とにかく生きてみる。本日は息子二人の成人式である。二人と言うのは双子であるからである。
双子でも、ちやほや感のあるタッチや、マナカナのような一卵性性ではない。
二卵性の双子であるから、顔もまったくにていないのである。
今から20年まえに、京都の伏見なる場所で誕生した。其の頃は、ある事に巻き込まれ金銭的に本当にきつい状態だった。
ツインのベビーカーを押して大手筋商店街を歩いていると、見ず知らずのお姿さんが寄ってきて、
「儲けたな・・あんた本当に儲けなたな・・」と言って双子のほっぺを指で軽く突っついて去っていった。其の時は、これからかかるお金を想像しただけで・・結構なプレッシャーとなったことが思い出させる。
そんな二人が二十歳を迎える。
我が家のしきたいりとでも言うのか・・北村家では何もしない。
名家でもないし、古の場所にずーと住んでいる訳でもないから、成人の祝い事的な伝統行事などはなにもない。また少し余裕の出来た今・・成人式のお祝いで・・家族(別れた嫁やその義母)も含めてのお祝いの食事会など、私の自己満足だけの為に集める気もない。
一庶民の子供であった私は、正月、成人式、入学、卒業、就職等においてもまったく家族的な歓談の宴など執り行ったことがない。そんな私達の血族では、それもまた自由に、友達らと騒ぎ、祝うことを好としてきた。
「何もしない・・・何も贈らない・・・何も言わない・・何も聞かない・・」祝いの日が北村家のしきたりであるのだ。
だから、世間のご家庭でなされる成人の日の家族食事会などを・・全く羨ましく思うこともないのだ。
他人様からつがれた酒を、「ありがとうございます・・」と言って飲み干してほしい。
そしてそんなことをわざわざ私などに言わなくていい。
好きなこと、思うことを自分流でやってくれればいいのだ。
「君らには無限の可能性がある・・」などの歯の浮いた言葉に酔うな。
「可能性は無限であるが、君らは無限ではない・・」納まるところに収まるのだ。
でも・・どんな夢があるかは知らないが、貫き通すのも、夢が挫折し、其の次の夢を目指すのもまた良しである。とにかくである、「生きてみろ・・」とだけ、餞の言葉にしよう。
16歳でサッカー留学で一人ドイツに行ったこと、何も聞かないし言わないが、その表情から醸し出す男の気配に・・おめでとうを言おう!
四国の高校へ野球をしに行き、挫折と共に多くの仲間を得たこと、何も聞かないし言わないが、変らなかったそのフレンドリーな魂に・・おめでとうと言おう!
さて。北村流の成人式の日・・・
父の入院先からまたまたお転院の催促が来た。
3ヶ月ごとに変わらなければならない今の医療制度に・・従いながら次の転院先へ面談を受けに行く。車椅子に繋がれた父の・・私欲をなくした表情に幾分安心をしながら、この父の成人式も聞いたこともなければ、話題にもなったこともない。多分タンタンとしたものだったのだろうかと?ふと思う。
私の場合は、付き合っていた女の子の着物姿を観る為に、車で送り向かいのアッシーになって、そこら中を走り回っていた思いがする。そして「いまさら市長の話も聴けるかいな・・・」と言っていたのではないだろか?
「狐の顔の付いたショール・・あったら出しといて・・」と言ったら、家になかったもんだから、近所の商店街で、あの動物愛護協会がひっくりかえるような狐の顔のついた、ブラウンのショールを買いに走った母の不思議そうな顔が忘れられない。
それでも・・母は、何も聞かないし、何も言わなかった。
其の日、赤飯の折が、商店街の餅屋から届けられたのが、唯一のしるしだった。
大手筋商店街のお姿あさん・・「私は儲けました・・」と今思います。
ありがとうございました。