SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「劔岳 点の記」

2009年07月31日 | 映画(タ行)

 地図作りの原点であるポイント設置と測量の仕事が理解できる。

 日本最後の未踏の地=地図の空白を埋める困難を実写で見せる、その迫力と美しさはカメラマンとして日本映画界に君臨してきた監督・木村大作の力量が存分に発揮された。

 オーソドックスなカット割りと編集でジックリ美しい山の景観を堪能できる。測量隊と山岳会が、葛藤からお互いの理解にいたるプロセスも丁寧に描かれる。

 ただ陸軍幹部が役者をそろえた割りにステレオタイプで見せ場がないのはもったいない。逆にもっと省略的に扱う方法もあったのではないかと思う。
 クラシックの名曲が全編いたるところで流れるのは、ここぞというクライマックスで印象的に響くのと違ってやや鳴りすぎの感もある。

 どうやっても困難な中で、やはりここしかないかという最後の登頂ルートを選択し、お先にという感じで山岳隊に挨拶をしてから先は、たいした困難もなくトントンと頂上にいたり、本当にここが頂上なのかとやや拍子抜けしてしまった。

 役者はとても良い。特に香川照之は足の運びや腰つきが、本物の山の案内人のようだ。ただ、重い荷を担ぎ測量士に楽をさせるはずが、行者様を助ける段になって浅野忠信の測量士の方が負担が大きくなってしまったのは気の毒だった。

映画 「湖のほとりで」

2009年07月30日 | 映画(マ行)

 犯人探し映画ではない異色のミステリー。

 発端は変質者による幼児誘拐か?という出来事で、そこからある殺人事件へ導かれることとなる。

 舞台は湖のほとりの小さな町。しかし映画は犯人探しの派手なミステリーには発展しない。事件はむしろ触媒のようなもので、直接あるいは間接的に関わりのある住人たちの心の闇がじわりと炙り出される。

 イタリア映画で知らない俳優ばかり。都内ではひっそりと単館ロードショーだが、これがなぜか平日から混んでいる。

映画 「レスラー」 ~ 敵は年!

2009年07月29日 | 映画(ラ行、ワ行)

 プロレスの舞台裏では、見せ場をどう作るか、相手も納得ずくのショーとして練り上げられていることが分かる。

 しかし、筋書きがあっても体を酷使する事には変わりなく、過酷な職業だ。年齢を重ねても過去の栄光は忘れられない。かつての歓声に包まれた恍惚感が、年老いた今も体を鞭打つ原動力なのだ。

 ショーの舞台と、日常の惨めで何もない静けさの落差が伝わってくる。

 ミッキー・ロークの若き日の華をリアルタイムでスクリーン上に見ていた世代には、その実像とこのレスラー像がダブって痛々しい。

 マリサ・トメイ演じるストリッパーと心を通わせるが、彼女もまた別の形で年と戦いながら体を張っている「戦友」なのだ。

映画 「ホルテンさんのはじめての冒険」

2009年07月28日 | 映画(ハ行)
 
 めったに見ることのないノルウェー映画。フィンランドのアキ・カウリスマキ監督の作品もそうだが、北欧の空気感が不思議に懐かしさを覚えさせる。

 勤勉実直な鉄道員ホルテンさんの日常が、定年退職最後の出勤日の遅刻から奇妙にねじれてくる。怪奇趣味の不条理劇として描くことも出来そうだが、そうはならない。

 ゆったりとしたリズムの中でユーモラスに人情が描かれながらも、人生の終着点に横たわる老いと死がかいま見える。

映画 「英国王 給仕人に乾杯!」

2009年07月27日 | 映画(ア行)

 小市民の視点からチェコの現代史が描かれるが、歴史に翻弄されつつもむしろそれを逆手にしたたかに生き延びたのが主人公だ。

 ドイツ女性との結婚に当たり、遺伝的な優性をチェックされるくだりがあるが、主人公は見事な金髪碧眼で、外見は優秀なアーリア人種そのものだ。ヒトラーの胸像と並ぶと主人公が金髪碧眼のヒトラーのように見えてくる。そうはなれないヒトラーの劣等感が人種差別の裏には潜んでいたと思える。

 豊かな語り口に、ハリウッドとは一味違う映画の醍醐味を確認できる。

映画 「そして、私たちは愛に帰る」

2009年07月24日 | 映画(サ行)

