SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画「ローズ・イン・タイドランド」~ 少女、恐るべし。

2006年07月31日 | 映画(ラ行、ワ行)
 将来、カルト化必至の作品だ。テリー・ギリアム監督のフィルモグラフィーの中でも特異な位置を占めることになるだろう。

 一つ間違えば死臭ホラーになりかねないテーマを、ぎりぎりの線でファンタジー側に引き止めているのは、やはりギリアム監督の資質だろう。原題の「タイドランド」は干潟の意味。
 潮が引いてその場所から身動きが取れなくなった生物の状況を表しているようだ。

 孤立した世界の住人は他所から入り込んでくるものをひたすら待ってコミュニケーションを取る以外にないのだ。それは蜘蛛やアリ地獄が獲物と交わすコミュニケーションに似ている。

 映画中盤の大半は少女の一人芝居でもっている。
 会話の端々からうかがえる、登場人物が過去に秘めた背景はそれだけで別の映画が出来そうな壮絶なものがある。その微妙な大人の世界を理解して演じているのかどうかは分からないが、少女、恐るべしだ。

第1回映画検定・2級・受験体験2

2006年07月29日 | 映画

 こんな問題が出題されていた、というお話、その2。

 映画の1場面の写真が3枚あって、これらの映画で使われた有名な映画の技法は何か?を問う問題。まずその映画が何なのか分からなければ始まらない。

 1枚は「市民ケーン」もう1枚はタイトルは分からないがヒッチコック作品のようだ。
 「技法」は選択肢が4つあり、1つは余る事になる。「クロスカッティング」、「テン・ミニッツ・テイク」、「パンフォーカス」、「モンタージュ」がその4つ。

 「市民ケーン」は有名な「パンフォーカス」の代表作、ヒッチコック作品は長回しを用いたことで特筆されることがあり、多分「テン・ミニッツ・テイク」だろう。

 残りの一枚はなにやら大階段のセットだ。しかも様式的な彫像を配した壮大なデザイン。ここで残る選択肢は「クロスカッティング」と「モンタージュ」。
 「モンタージュ」はエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」中の有名な「オデッサの階段」のシーンに代表される。その階段がこの写真かどうかなのだ。
 この問題は巧妙に良くできている。

 「オデッサの階段」にしてはちょっと装飾的な様式が気になると思った人は、残った「クロスカッティング」を選んで、これが正解。
 自分自身は、未見ながらその写真からグリフィス監督の映画創世紀の作品「国民の創生」か「イントレランス」だろうと思ったので、それに関する記述の記憶、「異なる時代を交互にカットバックさせながら描写・・・」から多分編集の用語だろう「クロスカッティング」を選んだ。

 洋画・邦画を問わず、このようなクラシックから山口百恵主演作品、「踊る大捜査線」の興行成績まで幅広い知識を要求されるので、これから勉強を始めようという人は大変だろう。

 そこで役立つのはやはり問題集。
 少なくとも「初心者」や「ファン入門コース」ではないという自負があったから2級受験を選んだわけで、とりあえず手を付けたこの問題集、4級、3級は9割かた正解できた。
 だけど2級の問題は難物だった。結局ここで不正解することによって覚えたものが新たな知識になったようだ。解説も含めて2度3度読んでおけばかなりの問題はこなせる。
 ズバリ同じ出題はなかなか無いけれど、ちょっとひねった形での「懐かしのご対面」はあった。(今回話題にしたような形式の問題は掲載されていなかったが・・・。)

第1回映画検定・2級・受験体験 ~ 引っかけ?ミス?それともサービス?

2006年07月28日 | 映画

 こんな問題が出題されていた、というお話。

 ある映画の内容に関する記述を読んで設問に答える問題。

 記述を読んで、川島雄三監督、フランキー堺主演、「幕末太陽伝」ということは分かった(ただし未見)。しかし直接それを聞かれるわけではないのだ。
 設問は、「この監督の撮った他の作品は次のどれか」「この主演俳優の他の出演作品は次のどれか」とひねってある。単に知っているだけでは駄目、その先を問われるという感じだ。分からなければ勘に頼るのみ。結果、どちらも落とした。
 
 そしてこれらに先立つ冒頭の設問は・・・、「この映画はある落語をベースにしているがその元ネタは次のどれか」として「居残り佐平次」「居座り・・・・」「居直り・・・・」「居続け・・・・」から選ぶのだ。
 まったく分からない。しかし「問題を解く鍵は設問そのものの中にある」の格言どおり、よく読むと「主人公の佐平次はことを起こしても、そのたびにそこに『居残り』・・・・」と問題文中にある。ラッキーである。これをそのまま選択すれば正解である。

 しかし、・・・・ 最後に少し時間が残ってこの問題に舞い戻ってきた。
 仮に主人公がそういう状況にあってもそれがそのまま落語のタイトルになるのだろうか?と思い始めた。これはひょっとしたら高度な引っかけ問題で、居残り続けたのだから実は「居続け・・・・」と考えて直して、土壇場でこれもアウト。

 正解はそのまま「居残り佐平次」であった。
 普通は問題作成時のチェックでこういう事は起こらない。単なるチェック漏れのミスか、あるいは分かっていてあえてそうしたとすればその裏をかく高度な引っかけか、はたまた2級は難しいのでこの位はポイントさせてあげようという出題者側のサービスだったのか?

