、親鸞聖人ご撰述の『入出二門偈』からのご文、
凡夫(ぼんぶ)
煩悩の泥(でい)のうちにありて
仏(ぶつ)の正覚(しょうがく)の華(はな)を生(しょう)ず
なんの取り得もない、日々を煩悩(むさぼり、はらだち、なきごと、自己中心で驕慢などの心)にまみれ、沈淪(ちんりん)している凡夫と云われるこの私に如来さまは声の限り呼び続けられています。「あなたよ!煩悩の泥海にあって恐れるなよ!心配するなよ、煩悩の海をあなたとともに生き抜いてお浄土にともに生まれてゆくよ、恐れるでない!」とナモアミダブツ、ナモアミダブツと呼び続けられています。そのお心に、み声を聞くままに煩悩の泥に染まらない信心の華、正覚の華が咲いて行くのです。
カレンダーのご文の前後のご文を『入出二門偈』から紹介しておきます。(『注釈判』P549)
この信心をもって一心と名づく。煩悩成就せる凡夫人、煩悩を断ぜずして、涅槃(ねはん)を得、すなはちこれ(安楽自然(あんらくじねん)の徳なり。
游泥華(おでいげ)といふは、『経』(維摩経ゆいまきょう)に説いてのたまはく、高原の陸地には蓮を生ぜず。
卑湿(ひしゅう)の游泥(おでい)に蓮華を生ずと。これは凡夫、煩悩の泥のうちにありて、仏の正覚の華を生ずるに喩(たと)ふるなり。これは如来の本弘誓(ほんぐぜい)
不可思議力を示す。すなはちこれ入出二門を他力と名づくとのたまへり。
入出二門とはお浄土へ往生する門と浄土往生からただちにこの土へ救いのはたらきとして帰る門と云うことです。
浄土往生は「自利」、還相(げんそう)は「利他」。
お浄土へ往生させていただくこと、そのままが「自利利他円満成就」(じりりたえんまんじょうじゅ)と云う広大な法界の身とさせていただくことであります。
徳力さんの版画は建永2年(1207)興福寺などの告訴により法然聖人の専修念仏の教団は解散、法然聖人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ配流せられました。この図は親鸞聖人の配流の模様が描かれています。
法然聖人のお導きによって無辺広大な如来さまの大慈大悲が身に満ちあふれる親鸞聖人には苦痛や後ろめたさや屈辱感などは微塵もなかったと考えられます。法然聖人も親鸞聖人も世俗の善悪では計れない崇高そのもので姿勢を崩されることはなかったと伺います。それは聖人の越後以後のおいのちのご活躍を伺います時、ただただ勿体ない限りです。歩む姿は象に似てとの仏典のお言葉が彷彿といたします。