SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「テラビシアにかける橋」

2008年01月31日 | 映画(タ行)
 児童文学の映画化だそうだ。だが、子供だけに見せておくのはもったいない。

 ファンタジー映画だがその空想世界が舞台ではない。子供が生きているのはむしろ辛い現実の世界で、描写もそこがベースとなっている。子供なら誰でも経験のある「ごっこ」遊びの世界だ。心の扉を開くことで、そこが極めてリアルに立ち現れてくる。

 親と子、兄と妹、友達、いじめという現実世界が、ファンタジーに心開いたことで微妙に変化していくところがテーマになっている。

 主役の2人が可愛いだけでなく芸達者だ。家族揃って安心して見にいける久々の作品。もちろん大人だけで行くのも悪くない。

 オープニングとラストのタイトルバック・アニメーションも物語世界をよく表現していて素晴らしい。

映画 「28週後・・・」

2008年01月29日 | 映画(ナ行)
 公開時期が悪い。

 何しろ正月映画の大作「アイ・アム・レジェンド」をまだやっている期間に、同じ細菌感染・ゾンビ系作品を出してきたのだ。
 内容を知った上で続けてみようと言う人がいるのか?逆に面白いと思った人が勢いで似たような作品に足を運ぶことを期待したのか?

 ただし舞台はニューヨーク・マンハッタンに対してロンドンである。主演はロバート・カーライルで地味だ。他の配役も知らない人ばかり。で、話はむしろこちらの方が良く出来ているだけに、余計気の毒である。

 「28日後...」というダニー・ボイル監督、キリアン・マーフィ主演作品の続編、とは言うもののまったく独立した作品として鑑賞できる。

 カーライル一家を軸に描かれ、生まれながらに細菌に対する免疫性を持った特異体質がストーリー展開のキーとなっている。

 しかしまあ、絶望的な話だ。人の気配の無いロンドンが画面上で見事に再現されている。CGなのか?

 このあとは28ヵ月後...、28年後...になるのかな?

映画 「レンブラントの夜警」

2008年01月22日 | 映画(ラ行、ワ行)
 「ダ・ヴィンチ・コード」のような大衆娯楽・謎解きムービーを期待してはいけない。なにしろグリーナウェイの作品なのだから。

 以前、いかにもミステリー風タイトルの、彼の「英国式庭園殺人事件」が日比谷シャンテで公開された時は、劇場のプログラム販売記録を樹立したそうだ。その理由は映画を見ても理解不可能だったからだとか。

 とにかくグリーナウェイ作品なら見るという人か、よほど絵画に造詣が深い人で無い限りお奨めは出来ない。単なる「絵が好き」程度では歯が立たない。小説のつもりで読み始めたら百科事典だったという例えならどうだろう。

 当時の肖像画が主流の絵画の中で、レンブラントの「夜警」は、ある劇の一場面のようにそれぞれの登場人物が作為やら悪意やらの意図を持つ人間としてキャンバスに封じ込められているという解釈だ。その背景を謎解きして見せてくれるのだが・・・・。

 レンブラントの絵画のようなコントラストを強調した画面、舞台的なセットでの光の作りこみが、グリーナウェイの掌で芸術的に構成されている。

 が、バックの黒は漆黒の闇ではなくやや浅く感じられた。劇場内は十分に暗く鑑賞環境としては万全だったにも関わらずだ。
 同じイギリスの監督デレク・ジャーマンが撮った「カラヴァッジオ 」の光と闇のコントラストには及んでいない。

映画 「光の六つのしるし」

2008年01月17日 | 映画(ハ行)
 ハリー・ポッター系の、光と闇の戦いを巡るダーク・ファンタジー。

 強大化する闇の力に打ち勝つために、六つのサインを探し出さなくてはならない。その探索者たる運命の下に生まれた子供の物語。

 凝った映像で丁寧に作られているが全体にスケールが小さく感じられる。
 というのは舞台がイギリス郊外の村の中に限定されるからだ。光の側のパートナーたちはみな村の住人だし、世界を闇が支配するという割には、「ロード・オブ・ザ・リング」のような軍団が襲ってくるわけではなく、馬に乗った闇の騎士が一人で頑張っているだけなのだ。

 六つのしるしは「現在」に存在するとは限らず、その予兆を感じた子供は過去へも、時空を越えた旅をしてそのサインを手に入れる。

 誕生時に、間違って闇の世界へ連れ去られた双子の兄との邂逅など、家族の抱える悩みも解決して光に満ちた世界が訪れる。

 これで完結して何の不思議も無いエンディングだが、シリーズもの原作の最初のパートだそうだ。はたして続編はできるのか?本作のヒット具合によるだろう。

映画 「きみにしか聞こえない」

2008年01月16日 | 映画(カ行)
 乙一原作のファンタジー小説の映画化で、小出恵介と成海璃子が主演する。

 携帯電話が重要なアイテムとなっている。ただし、実際はテレパシーのように想念を伝え合うわけだから携帯はオモチャでも壊れていても良いわけだ。ベルがなって受話器を取るという行為は相手からの想念の送信を受け入れるという意思表現なのだ。

