障害を持った息子と父親の再生の物語。
冒頭に、それまで息子を育ててきた叔父らしい人物とその子の父親らしい男性の会話シーンがあり、その父子関係の「訳あり」度が示される。生まれて以来手放していた息子をリハビリ施設に入れる「旅」を、駅で叔父は父親に手渡したのだ。
極めてクールな演出で涙、涙の「感動作」とはちょっと違う。
その理由は息子役の造形にある。
肉体的にも精神的にも障害を持っているが、たんに可愛い子、可哀相な子というだけではない。時にとても大人びた様子も見せれば悪態もつく、手のつけられない騒ぎ方もする。
しかし理性では対処のしようが無いことに涙する父親を優しく抱擁するのは、その息子の方なのだ。自立した精神を持ち、時に大人以上に大きな愛で逆に父親を包み込んでいるようにさえ見える。
血のつながりが持つ関係性は一方的なものではなく、愛を与えているつもりが愛され、保護しているつもりが実は保護されている。
二人を見守るのが、同じ境遇の母親の立場にあるシャ-ロット・ランプリング、悟りの境地の裏側に深い苦悩が潜んでいることがわかる。
親子関係の再生を暗示するハッピーエンドだが、息子に必要なのはリハビリではなく愛なのだと確信し、新たな苦悩を共有するという覚悟を持つにいたった、むしろ父親の成長物語といえるかもしれない。
冒頭に、それまで息子を育ててきた叔父らしい人物とその子の父親らしい男性の会話シーンがあり、その父子関係の「訳あり」度が示される。生まれて以来手放していた息子をリハビリ施設に入れる「旅」を、駅で叔父は父親に手渡したのだ。
極めてクールな演出で涙、涙の「感動作」とはちょっと違う。
その理由は息子役の造形にある。
肉体的にも精神的にも障害を持っているが、たんに可愛い子、可哀相な子というだけではない。時にとても大人びた様子も見せれば悪態もつく、手のつけられない騒ぎ方もする。
しかし理性では対処のしようが無いことに涙する父親を優しく抱擁するのは、その息子の方なのだ。自立した精神を持ち、時に大人以上に大きな愛で逆に父親を包み込んでいるようにさえ見える。
血のつながりが持つ関係性は一方的なものではなく、愛を与えているつもりが愛され、保護しているつもりが実は保護されている。
二人を見守るのが、同じ境遇の母親の立場にあるシャ-ロット・ランプリング、悟りの境地の裏側に深い苦悩が潜んでいることがわかる。
親子関係の再生を暗示するハッピーエンドだが、息子に必要なのはリハビリではなく愛なのだと確信し、新たな苦悩を共有するという覚悟を持つにいたった、むしろ父親の成長物語といえるかもしれない。