 ドイツとトルコ、3家族・親子6人の物語。

 部分的に誰かと誰かがつながっているが、全体はつながっていない。いつどのようにそれがつながっていくのかを観客は見守ることになる。

 3話構成それぞれのタイトルのうち2話は登場人物の死を示しており、行き着く運命があらかじめ知らされている。

 各エピソードは時間軸に沿って並んではおらず、エピソードごとに主役をずらしていく。したがって、同じエピソードが別の人物の視点から描かれるシーンがあり、登場人物が一つの世界でニアミスを繰り返していることが分かる。

 異郷・トルコの風景の中にドイツ人の母と娘がそれぞれに身を置くことになる運命が描かれ、人間が世界に関わって行く過程とはこういうことなのかと思わずにいられない。

 母親役は久々のハンナ・シグラだ。

映画 「ノウイング」 ~ 知ってどうなる?

2009年07月23日 | 映画(ナ行)

 地球滅亡規模の災害映画で、だけどこれまでの同種の映画のように何らかの方法で助かる道が用意されている、という期待は見事に外れた。

 まず、単純にディザスター・ムーヴィーと言ってしまうことはできないし、期待するような救いもない。どう終わるかというと、半ば旧約聖書の印象だ。「ノアの箱舟」か「アダムとイヴ」。それに「未知との遭遇」がからんでくると言えば、だいたい話を網羅したことになる。

 この意外な展開を面白いと見るか、それはないだろうと白けるかで評価は二分する。

 未来に関する予言が、ある時点まですべて的中していればそこから先も逃れようはないのだ。それを知ってしまっても、もはやどうしようもない。

 不幸にして実現してしまう3つの大惨事はこれまでにない凄まじい映像で描写される。これだけでも劇場の大画面で見る価値は十分にある。絶望的気分を抱くことにはなるが・・・。

映画 「真木栗ノ穴」

2009年07月22日 | 映画(マ行)

 そうとは知らずに見ていたら、だんだん怖くなってきてホラー映画だと分かった。ラストのクレジットに原作は角川のホラー文庫と出ていた。なるほど・・・。

 現代版「牡丹燈篭」の趣だ。コインランドリーも宅配もあるから紛れもない現代の話だが、舞台となる鎌倉の切通しや、取壊し寸前のボロアパート、アジサイの花などふとタイムスリップして昔に戻ったかのような風情がある。

 「穴」は隣室を覗き見をすることになる、アパートの壁の穴だ。この乱歩的な趣向もノスタルジックの要因を形成している。

 血飛沫もモンスターも出てこないがジワーッと背筋が凍るような良質のホラーだ。

 西島秀俊が主人公の小説家・真木栗を演じる。

映画 「青い鳥」

2009年07月17日 | 映画(ア行)

 自分のしたことには責任を取らなくてはならない、というテーマの作品。
 原作は重松清、主演は 阿部寛と本郷奏多。

 イジメを苦に生徒が自殺未遂を起こした中学校に、臨時教師として赴任するのが阿部寛。自身が吃音というハンディを持っている。

 いじめられた生徒は転校しており、もはや校内にはいない。その不在の中心をめぐるドーナツの輪の物語だ。

 中心の空洞を、忘れることなく記憶しておく責任が問われる。

 臨時教師のたどってきたであろう過去を説明的に語ることなく映像表現と阿部寛の押さえた演技で見せる、映画ならではの力が確かに存在している。

映画 「愛を読むひと」

2009年07月15日 | 映画(ア行)

 ケイト・ウィンスレットのアカデミー主演女優賞受賞作品。

 年上の女性ものとして始まるが、彼女の失踪をはさんで後半はホロコーストの裁判劇になる。なぜ?というミステリー要素を含むが、その謎解き映画ではない。

 「朗読者」という、現代海外文学としては日本でも良く売れた原作の映画化作品だ。読んだ人には、むしろ原作がどう映像化されるのかが鑑賞の動機となる。

 ドイツを舞台にしたドイツ人の話だが、台詞は英語だ。ラスト近くに主人公がニューヨークを訪問するシーンがある。画面ではドイツでもアメリカでも英語が話される違和感がある。キーとなる多くの書籍も英語で朗読されることになる。

 彼女が生涯をかけて守り通そうとして秘密がそれに値するのか、また、日常生活でまったくそのための不利、不便がなかったのかは、なかなか理解できないところだ。