 写真はオフィシャルな参考書として発売されたもの。この膨大な記述を前にすると、受験用に買っても自信を無くすのがオチだが、映画全般のデータベースとして手元に置くには最適だ。

(本文中の記述はすべて記憶に基づくもので問題文と正確に一致はしていません。キネマ旬報7月上旬号に問題文全文と正解が掲載されています。)

第1回映画検定 結果発表

2006年07月27日 | 映画
 6月に実施された第1回映画検定の結果が送付されてきた。

 今回2級を受験したのだが無事合格した。
 投資コストは受験料4500円と問題集1365円。プラスこれまでに鑑賞した映画の入場料金、レンタルビデオ・DVD代金。もっともこれは受験のために見てきたのではないので経費として算入することができるのかどうか?

 ともかくこれで12月に実施される1級の受験資格だけは獲得したことになる。2級取得者全員が受験するとも限らないので他の級よりはよほど受験者は少ないと思われる。級別に受験時間帯をずらして設定してあるので、12月の第2回試験ではさらに、その少ない1級受験者のための時間帯を用意することになり、明らかに他の級より高コストとなる。
 受験料が高くならないとよいが・・・。

 合格証の番号は、第1回-2級を示す数字のあとに個人番号が記されている。ちなみに300番代だった。

それは、そこから始まった。

2006年07月26日 | 日常生活・事件

 タバコが値上げされた。公共の場ではタバコを吸わない、という考えが広まってきて喫煙者はますます肩身の狭い思いをしている。

 オフィスビルでも分煙または禁煙が実施され、喫煙スペースが社内の一部に設けてある。最近では全社禁煙、社内では一切タバコは吸わせませんというところも出てきた。

 一般家庭なら分かる。ベランダのホタル族の仲間に入れば解決する。
 だけど都心のオフィスだったらどうする? なに、簡単なことだ。会社玄関前の道路に出て吸えば良いのだ。

 かくして「公共の場からの追放」でスタートし、いったん締出しをくったタバコは、再び公共の場に舞い戻ったのである。

映画「ブレイブ・ストーリー」

2006年07月25日 | 映画(ハ行)
 宮部みゆきの原作。
 それにしても色々なジャンルをこなす凄い作家だ。

 映画は「スター・ウォーズ」と「千と千尋」をミックスしたような印象で、一見子供向けのファンタジーのようだが、ベースには他の宮部作品にも見られる現代の家族の問題が横たわっている。

 子供にとって家族がいかに大切か、親の問題で犠牲になるのはいつも子供たちだ。自分なりに何とかしたいという彼らの健気さが切なく迫ってくる。子供には限りない愛を与えなくてはいけない、と思う。

 「この世に生まれるってことは、すでに生を受けた時点で祝福されている。世界中の子供たちがたっぷり幸せを獲得しても、この世の幸せは少しも減らない。まだいっぱいあるんだよね。」
 これは沖縄の版画家・彫刻家・詩人である名嘉睦稔氏のことば。

映画「M:i:Ⅲ」~ ラビットフットは「マクガフィン」

2006年07月24日 | 映画(マ行)
 トム・クルーズの映画。1,2作に比べると共演陣も監督も地味な印象で、その分すっかりトム・クルーズの映画になっている。だけど面白い。

 面白さの理由の一つは、本来「非情」のはずなのに「甘さ」があるせいだ。製作時点でのトムの個人的な事情が大きな影響を与えているのではないかと思う。話に付き物の「裏切り」は今回チームの中では発生せず、強い結束で暖かく、気持ちが良い。

 だからと言って、まったく部外者の妻が訪問してチーム仲間の祝福を受けるような職場じゃないだろう?といった別の甘さはある。
 「愛する人は主人公の本当の顔を知らない」ことが葛藤を生む、ストーリー上の常道をあっさり捨てている。「スーパーマン」や「スパイダーマン」は明らかにそれでストーリーが深くなっているのだが。

 超高層のビルからビルへ命綱一本のアクロバットを見せてくれるが、その大きなビルのどこにどういうガードで肝心のものが保管されているのかは示されることなく、あっと言う間に手に入れての脱出劇となる。
 全編見せ場の連続だし悪役のフィリップ・シーモア・ホフマンはさすがのうまさ。逆にこれで「カポーティ」を見てみようかという人が増えるかも知れない。

