SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」

2007年09月18日 | 映画(ア行)
 「エバンゲリオン」かと思ったら「ヱヴァンゲリヲン」なのだ。そのくらい何も知らず、予備知識一切無しで劇場鑑賞した。

 のっけからいきなり暴走するジェットコースターに乗り合わせてしまったような感覚。何がどうなっているのかさっぱり分からないが、何かとんでもないことが起こっているような事だけは理解できる。

 技術が進歩した未来社会のようだが、ローソンとか今と同じようだし、学校なんかもあまり変わらず普通にやっているようだ。だけど戦闘員として選ばれ戦いに赴く人がクラスの中にいる、という現実がある。

 その一人が主人公だが何か家庭的にも大きな問題を抱えているようだ。普通に「学生」をしていたのに、いきなり「戦闘マシンに乗って戦え」、というシチュエーションに叩き込まれたら、そりゃ悩むよなぁ。

 というわけでまだ「序」なのだ。「つづく」で終わった後の予告を見る限り「序・破・急」と続くみたいだが、本シリーズは4部作という話だ。最後はどういうタイトルになるんだろう。

 「リメイクではなくリビルド(再構築)」という触れ込みで、周りは旧作から熟知の熱心なファンとかマニアらしき人たちで混んでいる。

 ベースにはキリスト教的な世界観もあるようだし、知的迷宮の入口に立たされたかのようだ。「人類再生計画」とか、まだ訳の分からない謎が提示されただけだ。

 「さっぱり分からん」ともう一度言っておこう。これはまだ続きを見ないことには初心者には理解不能な作品だ。

 結果的にアカデミー賞を取った「ロード・オブ・ザ・リング」も最初はそうだったけどね。

映画 「今宵、フィッツジェラルド劇場で」

2007年09月12日 | 映画(カ行)
 小林正樹監督の「化石」(井上靖・原作)には岸恵子の死神が黒の喪服で登場する。本作ではヴァージニア・マドセンが白いコートに身を包んでラジオ・ショーの舞台に現れる。果たして彼女は天使なのか死神なのか。

 監督ロバート・アルトマンは結果的に遺作となった本作で、その謎のキャラクターに「老人が死ぬのは悲劇ではないのよ…」と言わせている。果たして自らに死の予感はあったのか?

 今宵を最後に幕を閉じる、長年続いた公開ラジオショーの最後の舞台に集まるスタッフと芸人たちを描くアルトマン得意の群像劇だ。

 終末の光景の中で実際に命を落とす老いた歌手と対比させて、まさにこれから道を歩み始めようとする新人歌手(リンジー・ローハン)に希望を託している。彼女が突然降って沸いたように初舞台を踏むことになるエピソードはかつての名作「ナッシュビル」を思い出させるが、あのエネルギーも、いまや老練の境地のアルトマン、今回はとても穏やかだ。

 劇場を買収してこの幕引きの元を作ったトミー・リー・ジョーンズの帰りの車に「白いドレスの女」が乗り込んで・・・。

 それにしても、メリル・ストリープもウッディ・ハレルソンも、これほど歌が達者だとは知らなかった。

映画 「遠くの空に消えた」

2007年09月11日 | 映画(タ行)
 三池崇史監督の「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」予告編に続いて本作が始まった。ああ、これも同じ無国籍映画かという第一印象。でも一応日本ではあるらしいので「無国籍風」と言うべきか。

 空港建設にゆれるの大人同士の確執と、一方で、転校生を巡る子供たちの世界がファンタジーとして描かれる。そのための誇張し、デフォルメされた演技が一見、ユーゴスラビアの映画作家エミール・クストリッツァ作品的な雰囲気である。

 リアルな映画と一線を画するこの雰囲気に入り込めるか、最初に感じた違和感を最後まで引きずるかで評価の別れる作品だろう。
 オリジナル脚本で「芸術的」であろうとした意欲は分かるが、それが芸術作品になりえたかどうかはまた別の問題である。ただ行定監督の最近作「世界の中心で・・・」「春の雪」などに比べるとはるかに面白かった。

 冒頭で青年(柏原崇)が語る回想が描かれるわけだが、その相手が「2001年宇宙の旅」のPanAmスチュワーデスのような時代錯誤的デザインのコスチュームに身を包んでいたり、回想でそこから10数年さかのぼる主人公・神木隆之介少年は現代語をしゃべっていたりと、国籍だけでなく時代も特定しない作りになっている。

