スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvs絶対に忘れないこの坂道

2013年01月09日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。深夜バイトも完全に離れ、新しいプロジェクトである、sheve ice Cafeという
店舗のオープンに向けて日々忙しくしている。今は採用と、広告戦略と、営業推進を担っている。
新規オープンと、「IMAGIN」なるキャッチコピーで結構募集がきて、ありがたい限りです。
20歳~40歳くらいの方と、この2年3ヶ月の圧縮された話気が知らぬ間に高くなっているのである。特にバイトをしながら学校に行かなければならない境遇の若者には、言わんでもいいことにも、力が入って話しをしてしまう。「よし・・・・一緒にやろう・・」と出掛かるが、採用人数にも限りがあり、しぶしぶであるが誰かは落とさなければならない。せめて・・・この出会いで、少しでも勇気をもっ帰ってもらいたいと思い・・「絶対に負けんなよ・・」と言って熱くなっている。面接に来た方は、「なんや・・このおっさん・・」と思っているにちがいない。「まぁ・・ええか!」と一人疲れながらつぶやく。
多分、言いたいことが一杯あるのだろう。

その一の話である。
深夜バイトの通勤は自転車で片道1時間近くを漕いだ。私の苦悩はこの自転車通勤によるところも多かったのだ。それじゃバイクにしたらと思うが、自分の意地と、減った体重がもとに戻ることを恐れた結果、苦悩である自転車で通勤した。
それにこの道には、川や、高架や、交差点を超える為の橋が多く、それを障害物のように越えて、登っていかなければならないのだ。最終日の帰りに、今後の人生、まだまだ色々なことが興るだろうと思うが、この登りを思い出すことで、それを超えていける気がするし、多分だが、絶対に忘れることが出来ない登り坂になると思った。
この順序は深夜バイトが終わり、足腰がへたり、眠たさでふらふらの状態で超えていかなければならない時のである。(行きはこの逆で、同じ勾配を、「行くのがいやや・・」「なんで夜中に俺が・・」「雨の中うっとしい・・」とかを思いながら自転車を漕ぐ)

                       

通称マルハン前のループ歩道橋である。少ない助走距離で一気に登らなければならないのである。カーブと登りは、一時もペダルを止めることが出来ない。朝の通勤のお姉さんの前でペダルを踏み込む力がつきて、横に倒れること数回であった。下りもカーブの為、下りを利用した空走楽チン距離を稼げないのも辛い。

    
                       

摂津駅の、通称九十九坂である。駅の横を立体に超えていかなければならないのである。邪魔臭いことこの上なく、たまにこの九十九坂を登らず、チャリをもってモノレール駅行きのエスカレーターに乗ったこと数回。駅員に注意受けたこと2回。そして最も辛いのが、雨の日・・ウエットな路面である。九十九折の路面はタイルぽい加工が施されていて、180度ターンでは、ブレーキが強すぎればスリップして転倒するのだ。レインコンデションでこけた事2回。そのうち1回はこれは欠陥やと思い、駅事務所まで文句を言いに行った。つなぎ目のステンレスには要注意である。

 

                        
そしてこれが安威川を超える陸橋の登りである。助走が長く、スピードをつけて登ることがコツであるが、約100Mの登りは、一機に登らなければならない。50M前から助走をつけてのぼりはじめるも、後半の10Mくらいに必ず足に溜まった乳酸が、漕ぐ力に勝るのである。最後の数Mは、「うごぅ・・うごぅ・」と雄たけびが必要である。そしておまけに登ってからの陸橋が、かるい蒲鉾型になっている為に、綺麗な女性のイケズのように、登ったという達成感と力を無くした足に、軽いショックを与えるのである。でも、この坂の下りは結構なスピードが出るので、深夜のダウンヒルレーサーごとく、最高時速を狙うこともある。

 

                         

そしてこれが、最も険しい淀川の壁である。中央環状を北から南へ(またその逆)チャリで行く場合には、必ず必ず超えていかなければならない、箱根八里である。
とにかく長い坂道を天に向かって漕がなければならない。変則機をロウからハイに変えるタイミングもしかりだが、数々の漕ぎ方を発明した。「すぅすぅ・・はぁはぁ・・呼吸方」 「ワンツゥワンツゥ・・の水前寺的タイミング方法」 「重いギヤァーで、一回の漕ぎで距離を稼ぐ修行僧的な漕ぎ方・・」
「体を完全に前傾に倒し、目線は前輪の先を見つめる・・完全前傾型・・」などなどである。
6連続の勤務明けには、負けを認めて、押して登ったことも数十回はある。
おばさんの電動機付きのチャリに抜かれることの悔しさ、前に走るおじやんをロックオンして抜きにかかかる中野浩一的なまくり・・・ここでは数々の死闘を繰り広げた。
そしてくだりである。淀川の風邪を受けて、「さぁ・・一気に駆け下りるぞ・・・」と気分もよくなる時、たまにこの下でやる、チャリの検問に、いつもポリにヤカラをかました私であるが。
この秋ごろからは・・顔馴染みになり、「中央市場・・・・」と言って片手で挨拶しながらパスする私は、深夜のロイヤルファミリーになっていた。


とにかく漕いだ。そして歌った。それは100曲は超える。
最後のマイチューンは、やはり吉田拓郎だった。「また振り出しに・・・」と。
不思議なことが起こった。
最後の最後で、この坂の登りで、チャリが、クラッカーのはじける音のように「パーン・・」となった。
後輪がバーストした。磨り減ったタイヤから、中のチューブが出ていて、それが破裂したのだ。
「また振り出しに・・・」と歌いながら、ゆっくりと淀川をチャリを押して渡った。笑いがこみ上げてきた。


そして相変わらず、淀川は京都人の悲しみや喜びを大阪湾に運んでいる。

コメント
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