SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「小川の辺」

2011年07月22日 | 映画(ア行)

 藤沢周平・原作、少年隊の東山紀之・主演の時代劇。

 脱藩した男を切る、というのが東山に与えられたミッションだ。しかし、男は東山の親友であり、妹が嫁いだ相手でもある、というやりきれない役目なのだ。

 妹も幼い頃から剣術を身につけており、夫を切りに来た相手に刃を抜けば兄妹同士の果し合いとなる。二人には幼少時からともに過ごした弟同然の奉公人の青年(勝地涼)がおり、惨劇を避けるため、彼が兄に同行する。

 中盤まで姿を現さない、気性の激しい妹がキャスティングのキーとなる。菊池凛子がそれを演じる。少女時代の子役がそのまま成長したように見える。同行する青年は彼女に思いを寄せており、この3人がどのような結末を迎えるかを見せる。

 藤沢の時代小説は今の山形県に当たる架空の藩、海坂藩を舞台としており、そこから江戸まで十日かかるという旅がうまく距離感を出しており、山また山の道中は美しく、またたどり着いた先、水郷・行徳宿との対比も効果を生んでいる。

 ただ、東山が切る相手、親友で妹の夫に当たる男がなぜ脱藩したかというと、藩政を思うあまり、領主に意見書を提出したのが原因なのである。その内容に誤りはなく、事実領主はその後、それをすべて実践に移したにもかかわらず男を厳罰に処す。いわば理不尽な処罰だ。

 もっとも愚かなのはこの領主である。それが分かっていながら、最も藩民のことを考え藩政を憂いて意見した男を切らねばならない主人公の苦悩と葛藤はあまり伝わらない。「上意により征伐する」とあっさりしたものだ。それでいいのか、東山?。

 監督の篠原哲雄と主演の東山紀之は、同じ藤沢の短編を映画化した「山桜」に続くコンビだが、こちらのヒロイン・田中麗奈が本作の妹役を演じていたら、また違う雰囲気で面白かったかもしれない。

映画 「BIUTIFUL ビューティフル」

2011年07月21日 | 映画(ハ行)

 冒頭、形見の指輪について囁きで交わされる会話に続いて、雪山で主人公が青年と会話を交わす。死をイメージさせるが詩的な映像である。青年は死神?でないとすれば天使?

 一転して混沌と喧騒に溢れたバルセロナ下層の裏社会。男は麻薬や不法労働の手配をしながら生計を立てているが、一方で死者の声を聞くことが出来る不思議な能力も持っている。

 妻との仲は崩壊、父として幼い姉弟を守りながら、自身が死の病に冒されていることも分かる。もう身も心もボロボロで、ビューティフルとは対極の世界が描かれる。

 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督はオムニバス風に群像を描いた作風で手腕を見せてもらっていたので、本作はやや異色ながら力作だ。

 冒頭の映像が、再びラストで異なったアングルから姿を見せる。人は死に際に、もっとも思いの残ったことが頭をよぎるのだろうか?

 死ぬと人は年をとる事をやめる。いつの間にか、早くして死んだ父親の年齢をはるかに超えて、年老いた自分と若い父は天国の入り口で出会うのだろうか?

映画「蜂蜜」

2011年07月20日 | 映画(マ行)

 珍しいトルコ映画。山岳地帯に住む一家を訪れる悲劇が淡々とした描写で綴られる。

 最近は映画鑑賞時のマナーについてよくアナウンスされるが、今回は上映中の観客同士のおしゃべりについて、大変静かな作品なので特に注意するよう、休憩中に放送されたのが印象的だった。

 それは本当だった。台詞は少なく、音楽もない。山の深い緑の中で、時折鳥のさえずりとせせらぎの音が聞こえ、蜜蜂の羽音が空間をよぎって行く。

 巣箱を山において蜂蜜を採取する、というのが父親の仕事だ。これも養蜂という概念で捉えられるのだろうか。蜂を求めて山奥に入って行かなければならない。巣箱は高い木の上に設置される。

