地上にX軸、Y軸の座標軸を描いてみる。人間一人一人をドットで表現すると座標系の中を無数の点が動き回っている。
数百の点が一つに固まっていくらか移動したかと思うと、そこで多くの点がばら撒かれ、かと思うと別の多くの点がそこに集合し、また少し移動しては同じ動きを繰り返す。朝の通勤ラッシュはこんな感じに見えるだろう。
一つの点が二つに分裂する・・・・出産の光景。多くの点がその場で同時に消滅する・・・・事故、災害、戦争などで多くの人命が失われる光景。数百の点が集まり座表面からはやや浮き上がったような形でしばらく水平に移動したかと思うとそこで消滅してしまう・・・・史上最悪の航空機事故。
多くのドットはそこでまとまったとたん、運命共同体になってしまう。
朝の通勤電車の中で、携帯を打ったり、本を読んだり、運良く座れて大口を開けて眠りこけている人たちを眺めながら、そんなことを考えた。
惑星の時間で人間を見たら、ドットに見えるのかもしれません。
そうでなくとも、知らない人、電車ですれ違うだけの人は、なんだかそんなドットのひとつに感じられます。
傍から眺めたら、なんてあっけない人の一生。
またベトナムで放たれた一発の銃弾もその光が宇宙からはっきりと認識でき、悲しくなったと言っていました。