万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

今年のト半椿(ぼくはんつばき)

2010年02月27日 | Weblog
卜半椿が咲き始めました。卜半椿の蘂は異常に大きくて花弁からはみ出すのではないかと見える程に蘂の存在があります。このような咲き方を「唐子咲き」と云うようです。これは髪の結型「唐子髷」から来ているのでしょう。
 蘂が白く花弁が紅の花を「卜半」、蘂も赤いのを「紅卜半」とか「紅唐子」とか呼ばれているようです。
 何しろ珍奇な咲き方なので珍重されて来たようです。蕾は侘助椿くらいの小振りで華奢ですのに咲きますとずんぐりむっくりな花となりますのが何とも不思議でマジックショウのようです。
 以前にも触れましたが、この「卜半」の名は大阪貝塚の願泉寺(浄土真宗)を開創した「卜半斎了珍」(ぼくはんさいりょうちん)の所持していた椿から呼び名が由来しているようなのですが詳細は不明です。
 ここ数日、寒さも弛み春の足音が聞こえて来ます。庭の木々の蕾が一気に膨らみ始めました。
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紺侘助開花

2010年02月26日 | Weblog
紺侘助(こんわびすけ)椿が咲いていました。今季の第1花です。紺色とは云いましても、濃い臙脂色です。黒侘助と呼ばれる色はもう少し濃い色をしているようです。

今日はバンクーバーでは浅田真央さんとキムヨナさんとのフリー演技が行われます。両者とも絶好調のようで後は時の流れに体と心がスムースに乗れるかどうかにかかっているように思います。
それにしても19才の二人にとって想像を絶する過酷過ぎるプレッシャー。どうか笑顔で終わって下さい。
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この梅は、

2010年02月23日 | Weblog
 この梅は、幹は大きいのですが枝は地面に這いつくばるような樹形をしています。
私の少年時代にその幹に大きな猿の腰掛けが出来ていました。その腰掛けを叩き取りましたら次の年にまた出来ました。又、取りましたら又、出来ました。生える度に取り除いていましたら、とうとうその幹は皮だけになってしまったのです。
でもその皮だけで生きてもう何十年も花を咲かせているのです。
幹が皮だけなものですから枝が地面を這うようにして生命を維持しているのです。
正しく老梅です。
薄紅色の花を咲かせます。私としては少年の頃の懐かしい梅の木なのです。
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桃太郎 椿

2010年02月20日 | Weblog
裏の薮沿いに設えている椿の育生棚の「桃太郎」とラベルされた椿に沢山の桃色の蕾が付いています。なるほど蕾が桃のようなところから桃太郎と名付けられたのでしょう。次々と桃太郎が生まれて来そうです。
 
 先日、浦戸の藤原日出子さん宅にお参りいたしましたらお床に白梅と白薮椿に赤い細い縞が入った椿が生けられていました。お仏壇には赤薮椿が添えてありました。両方とも好ましいことを話題にいたしましたら、この椿は同じ木に咲いたものです。白薮も咲きました。この椿は何年か前にお寺でいただいた彦ばえです。お寺にある白薮椿(妙好人)が欲しいと云いましたら、ご院家さんが木の下に生えている彦ばえを抜いて下さったものです。昨年から咲き始めましたが、三種の椿が咲きましたので驚きました。でも楽しめるので嬉しく思ていますとのこと、(三輪か五論の椿に変化したものと考えられます)
 多分、白薮に庭の赤薮椿のどれかが鳥によって交配された種だったのでしょう。椿の変化を目の当たりにして実に面白いものだと今更ながら感じました。
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枝垂れ梅、開花 

2010年02月18日 | Weblog
 余寒が続いていますが、庭の枝垂れ梅が咲き始めました。紅色ですから庭の其処だけに春がやって来たようです。
 万福寺の庭に植えられて3年、定住の場を得たようです。最初は九州に植栽されていたとのことです。それから四国に渡り、そして今、縁あって大三島の当山の庭に植えられました。どうか永住地として何時いつまでも美しく芳香を放ち続けてくれることを念願いたします。
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梅絵の茶碗

