SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「ウルトラミラクルラブストーリー」

2009年11月26日 | 映画(ア行)

 松山ケンイチ主演の、生と死が同居する不思議な世界の物語だ。

 主人公のハチャメチャな行動に戸惑いを覚えるが、映画の中の他の登場人物はうるさい奴だとは思っているようだが、日常生活の一こまととらえている。精神に障害があることが後で分かるが、それを個性の延長上に位置付けているところに共感が持てる。

 ここでは健常者も障害者も、死者さえも同じ地平を共有し、心臓が止まった人間と首の無い人間がなんでもないことのように会話をする。エネルギッシュでラテン的な世界観が青森を舞台に描かれている。

 全編青森弁(津軽弁?)で理解できない部分もあるが、あえて標準語字幕は付けられていない。東京からきたという設定の、麻生久美子演じる保育園の先生が理解できないのと同じレベルで、観客は映画を見ることになるわけだ。

 母一人、子一人で息子が精神障害をもつ、という設定はウォンビン主演の韓国映画「母なる証明」と同じだが、まったくテイストの違う傑作がここにもあった。

映画 「母なる証明」

2009年11月25日 | 映画(ハ行)

 ウォンビンのスクリーン復帰第1作となる韓国映画。複雑で難しい役に挑戦している。普通のアイドルなら尻込みしてしまう。

 貧困の中に生きる母一人、子一人の濃厚な家族愛が描かれる。息子は精神に障害があり、それゆえに完全に母の庇護の元にある。二人は一心同体である、と母の台詞でも語られる。

 が、息子の頭には時折記憶が戻り、母親に対する感情は愛憎相半ばしているらしいことも分かってくる。

 庇護下から羽ばたき出ようともがく息子が出会う殺人事件の顛末。息子に振りかかった冤罪を晴らすべく行動する母親独自の捜査が行き着く、なんともやるせない結末に観客も呆然としてしまう。
 冒頭に、ススキの原で舞う母親の不思議な表情の謎が解ける。

 しかし、すべてを飲み込んで新たな生の第2章に向かう、母親とは強い存在だ。

映画 「サイドウェイズ」

2009年11月17日 | 映画(サ行)

 オリジナル版も見ているがまったく覚えていない。リメイク版=本作はアメリカを舞台にした日本人の映画になっているので、コミュニケーション・ギャップも一つの要素に取り込んでいる。

 颯爽とした女性たちに比べて、男の方は今ひとつ大人になりきれていない。それにしても、いい大人が・・・と見えてしまう。年齢設定はもう少し若い方が良かったのでは、とも思う。もっとも今日、精神年齢は実年齢の3割引というからそんなものか?

 現地の土地感がないので、いくつかの場面の相互の位置関係(距離感)が分からない恨みはある。が、ほのぼのしたコメディとして悪くは無い。もう少しワインのような豊潤さがあれば・・・、というのは欲張りか?

映画 「ディア・ドクター」

2009年11月16日 | 映画(タ行)
 このところ映画付いている笑福亭鶴瓶が主演。瑛太、余貴美子、香川照之、八千草薫 がしっかりと脇を固めている。

 何かを求める人たちがいて、それを与える人がいる。ただそれを与えるには資格がいる、というのがテーマだ。

 資格とは法によるライセンスということだが、ライセンスを持っている人たち以上に真摯にそれをこなしているとしたら、ライセンスがないことを咎める事が出来るのだろうか。

 その自称「医師」が冒頭近くで、「車は運転しない、だって免許を持っていないから」と言っている。自分でよく分かっているのだ。そういう意味では一番苦悩したのは自分自身のはずだ。ただ、それが鶴瓶のキャラクターなのかそうは見えない。

 ラストのさらなる変身はむしろ爽やかで、うれしい味わいを残してくれる。

 テイストは少し異なるが、緒形拳が主演した奥田瑛二監督作品「長い散歩」も咎めたてることの出来ない罪を描いていた。

映画 「さまよう刃」

2009年11月11日 | 映画(サ行)

 東野圭吾原作の同名小説の映画化。少年犯罪に対する罰のあり方がテーマになっている。

 被害者の父親が一転、報復行為により殺人者として警察に終われる身となりながら、残る一人を追いかけるという三つ巴の追跡劇となる。

 犯人探しのミステリーではなく、犯人に報復しようとする父親の行動がどういう結末を迎えるかが描かれる。観客も「報復」と思い込んでいるが、追跡の過程で「究極の恐怖」こそが反省につながると考えるようになっていたことがわかる。

 警察はあのような形で犯人を射殺するものなのだろうか?手や足を撃てば良いのではないかと思うのだが。

映画 「きみがぼくを見つけた日」

2009年11月05日 | 映画(カ行)

 いかにもラブ・ストーリー、という感じの邦題が付いた。原題は「タイム・トラベラーの妻」と直接的に内容を表現している。

 その「能力」は遺伝するらしい。エリック・バナの主人公は自分の意志でタイミングも行き先もコントロールできないが、子供の方はそれが出来る。進化しているわけだ。

 しかし、ホーム・ポジションがはっきりしないのがこの映画の欠点だ。
 過去に行けば過去の自分が、未来に行けば未来の自分がいる。この理屈で行くならば、子供から老人まで一年ごとの自分がすべて一同に会することも可能だ。その時本当の自分はどれ(誰)なのか、分からなくなってくる。

 しかし、時を越えた純愛ファンタジーとしては楽しめる。

 人が死んでいなくなっても、またいつか過去から会いに来てくれるというのは悪くない。そんなことが起これば良いな、と思ってしまう。
 
 主人公の死は事故とはいえ、その原因はそれ自体が重いドラマになるのに、ほとんど触れられることがない。