SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「善き人のためのソナタ」

2007年07月31日 | 映画(ヤ行)
 「人は知らないうちに誰かに守られている」
 これは邦画「幸福な食卓」に出て来る台詞だ。壁崩壊直前のベルリンで、監視する者とされる者の間にこの奇跡のような物語が舞い降りる。

 そこで守護霊のような役割を果たしたのが冷徹な監視者だったのだ。

 劇中で、ベートーベンのソナタ「熱情」を聞いたレーニンのエピソードが語られる。これを聞くと気持ちが優しくなって革命を成就できなくなる、と語ったとか。
 「香り」に置き換えると「パフューム」のラストシーンだ。(ともにドイツ映画)

 ここで監視される側の舞台作家によって演奏されるのが「善き人のためのソナタ」だ。盗聴するヘッドフォンから流れてくる調べが監視者の何かを解かす。音楽を担当したガブリエル・ヤレドの楽曲が美しい。

 ここに描かれるのが戦後も80年代の話であることに驚かされる。戦争中のスパイ戦がそのまま続いているかのようだ。これまで語られることの無かった壁の向こう側の事実に、少しずつ光が当てられ始めた。

 もし違う街に生まれ育っていたならば温かい家庭を持てたかもしれない監視者の孤独と不幸が悲しい。自分の持っていないものに気付き、それに限りない憧れを抱く男は、なおかつ無表情ながら深い湖のような澄んだ瞳を持っている。

 最後まで直接には語り合うことの無かった両者の心の触れ合いが、じわりと観客の胸に忍び寄る。

 2006年のアカデミー外国語作品賞受賞。

映画 「カンバセーションズ」 ~ 複数形の謎

2007年07月30日 | 映画(カ行)
 かつて夫婦だった男(アーロン・エッカート)と女(ヘレナ・ボナム・カーター)が、男の妹の結婚パーティで出会ってから翌朝までの半日が描かれる。

 その間二人はずっとしゃべり続けている。
 原題は「Conversations with other women」と複数になっているのだが、周囲の人が写ることはあっても基本的に二人芝居で、ワンシーンを除くと台詞のある他の女性は登場しないといって良い。
 さらにカタカナの邦題にはConversation(s)と振られており、この括弧書きの意味も謎だ。

 全カットがマルチスクリーンで常に真中から2分割されており、デュアル・スクリーンと呼んでいる。これが二人の表情をそれぞれにとらえたり、若い頃の情景と対比させたり、まったくの別テイクを同時に流して実際の行動と思いの乖離を表現したり・・・、と映画的ではあるのだが、効果があるのかというと単にうるさいだけだったりする。

 ラストは、二人が別れて別々のタクシーに乗り込み、それぞれの運転手と会話するシーンで、いつの間にか画面を分割していたフレームが取れて、唯一、一つの画面になっている。

 初めて二人が空間的に分離されたとき画面上は一つになるスクリーンマジックだ。

映画 「シュレック3」

2007年07月27日 | 映画(サ行)
 このシリーズを初めて見た。新宿のミラノ3で鑑賞。ミラノ1では「ハリポタ5」、ミラノ2では「パイレーツ3」といずれもシリーズ物。このラインアップ中では一番弱い。でも料金は同じだ。同じ金を払うならどれを見る?という話だ。

 アーサー王からシンデレラ、白雪姫まであらゆる登場人物が出てくる。

 今回はそれら物語に出て来る悪役たちの反乱がテーマだ。だけどそれを力で制圧するのではないところが良い。
 そう深刻ではないので気楽にキャラクターを楽しみ、CGの進化に目を見張り、子供用ではない楽曲の選曲センスにアメリカ文化を知ることが出来た。

 今回は吹き替え版だったが字幕版は声の出演がまことに豪華。王妃役・ジュリー・アンドリュースの声が聞きたかったなぁ。

期日前投票と不在者投票 ~ いよいよ参院選

2007年07月26日 | 政治

 ずいぶん前の話だが知合いが不在者投票に行った。その日いないから、というだけで十分だと思うが、いつからいつまで不在なのか、なぜ不在なのか、どこに行くのかまで聞かれたそうだ。

 で、その結果、泥棒に入られた。あそこから情報が漏れたとしか思えないというのだ。

 聞いた内容をどう活用しようというのか。とりあえず保存し、保存期間後廃棄するだけの話だ。
 あまり簡単に認めては役所の権威に関わると思っているのだろうか。一応うるさいと思われるくらいまで聞いておく。だけどそれをどうするわけでもない。そのデータが必要なのは泥棒くらいだ。

 最近は期日前投票というのがある。単純に不在者投票が期日前投票になったという訳ではないのだ。両者はともにあり、投票の方法も異なっている。

 不在者投票は記入した用紙を封筒に入れ、それをさらに外封筒に入れて封をし、署名する。それを提出すると立会人が署名。投票管理者は開封して投票箱へ入れる。という大げさな「儀式」が必要だ。
 記述前投票は単に投票日より前に投票するというだけで、投票用紙に記載して投票箱へ入れる、はるかに簡便なものだ。ならばこの期日前投票に一本化したらどうなんだというのが単純な疑問。