2010年02月13日 | Weblog
今、日本中に梅の花が咲きこぼれていることでしょう。突きたつような寒気の中でホンノリと梅の香りをきくとき、その時空は妙なる世界となります。

 当山所蔵のお茶碗に梅の絵が描かれた一品があります。大振りで萩焼のようにも見えますが何焼きかも、作者名も不明なのです。その箱の蓋裏に当山先々代慈朗師の父、と云う事は慈朗師の里寺広島江田島教法寺の9代一来(いちらい)師の筆跡でこの茶碗の由来が記されています。一来師は明治43年に没しておられますから、明治の中頃のことと思われますが、広島の廿日市に隠居していたお茶の知人宅へ訪ねたときにこの梅の絵の茶碗に出合ったと書かれています。この茶碗の梅の絵が何とも好ましいことを讃えると差し上げますとのこと、それで頂くことにして替えのお茶碗を贈ったと書かれています。

 その茶碗を慈朗師が当万福寺へ入寺する時に携えて来たものゝようです。一来師はお茶は宗偏流を極めた人であったことが慈朗の弟俊之師によって著された『父の思出』(一来師伝)によって知られます。それによりますと、一来師は当時(明治中頃)に京都本山(西本願寺)へ上山し所用が済むと花園の妙心寺塔頭春光院を訪問してご住職とお茶の話をしてはお茶を喫することが常のことであったと述べられています。そしてその一来師のお茶を受け継いでいたのが私の祖父慈朗であったことが記されていました。大正11年秋に38才で早逝した祖父が愛用していたお茶碗がこの梅茶碗を含めて4碗伝わっています。それぞれ趣きがあってあきない茶碗です。

 祖父慈朗がこの梅絵のお茶碗を愛しんでいたことを祖母が語っていました。これは死別した父一来師を想う思いだったのでしょうか。

 お茶碗の形は井戸形で経14㌢、高さ9㌢ 釉はビワ色に近く、萩焼のような細かい貫入があります。高台は方薄で低い高台に削られています。
 梅の絵は呉須で軽妙に描かれています。両手に包むとどっしりとした重量感があります。これは男の茶碗と云えます。

 梅の時候となり、梅のお茶碗を取り出して昔の人を偲んだことです。

  
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松に雨降る

2010年02月12日 | Weblog
 先日、境内や庭に植わっている数本の松の剪定が行われました。まだまだ霜が降り、手水鉢が凍っているような寒さが続いている頃に剪定が続けられました。庭師さんはなんぼか寒さが堪えたことでしょう。しかし庭がすっきりと床屋帰りのように一新いたしました。

 昨日は一日氷雨のような雨が降り続いていました。今朝境内に出てみると松葉に雨露が一杯残って朝日に輝いていました。なんとも美しい光景です。

 どなただったか、このような光景を見られて、「私の刺々しい一つ一つの煩悩に如来さまのやるせない御涙が一滴一滴かかってくださってある・・・・・」と、

 しみじみと松の姿に味あわせていただく一刻を恵まれました。
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2月の法語カレンダー

2010年02月09日 | Weblog
 2月の法語は

   阿弥陀仏は光明なり
     光明は智慧のかたちなり

 今月のお言葉は親鸞聖人の著された『唯信鈔文意』(ゆいしんしょうもんい)から選ばれています。『唯信鈔文意』は親鸞聖人が東山吉水の法然聖人の膝下にあられた頃、いろいろとアドバイスを受けられたた先輩安居院(あぐい)の聖覚法印(せいかくほういん)が著された『唯信鈔』を後に注釈されてより分かりやすく懇切にまとめられた書です。他力念仏のみ教を実に時代を超えた分かりやすい言葉でもってまとめて下さってあります。高度な論理性と、しかも柔軟な言葉の表現は希有であるとうかがえます。
 この抽出されている法語の前のご文をも挙げておきます。合わせて味読させていただいておりますと親鸞聖人の体温と息づかいに密着さしていただいているような錯覚におちいります。

