新坊守を迎える本堂前のデコレーション(巨大な生け花)
去る6/22(土)、広島市安芸区中野専念寺住職霊岳弘志(たまおかこうし)さんが結婚式を挙げられました。専念寺は万福
寺の坊守の生家で、弘志さんは甥御です。弘志さんはシャイな人で仕事はバリバリとすごい活躍をされるのに婚活には力が入らな
いかに見受けられていました。しかし、この度素晴らしい人に巡り会われて華燭の典を挙げられました。梅雨の晴れ間の佳い日に
も恵まれて賑々しい式典と披露の宴でした。万福寺からは私住職、坊守、若院が列席しました。
花嫁さん、専念寺に到着、迎える弘志さん。そして式杯の酒器。
結婚式は専念寺本堂尊前で行われ、披露宴は広島市中のホテルで行われました。
各テーブルの盛り花
新郎弘志さん、新婦倫子(みちこ)さん、両サイドに媒酌人中川元慧師ご夫妻 会場は40脚の円卓が置かれて出席者360人!、驚き、
ともあれめでたいことです。今後の益々のご活躍を期待しております。
青原さとし先生(ドキュメタリー映画監督)
6月16日(日)午後1時に仏婦法座の開会法要が始まりました。今日の勤行は750回大遠忌に新たに制定されました「宗祖讃迎作
法 音楽法要」をお参りいたしました。
導師を住職がご本尊前礼盤に上がりお勤めいたしました。伴奏エレクトーンは若坊守往子さん、若院は余間で大鏧と経切り太鼓
を入れて厳かなお勤めになりました。
お参りの会員の方たちも昨年の降誕会に1度経験がありますからよくお勤めできたと思います。
土徳
講演は広島真光寺の姉の次男青原さとし先生が制作のドキューメンタリーを交えて変化し続ける中で人間の血の通った心につい
て語って下さいました。
芸州かやぶき紀行
上載の様に来る6月16日(日)午後1時開会で仏教婦人会法座を開催いたします。真夏の様な天候となっていますが、気を奮
い立たせてご参詣下さいませ。
ご講師はドキュウメンタリの映像作家・監督の青原さとし先生です。現在郷里の広島へ居住して広島市の平和映画祭のチーフを
しながら映像制作を続けています。今回の講演は映像を交えながらの講演となっています。
生まれは広島市十日市町真光寺の次男(万福寺住職の姉理子の次男)で僧侶でもあります。
どうか誘い合わせてお参りください。
○なお、午前中11時より新生児の初参の式を行います。今からでもお申し込みをお受けいたしますから、ご希望の方はお電話く
ださいませ、
6/11(火)今朝、四恩堂にお参りに行く時、沙羅の花はまだだろうと見上げると枝先に葉や他の蕾に隠れるように繭玉のよ
うな花が咲きかけているのが見えました。お参りをすませて急ぎカメラを持ち出して撮影しました。上を向いて咲いているので良
いアングルではありませんが、今夏の第1花です。2本の沙羅とも蕾は沢山付いていますからこれから次々と咲くことでしょう。
しかし、梅雨の雨が少ないようですので雨に濡れた花を見る機会は少なそうです。
見てみたい方は朝早くに来られるといい花が見れます。7月25日頃まで咲くだろうと思います。
ひめ檜扇(ヒオウギ)の花
小さきは小さきままに花咲きぬ野辺の小草のやすけきを見よ 高田保馬うた
梅雨の晴れ間、野草鉢の棚に今年も「ヒメヒオウギ」の花が2輪赤い花を咲かせていました。昨年、この花の名前が分からない
ままにこのブログにアップしたところ、それは「ヒメヒオウギ」でしょうと云うコメントを下さった方があり、名前を知ったことでし
た。今年も咲いてくれました。花径2.5㌢くらいの5弁の花です。色は茜色といいますか、濃いピンクいろです。地表から12㌢く
らいの花茎の先に咲いています。
岩藤 数年前に土佐の牧野植物園に行った時の思い出の一鉢です
京鹿の子 線香花火のようで詩情豊かです
仏智に照らされて
初めて
愚鈍の身と知らされる
信國 淳(のぶくにあつし)
信國 淳先生は明治37年(1904)に大分県宇佐市に生まれられました。長じて京都第3高等学校から東京帝大仏文科に学ば
れ、フランス文学がご専門の方だったのですが、ドイツ文学者で篤い念仏信仰に生きられた池山栄吉先生(1873-1938、「歎異
抄」を最初に独訳された先生)との出遇いによって徐々に他力念仏への道を歩まれる方になられ、また、多くの苦悩する青年を導
いて行かれたのでした。
信國先生が池山先生に初めて出遇った時のことを次のように記しておられます。(信國 淳著『呼応の教育』)
浄土への目覚め
そういうことで、わたしの中で動かなければならぬはずのものがついに動いたわけであります。その動かなければならぬはずのものとは、池山先生を思い出すということです。私は、念仏を通して出会った自分の精神生活を歌にあらわし、それを先生に宛てて送りました。それは「雲霧の ゆききひまなき こころぞと 知りはそめてき み名となえしより」というものです。
ちょうど年末のことで、私は年賀状の端にこの歌を書き添えて出したのです。すると折り返し先生から便りがあって、1月5日に自分のところに信仰の友達が集まるから、君もひとつ出てこんかという案内が書き添えてあったのです。(中略)
私は初めて先生のお話を親しく聞く機会をもつことができました。先生のお話はその時まで、公開の講演なんかでしょっちゅう聞いていましたけれども、親しく先生の居間で聞いたのは、あの時あの歌を縁としてでありました。
で、その池山先生という方は、私に親鸞聖人のそばへ行きなさい、親鸞聖人の教えの前にぬかずきなさいと、直接教えて下さったこの世での唯一の人となったのです。こうして親鸞聖人と私との出会いは、池山先生を仲立ちとして、はじめてわたしのために可能になったのです。
そしてその聖人のお言葉は、私が幼年時代から求めていた人間の問題に答えて下さるお言葉であった。池山先生との出会い、そして親鸞聖人との出会いを通して私は、自分の傍らにある人と自分とが一つにつながれている事実を、初めて知らされることになった。あらゆる人びとと自分とがまったく一つにつながれている世界。自他一切の、ーーーあらゆる生命、あらゆるものの一つにつながれている世界。universal unity (ユニバーサル ユニティ)の世界。
それを仏教では一如の世界というのでしょう。その一如の世界というものが、私の問い、つまり、どこでわたしどもはゆきちがいのない世界をもつことができるのかという問いに、はっきり答える世界であるということを、私は初めて教えていただいたのです。だから私にしてみると、私の師を求めたということは、実はそういう世界をこそ、私が求めていたことになるわけです。
信國先生の若き多感な頃のよき師との感動的な出遇いの時のことを記される文章を拝読する時、その直向きな池山・信國両師の
お心が慕われます。
昨年、野で採集し庭に植えた「紫露草」に花が咲きました。