SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「オーメン」 ~ 愛しのローズマリー

2006年06月30日 | 映画(ア行)
 リメイク作品。単に今年が2006年だから出来た企画なのだろうか。

 旧作の大使夫妻(グレゴリー・ペック+リー・レミック)に比べるとこの二人の配役がとても弱い。逆に脇役はなかなかの顔ぶれだが、今回のキャスティングの妙はなんといっても乳母役、ミセス・ベイロックのミア・ファーローである。

 本作がDVD化されたらホームシアターでの鑑賞は「ローズマリーの赤ちゃん」(1968、ロマン・ポランスキー監督)との2本立てで決まりだ。こちらの主演はもちろんミア・ファーロー。若い人妻の妊娠・出産をめぐり、いかにして彼女が魔族の仲間へ引きずり込まれていくかが描かれている。

 そして本作。すでに老齢の域に達しすっかり魔族になりきった彼女が、今度は悪魔の子ダミアンの乳母を志願して近づいてくる・・・・。素晴らしい2本立てプログラムではないだろうか?
 ミセス・ベイロックの採用面接の場面で、ファーストネームはローズマリー・・・・くらいの遊びがあるとファンなら狂喜である。

映画「マンダレイ」

2006年06月29日 | 映画(マ行)
 ミイラ取りがミイラになるとはこういう事なのだ。

 蜘蛛の巣をきれいにしたと思ったら、まったく別の新しい巣がいつのまにか出来ていて自分がそこの主にされようとしている。囚われの人々は開放されても、何をやったら良いのか分からず、自由をまったく喜んでいない。蜘蛛の巣はある意味で彼らの生活に「秩序」を与えていたのだ。

 アメリカの奴隷制度がこのような語り口で描かれる。舞台劇のような閉塞的な空間が監督の掌の上で自在に操られているような不思議な感覚を覚える。著名な役者ほど脇に配したなんとも贅沢なキャスティング。

映画 「リトル・ランナー」 ~ 聖人になる方法

2006年06月28日 | 映画(ラ行、ワ行)
 現代の奇跡の物語。

 性に目覚める年頃の少年のスポ根ものだが、映画の作りは「苦行の果てに成人に列せられる」という宗教説話のような構成になっている。原題は「SAINT RALPH(聖人ラルフ)」で、映画の章立ても多くの聖人にちなんでいる。

 少年が同情すべき不幸な境遇にありながら、結構な悪ガキなので涙涙の物語になってはおらず、そのことが全体に爽やかな印象を与えている。

 普通、いわゆるスポ根ものは「最終的に成し遂げてしまう」のだが、本作は一ひねりあって、それでも結局はハッピーなエンディングになっているところがうれしい。

コミック 「デスノート」 ~ キモカワイイの世界

2006年06月27日 | 映画(タ行)
 スタイリッシュな映画のポスターが気になっていたら、家族がコミック本を、現時点での発行分すべて所有していた。

 これは鑑賞前に読んでおかなくてはと読み始めたら面白い。何よりキャラクターが素晴らしい。陰と陽のような二人の主人公に死神が絡む大量連続殺人事件の話だが、シリアスなだけでなく結構コミカルで、そこがまた面白い。だから「コミック」なのだと変な納得をしていまう。まさにキモカワイイだ。

 それを軸に物語が展開する「核」にあたるのがデスノートだ。さまざまなルールがある。

 ただ、巻を追うごとにストーリーもルールも複雑化してきて、善と悪、陰と陽のような単純な図式では整理できなくなり、読む側の記憶も追いつかなくなってくる。そして、最初の面白さは、やや・・・・。

 その理由はLのキャラクターのユニークさにある。物語の魅力はLの魅力だったのだ。中盤Lが死んでしまうと物語のロジカルな観念性だけが目立ってきてしまう。

 したがって映画が原作のどこまでを映画化しているのか気になるところである。

第1回 映画検定 ~ 目白押しの新資格

2006年06月26日 | 映画

 新たな資格検定制度が目白押しだそうだ。

 私も昨日「第1回 映画検定」を受験した。1級~4級まであるが今回1級の試験はない。4級は入門コース、3級は初級と聞けば2級を受けるしかない。
 NHKのニュースでも放送していたが全国で約1万人が受験したとか。7割程度の正答で合格だそうだ。

 2級に関する限り、映画の創生期から山口百恵の主演作や現在のヒット作まで守備範囲が広い。それが邦画と洋画に渡り、さらには映画のテクニックや興行形態にまで及ぶ。
 帰りがけに他の受験生が「面白そうだから受けてみたけど、本当に映画が好きであらゆる知識がないと無理だということが分かった」と話しているのが聞こえた。

 次回は12月3日に実施である。第2回からは1級の試験も実施されるが、対象は今回の2級合格者である。7割の正答で絞ると1級の受験資格を持つ人がどの程度になるのか。あまり少なければ実施コストも馬鹿にならない。7割「前後」ということで微妙なさじ加減が要求されるだろう。

 私に1級の受験資格があるかどうか、一月後に判明する。

映画 「花よりもなほ」

2006年06月23日 | 映画(ハ行)
 テロリズムの横行で憎しみの連鎖が断ち切れない世界に対して、是枝監督流の異議申し立てを、実にさわやかに行っている。一種の忠臣蔵外伝になっているところが面白い。

