SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「クラッシュ」 ~ 「アメリカを描く」ということ

2006年02月28日 | 映画(カ行)
 精緻に組み立てられた群像劇の傑作。「アメリカを描く」とはこういうことなのだろうなと思わせる。

 人間は複雑な生き物だ。マクベスの魔女の台詞を借りれば「良いは悪いで、悪いは良い」、これが人間だ。登場人物はいずれも善人、悪人で割り切れる存在としては描かれていない。

 丸一日の物語が、多くの国籍をもつ多彩な登場人物のモザイク模様として描かれる。それはメビウスの輪のように、ストレートではないが閉じていて、どこかで誰かとつながっている。

 現代の孤独な人間がつながり=コミュニケーションを求める、そのためのぶつかり合いが「クラッシュ」というタイトルになっている。が、一般的に使われる「車の衝突」の意味も、なるほどという形でラストに出てきて、思わずニヤリとしてしまった。

 三谷幸喜監督が「THE有頂天ホテル」完成のおり、劇場公開時のライバルは「ミュンヘン」と冗談半分でコメントしていたが、同じ群像劇としての真のライバルは本作の方だろう。テイストが違うので好みは分かれるだろうが・・・・。

 アカデミー賞の発表が楽しみである。

トリノ不発 ~ 現代若者気質?

2006年02月27日 | 日常生活・事件

 トリノ冬季オリンピックが終わった。

 競技そのものさえ初めて知ったものがあるくらいだから、参加選手も一部を除いてはほとんど知らない。そんな中で「金メダルを狙う」発言の多さが気になった。周囲ではなく本人が言っているのだから相当な実力なのだろうと思ったが、有限実行とはならず不発に終わった。

 時を同じくして政治の世界でも民主党・永田議員のメール疑惑告発がやはり不発に終わった。

 心に強く願っていればそれはかなう、という各界の成功者の話を良く聞く。

 ただそれは宝くじに当たるような単なる運の問題ではないと思う。上昇するための血の滲むような努力が裏にあり、なおかつ、それを願う強靭な精神があればこその成就ではないだろうか。

 周囲に自信の発言をすることで自らを鼓舞するという意味合いもあるのだろうが、それを口にせず心の奥で自分自身との戦いに勝つという「奥ゆかしさ」とか「慎み深さ」を持つ人が真の勝利を得たとき、人はそれを賞賛するというのが少し前までの日本だったような気がする。
 

とり違え

2006年02月25日 | 日常生活・事件

 三週間ほど前、通勤途上の緑道に「それ」は現れた。

 少し暖かく、すぐそこにある春を感じた朝だった。
 鳥のツガイが目の前を抜け潅木に止まった。片方だけが目の前に姿を見せてい
た。ウグイス色の小ぶりな鳥、ああまさにウグイスだ、と思った。
 鳴いたがまだ時期ではないのか、いわゆるウグイス鳴きではなかった。

 しばらくして新聞にメジロが紹介されていた。写真はないが、可憐な姿、ウグイス色の体色からよくウグイスと間違えられると記述してある。

 ネットに鳥図鑑なるものがあったのでそこから転載したのがこのメジロの画像である。これを見る限り、鳥違いのとり違えミスをおかしたようだ。

 同じ鳥図鑑でウグイスを見ると、どう見てもメジロのほうが美しいウグイス色をしている。

 鳥図鑑:
 http://www.homemate.co.jp/useful/life_hobby/pet/bird_zukan/index.asp


モノ忘れの効用

2006年02月24日 | 日常生活・事件

 以前、海外に行き3つの都市で3つのホテルに泊まった。

 帰国後、荷物の整理もそこそこにしていたが、少したって自分用に買ったTシャツを探したところバッグをひっくり返しても見当たらない。

 買ったときの記憶をたどってみた。移動日に詰め忘れたとして可能性のあるホテルは2つである。
 どちらもそれなりのホテルだったのでTシャツの色・柄の特徴を記してホームページから問い合わせを入れた。どちらも全世界に展開しているホテル網のクレームをある一箇所で処理しているようだ。

 はたして返信があるものだろうかという心配をよそに、数日後どちらのホテルからも連絡があった。が、そのようなものは見当たらなかったという趣旨の回答である。

 ほぼ予想通りとあきらめてさらに数ヶ月。

 たまたま、日頃あまり着ないモノを入れた箪笥の引き出しを開けたら、なんと、そこに探し物があったのだ。それだけならまだしも、買ったことさえ忘れていたニットの帽子も一緒に。

 発見の喜びは倍になった。

 モノ忘れもたまには楽しい出来事をもたらしてくれる。

映画 「プライドと偏見」

2006年02月23日 | 映画(ハ行)
 原作の小説は昔から「高慢と偏見」のタイトルで邦訳されている。NHKテレビ版も人気があったらしいが未見。

 ジェーン・オースティン原作の映画化作品は「エマ」「いつか晴れた日に」など名作が多い。後者はエマ・トンプソンが主演のみか脚本も書いてアカデミー脚色賞を受賞している。
 先日のゴールデングローブ賞授賞式ではプレゼンテーターをつとめたエマが「歳のために今回はオファーがなかった」とコメントして会場を沸かせていた。
 本作もエンド・クレジットに "Special Thanks" でエマの名前が出てくる。脚本にノーギャラで手を加えてあげたらしい。

 女性に財産相続権がなかった時代の、結婚にあこがれる5人姉妹のラブ・ストーリー。ちょっと外国版「細雪」のような雰囲気もある。
 高慢だと思っていた男性が姉と妹の婚約のために見せた善意に次女が惹かれていくのだが、「姉のために見せた善意」の中身が今ひとつはっきりしなかった。