映画 「トランスフォーマー」

2007年09月10日 | 映画(タ行)
 超Aクラスの衣装をまとったB級怪作。将来とんでもないカルト作品に化ける可能性も無いわけではない。

 異星のロボット生命体が敵味方で「キューブ」という謎の物体を奪い合う、そのバトルを楽しむ映画。その「キューブ」は大昔に地球に流れ着いており、現代の地上がそのバトルの舞台となる。

 どこか既視感の漂う映画だ。「宇宙戦争」「ターミナーター」など、どこかで見たようなエッセンスが寄せ集まっている。すでにハリウッドではあらゆるものが描かれ尽したのかも知れない。

 生命体は日常の生活用品にまでトランスフォーム(変身)しており、すでに地球上に多くが生息していると言う設定。それが再びロボットに変身する様が見事で、「映像革命」と呼ばれている。

 ロボットはそれぞれ名前をもっており、「おれ様は○○だ」と名乗りをあげて登場、バトルを繰り広げるところなどポケモン・バトルを見ているようでもある。

 そもそもは日米合作のアニメ作品があったと聞いて納得、その実写版なのだ。CGによるメカニカルな変身シーンを楽しめばそれで良しとせねばなるまい。

 人間ドラマは安直で薄っぺらだし、話の核になる「キューブ」というのも一体何なのか最後まで良く分からない。

 そもそもロボット生命体と言っているが彼らはどうやって増殖するのか。工場でロボットを作ったからと言って生命をどう吹き込むのか。彼らを作り出した、さらに上位の知性がその星には存在しているのか?

 謎は解けないが、そういうことを詮索してはいけない映画なのだ。

映画 「デス・プルーフ in グラインドハウス」

2007年09月05日 | 映画(タ行)
 サイコキラーの元スタントマンとその標的になる現役スタントウーマンの対決映画。

 スタントウーマン役に本職のスタントウーマンを起用、本来スクリーンに顔をさらさないスタントの本格的演技デビューだ。したがって危険シーンもCG無しの実写ですべてを見せてしまう。

 主人公が登場するのは映画の後半で、それまではヒッチコックの「サイコ」のように、話の主役と思っていた人たちがあっさり死んでしまい、観客は感情の移入先をなくして途方にくれてしまう。
 ただ感情移入したくなる主役と間違うような人物は出てこず、若いお姉ちゃんたちがどうでもいいようなことを延々と喋り捲っている風景がB級テイストというべきか、タランティーノ的というべきか。

 その緩い感じが急に殺気を帯びてトーンが一変するあたりの感覚は見事だ。カート・ラッセルがサイコキラー=中年の元スタントマンを怪演している。
 スピルバーグのデビュー作「激突!」('71)は最後までドライバーの顔がわからないが、こんな人だったのかもしれないと思わせる。

 本作ではその「激突」ではなく、同じ年に公開されたアメリカン・ニューシネマの「バニシング・ポイント」(リチャード・C・サラフィアン監督)がキーになっている。

 ラストはあまりに唐突に終わってしまうのが可笑しいが、相手が悪党だとはいえ、その報復は一種の凄惨なリンチであり、こんなことでスカッとしてはいけないのではないか、とややうしろめたい気持ちになる。

映画 「オーシャンズ13」

2007年09月04日 | 映画(ア行)
 今回の話は分かりやすい。

 悪徳なホテル王アル・パチーノが新規オープンする、ラスベガスのホテルのグランドオープン計画に壊滅的な打撃を与えようというのだ。特に目玉であるカジノで巨万の大損失を負わせるためのあの手この手が、快適なテンポで描かれる。

 込み入った手順をどう裁くか、それをどう見せるかの映像マジックである。

 言ってしまえばそれだけのことだ。人間関係の深みあるドラマは特に無い。
 11や12で標的にされた悪玉も再び顔を出している。前作を見ていないと誰?と思うかもしれないが特に支障は無い。
「13」というのも誰が増えて13なのか分からない。単に12の後だからそうなっているだけなのか?

 お互い気心の知れた、そうそうたる顔ぶれのスター達がお祭り的に楽しんで作っているという感じだ。余興を楽しんでいるスターを見て楽しむ、というのが鑑賞の構図としてふさわしいのかも知れない。あまり目くじらを立てずに・・・・。