 それがどれだけ危険な仕事であるかが映画の冒頭で示される。それが悲劇の伏線でもあるのだが、逆にそれが父親に起こった悲劇であり、ここから時間がさかのぼって物語られる、と解釈することもできる。が、作品中では一切説明がない。

 一家の幼い息子は吃音で教科書がうまく読めない。教師は生徒の良い行いを見つけてはご褒美のバッチをくれる。息子は何とかうまく読んでバッチを手に入れたいのだが、終盤近く、やはりうまく読めない。でも、教師はバッチをくれる。

 この男の子がどう成長していくのか。3部作で、第1部の壮年期を描いた「卵」、第2部の青年期を描いた「ミルク」でが追って公開になるようだ。日本では製作とは逆に成長を追う形での公開となる。

映画 「アイ・アム・ナンバー4」

2011年07月15日 | 映画(ア行)

 B級アクションのポップコーンムービーというので、あまり期待しないで見たが面白かった。隣で本当にポップコーンを食べている人がいて、ガサガサ音がいつ終わるとも知れず、頼んだら止めてくれた。

 故郷の星が異星人に侵略され、地球に逃れてきた特殊能力を持つ9人の物語。彼らも地球では異星人だ。冒頭、大宇宙からジャングルの小さな小屋で眠る青年まで、ワンカットでカメラが迫る。追手は逃げた9人を求めて地球に迫り、異常なテンションで起こる冒頭の殺戮は3人目の犠牲者だ。

 一転してビーチリゾートの若者群像。その中にいるNo.4の物語が本作だ。学園を舞台にした青春ラブストーリーの味付けで、アクションも見応えがあり楽しめる。No.6も登場して迫った敵を倒す。

 仲間探しの旅がこれから始まるというエンディングで、これがシリーズ第1作になるのか?

小説 「悼む人」 ~ 勝手に映画化、配役発表

2011年07月12日 | 音楽・演劇・美術・文学

 「死」を真正面から取り上げた重いテーマの大作である。

 主人公は「悼む人」であるが、彼を追う週刊誌記者、末期癌で在宅治療を選択した彼の母親、彼と行動を共にする夫殺しの前科をもつ女性の3者の視点から交互に3回ずつ物語が語られ、その9章にプロローグとエピローグが付く11章構成で、読み応えがある。

 各語り部の家族において、死はそれぞれに重い意味を持っている。

 主人公の家族は進行中の癌と戦う母親の余命が限られており、全国を悼みの旅で巡っている長男と、自宅での出産を決意した妹の子供が果たして母親との対面を果たすことが出来るのか、という大きな流れが主筋となっている。

 語り部となる3人は当初「悼む人」の行為を理解できないでいるが、心の深い部分でその感化を受け、いつしか彼ら自身がその行為の受け継ぐ実践者となっていくようでもある。

 在宅治療は医療行為を施す側との強い信頼感とコミュニケーションによって成り立っており、症状がどう進行していくか読者にもよく理解できる。あらゆる感覚は遠のいても最後まで聴覚は機能するらしく、死への旅に向かう母親の一人称で最後の瞬間まで語られる最終章は圧巻である。

 夢や幻想が入り混じり、果たしてそれが現実に起こったかかどうかは分からないが、幸福感に満ちた至福の光景を共有することが出来る。作中で述べられる多くの悼む行為が、悼まれる側にとってどういう意味を持っているかもそこで明かされる。

 読書中、脳裏に浮かぶ映像では、主人公の「悼む人」を松山ケンイチが演じていた。その両親を戸田恵子と小日向文世。父親役は三谷幸喜がシリアスに演じてもいいかなと思った。週刊誌記者は竹内力、その父親が原田芳雄。殺人の前科がある女性を市川実日子または菊地凛子、殺されるその夫に渡部篤郎という豪華な配役である。