 途中から携帯を持っているかのように手を耳に当てたり、物理的な端末の必要性はかなり曖昧な物になっている。

 台詞の言葉は口から発声される必要が無いので、俳優も画面上でしゃべることなく、ナレーションに微笑を浮かべて聞き入っているようなイメージ映像的シーンが多いのはやり辛かったことと思う。小説では良くてもリアルな実写映像にされると、見ているほうもやや戸惑ってしまう。

 さらにそのテレパシーは空間のみか時間を超えて交わされているので、タイムパラドックスが絡んでくる。

 ラスト近くでヒロインが受ける見知らぬ女性からの電話は、作品の重要なキーなのに映画的な見せ方をもう少し工夫できなかったものかと思う。

 ただ全体の印象は悪くない。

 爽やかで心にキュンと響くものがあり、岩井俊二の「ラブレター」を思い出した。だって、原作には無いラスト部分の、その切なさの元となる表現がまるきり同じようなんだもの。

映画 「題名のない子守唄」

2008年01月15日 | 映画(タ行)
 いきなり女性の下着審査から始まる。一人合格したらしい女性はさらに「裸」を点検される。

 異常な何かが潜んでいるらしい前置きから一転、物語はスタートする。

 何が何でもある一家の家政婦として働きたい、イレーナという女性の物語。それがなぜかというミステリーである。その理由は彼女の過去にあるようだ。冒頭の異常なシーンと繋がるらしい場面が繰り返しフラッシュバックされる。ただならぬ過去なのだ。

 おそらく生きるために他に余地が無く選んだ人生の中で、ただ一つの真実、ただ一つの希望、ただ一つの愛と呼べるものにすがり付いていたいという切ないまでの感情が次第に明らかになっていく。

 しかし、過去は容易なことでは断ち切れず、新たな生活の中にも執拗にまとわりついてくる。そのスリル、サスペンスの味付けの中で立ち上ってくる濃厚な人間のドラマに圧倒される。

 すべてが思い込みにすぎなかったという真実が明らかになって絶望の中に投げ込まれた人間に、再び一筋の光が差すその幕切れ、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の見事な話芸に酔う。

映画 「魍魎の匣」

2008年01月11日 | 映画(マ行)
 いずれカルト作品となるべき資質を持っている。

 豪華配役で描かれるマッド・サイエンティストの妄想世界だ。昭和初期の日本が舞台のはずなのだが景観に何か違和感があり、ノスタルジーというより異界の出来事のようだ。
 むしろ中国のようだと思って見ていると、ラストのクレジットに「中国ユニット」が延々と出てくる。

 会話のスピードやカット割がこれまでにない独自の境地で、観客が通常の映画と思って近づくことを拒否しているかのようでもある。

 江戸川乱歩風の猟奇的な世界が描かれるが、陰湿な雰囲気は無くカラッとした、むしろコミカルな要素で見せている。

 主演の堤真一と阿部寛、椎名桔平を中心に据えて複数の事件が展開するが、その絡み合った相互の関係や、それを見せていく時間の前後関係など迷路に踏み込んだようで、サイエンティストとエセ宗教の教祖、狂気に駆られた刑事、サイコ作家などが入り乱れてハチャメチャな様相を呈する中、クライマックスの舞台となるオウムのサティアンのような巨大な匣が崩壊していく。

 あの状況で主要人物がすべて、何事も無かったかのように生き残れたのも不思議だ。

 というわけで、この作品、カルトになると踏んだのだが、前作「姑獲鳥の夏」よりはよほど面白く見ることができた。早いカット割で見落としてしまうが、ディテールにもこだわりがあるようで、DVDで繰り返し見るほどに面白みが増していくだろう。

映画 「絶対の愛」

2008年01月07日 | 映画(サ行)
 キム・ギドク監督作品。いつもの寡黙な作風とは正反対。

「整形」がテーマだが、姿かたちが変わることによって自己のアイデンティティーが揺らぎ始める。

 相手に対して「いつも同じ顔ですまない」という女の感情が、まず、理解できない。整形で別人になった女性の物語は一人の男を中心軸にしたメロドラマとして成立する。しかし、男の姿かたちまで変わってしまうと軸をなくしたドラマは混沌とした迷宮のようで、観客は自分の居場所としての軸をどこに定めて良いか分からなくなる。

 その酩酊感が登場人物の人格の揺らぎと共鳴してくるかのようだ。これまでのギドク作品に期待して足を運んだら困惑するかもしれない。

 劇中に彫刻公園が登場するが、このロケ地は芽島(モド)という島だそうだ。