 話の核になる「ラビットフット」がいかなるものかは最後まで観客には分からない。
 これはマクガフィンと呼ばれる作劇上の仕掛けで、6月に実施された「第1回映画検定」の問題としても出題されていた。ヒッチコックによって考案された言葉で、それが何かと問われても「なにか」としか答えようのない何かなのである。

映画 「アメリカ、家族のいる風景」

2006年07月21日 | 映画(ア行)
 自分の人生をどのような形で終着地点へ持っていくべきかを考え始める世代が主役。個人的には久々に見るヴェンダース映画だが、ずいぶん穏やかで優しい感じの作品になっている。

 脚本(主演も)のサム・シェパードもヴェンダースも熟年である。だがそこはアメリカ、「年老いた」と言うにはまだまだ若い。
 西部劇に登場する景観をたどってやがて地方の街にたどり着くロードムーヴィーとも言えるが、ほとんどその街が舞台になっている。しかし、本当に人も車も通らない静かな街だ。そこに人が住み、店も成り立っていくのだから不思議だ。

 かつて関わった女性との間に子供がいたことが分かった往年のスターだが、さてどうする? というのが主筋。しかし、一人のつもりが、実は同じ街にもう一人いたわけだから、全米に果たして何人いるのやら。

 主人公の母親役がエヴァ・マリー・セイントだが、昔の写真が画面に写るとジェシカ・ラングに面影が似ている。ジェシカ・ラングも老けたなあと思っていたら、彼女は別の役で颯爽と登場した。失礼 m(; _ _)m 。(二人の年齢差は25歳であった。)

映画「ユナイテッド93」~ 9.11体験

2006年07月20日 | 映画(ヤ行)
 6ヶ月の余命宣告というわけではない。健康で、夢も希望もごく普通に持っていた人たちが突然、数時間後の「消滅」を宣告された運命共同体の一員となる。

 映画では、無名の俳優群がまったく当時の乗客そのものになって、それぞれの置かれた立場で行動しているかのようである。登場人物は多いが群像劇ではなく、主役はそこで起こりつつある「事象」そのもの。

 観客は予定調和的な結末がないことは最初から分かった上で、搭乗機ならぬ劇場の座席に着くことになる。したがって最初から最後まで息苦しいような緊張感が張り詰める。手持ちのカメラはたえず揺れ、左右に振り回される。

 当時、管制の現場では何機がハイジャックされ、WTCに激突したのがどの便なのかさえ正しく把握されていなかったっことも明らかとなる。その中で搭乗機の乗客は「行動」を選択したのだ。

 9.11で世界の流れが180度向きを変わったと言われるが、その捻れを四分の一だけ巻き戻せたとしたら、それはユナイテッド93便の乗客が示した「勇気」によるものだ。

 犠牲者数の「搭乗者数44名」は乗組員と実行犯グループを含む数字である。犯人グループも家族を持っていたし、恐れもあった。
 「戦争」はあらゆることを正当化してしまう。特攻と自爆テロは違うのか。彼らにとっては、これも「戦争」だったのだ。

 劇映画の枠を越えた作品。単なる再現映画ではなく、現実の持つ重みを観客は共有することになる。

映画 「インサイド・マン」 ~ エスニックなNY

2006年07月19日 | 映画(ア行)
 冒頭でいきなり、カメラ目線の主犯役・クライヴ・オーエンが、懐かしい「5W1H」で事の顛末を語る。

 続いてタイトル。これがエスニックなムードの音楽といい、文字キャラクターの扱いといいスパイク・リーの意気のいいセンスに溢れて一気に物語世界へ導いてくれる。

 ところが銀行強盗の話だと思っていたら、誰も死なない、何も盗まれない(表向きは)。いったいどうなっているんだ、と言う謎解きの物語であった。犯人側は仕掛けを作り込むための時間稼ぎが必要なので、物語としては必然的に間延びした印象になってしまう。たたみ込むようなテンポはそもそも期待できない話なのだ。

 一種の「闇の仕置き人」話なのだが、結局犯人たちの背景はまったく語られない。そこに不満を感じる人もいるだろうが、闇の世界では誰かが情報をかぎつけ、必要な手配をそれなりの能力を持った人間に執行させているのだろう、と納得するしかない。

 ジョディ・フォスターが、存在感はあるものの役どころが今ひとつはっきりしない。普通の強盗ではないという銀行会長の予感が彼女の依頼へとつながるのだが、はたして弁護士の仕事なのだろうか?

 ラスト近くで再びクライヴ・オーエンの「5W1H」が繰り返され、ここで初めて、鈍い観客としてはタイトル「インサイド・マン」の意味に気付かされる事になる。

 事件の進行と人質解放後の取調べシーンをカットバックさせながら描く構成や、さりげなく人種の問題を忍ばせたあたりにスパイク・リーらしい才気が感じられる。

 でも冒頭とラストの音楽+クレジット・デザインは圧倒的だったなあ。