 出演者の顔ぶれもにぎやかに、是枝作品としては珍しく、一般的にもとても楽しめる映画になっている。(と言っては失礼か?)
 舞台となる今にも倒れそうな長屋の「汚い美術」が特筆もの。たたけば埃が出そうだが、本当に出ていた。雪降りしきる中で登場人物の吐息が白くならないことに驚いた「春の雪」とは対照的である。

 軽やかな音楽と岡田、宮沢の主人公の魅力、加えて脇のキャストが誰も、とてもいい味を出している。

 加瀬亮と夏川結衣の場面はちょっと黒沢明の「赤ひげ」を思わせるところがあったが、他の人物像はそこそこに長屋全体のアンサンブルが描かれ、それに赤穂浪士が絡んでくるところで主人公の仇討ち話と対比的に深みが出てきている。

映画 「初恋」~ 恋の値段は3億円

2006年06月22日 | 映画(ハ行)
 冒頭に出てくる新宿のアンダーグラウンドないかがわしさで一挙にタイムスリップ感を味わえる。当時を知らない世代にはまるで異界かもしれないが。

 ただし、時代のムードはよく出ているものの、学生運動、三億円事件とドラマチックな事件を描いているにしては視点が引いていて、平板な描写に終始している。遅れて失敗するかに見えた強奪もなぜかすんなり成功してしまう。

 ヒロインが大事件に巻き込まれるのが「恋心」のためという説得力がまるでないのだ。登場人物がそれぞれに背負っている事情も表面的に触れられるがそれ以上には立ち入ろうとしていない。藤村俊二のバイク屋も魅力的なキャラクターなのに、ふくらませることなくいつの間にか中途半端に死んでしまっている。
 
 こういう人たちがいてこんな出来事が起きました、という小さな新聞記事の読後感に似ている。したがって誰に感情移入できるでもなく、ラストでそれぞれのその後を示されても感慨を持って迫ってこない。

 予告で流れる元ちとせの主題歌「青のレクイエム」に惹かれて見に行ったのだ。面白い題材なのにもったいない。

映画 「南極物語」 ~ 日米比較

2006年06月21日 | 映画(ナ行)
 ディズニーによるリメイク作品。タロ・ジロの名は出てこない。

 さすがに動物描写は素晴らしく、擬人化が鼻につく一歩手前のところで、うまく勘所を捉え泣かせてくれる。人間パートの筋立ても過不足なくさらりとしていて、家族で楽しめる感動の娯楽作品に仕上がっている。

 ディズニーだけに、犬たちを極力死なせないようにこだわったと聞くが、事実をベースにはしていても忠実な再現を狙ったわけではないのだから、これはこれで、たくさん生き残っていて良かったね、と素直に喜ぶことが出来る。

 日本版「南極物語」の 蔵原惟繕 監督に対する献辞がクレジットされている。

映画 「ダ・ヴィンチ・コード」 ~ 全編が見せ場

2006年06月20日 | 映画(タ行)
 コスト・パフォーマンスは抜群の作品。あれだけ内容の濃い原作が150分にまとめられているから、単位時間あたりの情報量(視覚的にも、知的にも)は物凄い。

 ただ、映画の場合にはそれが必ずしも重要ではないし、作品の質とも関係はないようだ。次から次に繰り出される重要な台詞を字幕で読んでいる間に、ため息の出るような豪華な映像はもう次の画面に変わっている。
 また物語の重要な鍵となる暗号も、一応通るべき関門ではあるのだが難なくドンドン解き明かされてしまう。150分に収めるには迷っている暇はないのだ。

 読んでから見るか、見てから読むかが話題になっているが、私の場合は一年前に読んだのでディテールは忘れているものの大きな流れで戸惑うことはなかった。
 歴史的な解説もすべて映像として提示される。そのそれぞれに豪華な素材が、まるで湯水のごとく垂れ流される、そういう意味では恐ろしく金のかかったゴージャスな映画だ。

 物語はほんの一昼夜の出来事。誰も眠りもせず疲れも見せない。これを「24」のスタイルでじっくりと謎解きを堪能できる長編に出来ないものか。

映画 「ココシリ」 ~ ああ、非情

2006年06月19日 | 映画(カ行)
 一切の情を排した文字通りの非情の世界。
 自然と人間、人間と人間が生のまま向き合っている世界が、辺境の、美しいというよりは過酷な背景の中に展開する。

 チベットカモシカの密猟者と私的ボランティアのようなパトロール隊の死闘が描かれる。両者は半ば天敵のように、敵を探し出し戦わずにはいられない。なぜ戦うのか、それは相手がそこにいるからとしか言いようがないようだ。

 どちらが善でどちらが悪とも言えない。結果的には同じことをやっているからだ。むしろ、その心のありようが問題だというわけだ。近親憎悪に近いものとも言える。
 「チベットの僧は汚れた身なりをしていても心は清らかで美しい」という意味の台詞が劇中にもある。

 ほとんど宗教のような映画と言ってもよいだろう。
 「人は何のために生きるのか」ということを考えさせる。だけどその答えが映画の中にあるわけではない。