 (前略)微塵世界に無碍の智慧光を放たしめたまふゆゑに尽十方無碍光仏と申すひかりにて、かたちもましまさず、いろもましまさず。無明の闇をはらひ、悪業にさへられず、このゆゑに無碍光と申すなり。無碍はさはりなしと申す。しかれば阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし。

 『唯信鈔』も『唯信鈔文意』も聖人が縁ある方々に読むことをお勧めになられた指南書でした。(注釈版『浄土真宗聖典』に所収されています)

 2月のご絵伝の徳力さん刻の版画図は聖人の9才の折り青蓮院での得度図です。

 『唯信鈔』を撰述し法然聖人門下生として親鸞聖人の善き導き者であった聖覚法印の京都での里寺であった「安居院」が現在浄土真宗の寺院に天台宗から転宗して営まれていることは意外と知る人は少ないようです。(大宮通リ鞍馬口下ル)
 10年くらい前に高校時代からの友人、河原町今出川の西円寺のご住職佐竹正澄師の案内
で鞍馬口の「安居院西法寺」をお訪ねしたことが昨日のことのように思い出されます。ご住職から案内されて境内の左奥に保存されている安居院聖覚法印の墓塔にお参りいたしました。その墓石は笠石が網代笠の形状をしている大きな五輪塔であり、初めて拝見する形状に心惹かれるものがあったことを思い起こすのです。
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龍の髭(りゅうのひげ)

2010年02月07日 | Weblog
 今朝も霜が降っています。庭の龍の髭(りゅうのひげ)にも霜をのせて所謂(いわゆる)霜降り模様を呈しています。その密集した葉の中に瑠璃色の実がひっそりと見えました。宝石のような瑠璃の珠が目から心に入ると「おしゃりこ」の思い出が湧き出てきました。「おしゃりこ」とは私の幼年時代にこの龍の髭の瑠璃色の実を「おしゃりこ」と呼んでいました。この実を探し出すと実の皮を剥いで白い果肉だけにして廊下や板の間で鞠のようについて遊ぶのです。そんなに格別面白い遊びではないのですが、びっくりするくらいその実は弾むのです。その不思議さが興味深くさせるものでした。
 何故この龍の髭の瑠璃色の実を「おしゃりこ」と呼んでいたのかは判然としませんが、多分白く皮を剥いだ実が「お舎利」(お釈迦様のご遺骨の粒)のようなと云うことから「お舎利子」(おしゃりこ)と呼ばれるようになったのでしょう。
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花をのみまつらん人に

2010年02月05日 | Weblog
昨日は立春、でも寒さの厳しい一日でした。今日も寒い朝です。
 午前10時から定例の総代会が行われます。会場の庫裏を整えて1曲屏風を部屋の隅に出しました。
 この屏風は書家であられた国貞冨貴子(馨竹)さんが晩年に制作されて東京から態々贈って来られた作品です。国貞馨竹さんの作品は2、3いただいておりますがこの屏風が最後の作品となりました。
 小倉百人一首(風そよぐならのをがはの夕暮れはみそぎそ夏のしるしなりける)にも選ばれている歌人藤原家隆の歌、(鎌倉初期、「新古今和歌集」の選者の一人)

  花をのみまつらん人に山さとの
       雪まの草の春をみせばや

 と書かれています。このお歌を茶道を大成された利休さんが「わび茶の心」としてしばしば提示しておられます。(「南方録」)
 この地域は温暖な土地で雪に埋まってと云うような生活の営みはありません、全く想像の世界なのですが、春を待つ思いには同感するものがあります。

 1曲屏風を平面に開いて撮影しました。

  
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