 が、イギリスの美しい景観を舞台に繰り広げられる古典的な恋愛劇が、実に贅沢な時間をもたらし、豊かな気分にさせてくれる。

 配役では姉妹の父親役のD・サザーランドが素敵だ(おそらく今までの出演作で一番)。息子のキーファー(『24』)しか知らない世代も多いのだろうな。



映画 「ジャーヘッド」

2006年02月22日 | 映画(サ行)
 ほとんど戦闘のない、戦争映画の傑作。
 反戦映画でもないかわりに好戦的な色彩も薄い。文学的な戦争映画だ。

 「フルメタル・ジャケット」を思わせる過酷な訓練シーンで幕を開ける。
 その「フルメタル・ジャケット」は殺戮マシンの養成とその使用状況(戦闘)がきれいな二部構成できわめてシャープに、メカニカルに描かれている。

 本作では冒頭の訓練シーンはあっという間に終わってしまうが、戦闘もラスト近くにわずか4日間の出来事として描かれ、フィルム上のボリュームはいくらもない。その間の大半は半年以上におよぶ、ひたすら待ちの時間の描写である。

 ここにあるのは戦場ではなく「戦時」のリアルと高揚感、そして記憶に焼きついたその残照である。砂漠で燃え上がる油田の光、降り注ぐ黒い油の雨、砂漠を放浪する油まみれの馬などヨーロッパ映画のような感触だ。

 戦争が終わって普通の物静かな顔になった青年達にとって、あの高揚した日々はなんだったのかという問いが詩的な映像で綴られる。

事故との遭遇

2006年02月21日 | 日常生活・事件

 駅裏の歩道を歩いていた。車道の方は一方通行で幅も狭く客待ちのタクシーがたまに通る程度である。
 前方で別の車道が交差しておりそこに一応信号機がある。
 それが点滅を始めたのか、男性が一人、前につんのめりそうな不自然な格好で駆けて渡って行った。

 やがてその交差点にかかって歩道を右折したとき、先の方に人が倒れていた。先ほど信号を渡った年配の男性のようだ。平日の昼のせいか、たまたま周りには誰もいない。
 自分が助けるしかない状況であった。

 それが近づいても身動きすらしないのだ。が、声をかけて覗き込むと目は開いている。ようやく、腰が悪くて身動きすらできない状況であることがわかった。先ほどの不自然な駆け足もそのためだったようだ。

 起こしてあげれば歩けるようなのだが、足を曲げて立ち上がることすら出来そうにない。うつ伏せになって硬直した格好の、けして小柄ではない男性を持ち上げて立たせるのは、ちょっと大変だった。

 だが、どうにか務めを果たすことは出来た。右手の先は転んだときの擦過傷で血が滲んでいた。

 少し補助して歩いたが大丈夫そうだったので分かれた。ご無事で・・・・。

映画 「空中庭園」 ~ 昨年見てたらベスト1

2006年02月17日 | 映画(カ行)
 何でも話せる、秘密のないはずの家庭で、家族一人一人の秘密が明らかになる一種の家庭崩壊劇だが、この劇の構造そのものに果たしてそうだったのだろうかと謎をかける、むしろ高等なミステリーとも呼べる作品。

 殺人や犯罪が起こるわけではなく人間精神の不思議な領域に踏み入っている。見終わると主題は小泉今日子扮するある主婦の再生であった事に気付く。

 母娘の葛藤がここまで正面から描かれるのは他に洋画で「秋のソナタ」と「キャリー」くらいだろうか。特に「キャリー」はまったく趣の異なる作品であるにもかかわらず、いじめ、血の雨というキーワードも共通している。

 バースデーケーキをはさんだ母と娘二人のシーンがすばらしい長まわしで一気に撮られているが、大楠道代と小泉今日子、ともに引けを取らない近年ない見事な場面。

 配役や音楽やストーリーや、その他映画を構成するもろもろの要素の中でカメラの動きそのものがきわめて大きな役割をもって前面に出てきている。

アイドルの「禁」

2006年02月16日 | 日常生活・事件

 アイドルの喫煙や飲酒が問題になっている。

 最近見た映画の中でも高校生が喫煙するシーンがあった。調べると、演じた役者は高校生ではないもののまだ20歳前だ。
 プライベートの行為がスクープされると大騒ぎだがスクリーンで演技としての喫煙は問題ないということか。

 それともタバコに似た問題のない小道具が用意されているのだろうか?
 飲酒シーンなら水でも分からないけど。

映画 「PROMISE」

2006年02月15日 | 映画(ハ行)
 絢爛豪華な映像、アジア各国スターの顔合わせと話題性の大きな作品。

 冒頭に延々と続く、チャン・ドンゴン演じる奴隷の駿足ぶりが描かれる場面で、暮れに見た「キングコング」の、恐竜の群れが暴走するシーンを思い出してしまった。
 この荒唐無稽なファンタジー世界に入り込めるかどうかで評価が違ってくるだろう。

 神と人が同次元に存在する神話の世界なのだ。同じ神話でも、ギリシャ神話・「トロイ」でブラッド・ピット=アキレスの駿足がきわめてリアルに俳優の肉体に即して描かれていたのとは対極の描写。

 神の告げる運命(PROMISE)に抗う人間たちのドラマとして、仕掛けやビジュアルが壮大な交響曲を奏でているかのようなのだが、予言の中身は結局「恋愛占い」で絶世の美女・傾城を巡る恋の駆引きという数人の男女間の極めて小さな世界の話に閉じこもってしまっている。

 予告やTVスポットは作品を最も魅力的に見せるシーンを選りすぐってあるが、全編そのテンションで貫かれている映像は一見の価値がある。