 「選挙人名簿のある選挙管理委員会での不在者投票」これは、「従来の不在者投票は,期日前投票に移行しました」ということだ。お役所も一応考えてはいるようだ。
 
 では、そうではない不在者投票とは何か?
 例外があるのだ。それは選挙権が生じる年齢の問題だ。選挙当日が誕生日でその日20歳になる人は期日前は当然19歳だから、期日前には投票権が無く投票できない。したがって不在者投票になる、という理屈だ。
 一部の指定された病院・老人ホームなどの滞在者もその施設内で不在者投票ができるらしい。

 どちらも「選挙期日の公(告)示日の翌日から選挙期日の前日まで」が投票期間である。

 早い話、公示されたら翌日からは特に理由が無くても選挙権のある人は誰でも投票できるわけだから、あえて「期日前」などといわず、選挙期日そのものを1週間とか2週間とか幅を持たせたらどうなのだろう。
 その間、選挙運動も開票も同時に進行させる。劣勢議員は最終日に向けて必死になるだろう。票の開拓に向けて投票率も伸びるかもしれない。

 だけど、早い時期に当確が出たりしたら困るのだろうな。

電車内で濡れる

2007年07月25日 | 日常生活・事件

 梅雨明け間近で暑くなってきた。満員の電車内は冷房の風も肩から上の話、下は体熱で蒸れた状態だ。
 通勤も上着なしの人が増えてきた。

 吊革につかまっていると、車体の揺れで、肘が前の人のワイシャツの肩の部分に付いたり離れたりする。半袖なので肌がじかに触れるが、水に漬かったようなひんやり感がある。
 2、3度揺られて分かった。どうもこの人の肩は濡れているのだ。

 前の人は太ったおじさん。やや汗臭い感じがする。
 下がランニングシャツだと肩の部分はワイシャツの下が即、肌だ。首の周りはそうでもないように見えるが、ワイシャツの下は汗が吹き出しているのだ。

 そう分かるとひんやりして気持ちイイというわけにはいかない。次のターミナルまでこれ以上密着しないように踏ん張るしかないのだ。

 かろうじて隙間を保ち、何とか持ちこたえて、ターミナルで人が降り始めるときにはっきり見えた。白いワイシャツはたっぷりと水分を含み、おじさんの動きに合わせて、張り付いた部分の肌色は微妙に形を変えていた。

映画 「ゴースト・ハウス」

2007年07月24日 | 映画(カ行)
 オキサイドとダニーのパン兄弟が監督したホラー映画。最近は「スパイダーマン」シリーズの監督として有名なサム・ライミも製作に名を連ねている。

 「the EYE」の監督だから、舞台はアメリカだがアジアン・ホラーのテイストがある。

 幽霊はポルターガイストのようにその場に怨念を残すタイプと、恨みを持ったある個人にとり憑くタイプがある。本作はその両方。
 惨劇のあった家に移り住んだ家族とそこで死んだ霊、さらに彼らを殺した犯人が三つ巴になるところが要素としては新しい。

 ショッカー的要素満載だが、家族の事情にまつわる話もキチンと出来ていて、単なる怖がらせに終始してはいない。かといってB級の域は出ていないのだが、暑い夏に怪談(ホラーと言うよりこう呼びたい雰囲気がある。)を、という時にはお勧めの一本だ。なかなか怖い。

 恨みを晴らしたところで成仏したなら良いのだが、本当にもう出てこないのだろうか?

映画「ダイハード4.0」~ あるいは「16ブロック2」?

2007年07月23日 | 映画(タ行)
 「4.0」の心憎いタイトルは日本配給時の邦題アイデアを本家が逆採用したとか。NTT docomo2.0は依然として意味不明だが・・・・。

 「スパイダーマン3」「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」とヒットシリーズ最新作がイマイチだった中でこれは文句無く面白い。

 前3作までは「何で俺が・・・」とボヤキながら仕方なく戦っていたが、今回は「俺がやらなきゃ誰がやる」と真のヒーローに目覚めたようだ。その分シリアス度アップ、ユーモア度ダウンだ。

 悪役も超大物起用がない。その分、見た目の華は無いがウィリスを頂点に良いアンサンブルだと思う。スターを持ってくるならあの役はジュード・ロウあたりか?

 アクションはシュワルツェネガー物や「マトリックス」の既視感があるし、娘の救出一途な親父は「24」だ。さらに今回は孤立無援ではなく、無力ながら「旅のお供」がいるところは「スターウォーズ」系だし、同じブールース・ウィリス主演の「16ブロック」続編のようでもある。その良い所取りが非常にうまい方向に作用している。

 肉体的にも家庭的にも精神的にも満身創痍の戦いだ。年齢を考えると超人級の活躍だろう。まさに英雄(ヒーロー)だ。

 派手なアクションとの対比で、微妙なコンビのバランス、娘との関係などベースの部分の味わいがなかなか良い。

 ハリウッド大作を見て久々に満足できた。

映画 「キサラギ」~ ドーナツは穴以外がおいしい。

2007年07月20日 | 映画(カ行)
 ドーナツのような映画だ。

 アイドル・キサラギをめぐる5人のファンの物語。だけどその中心にはぽっかりと空洞が開いている。

 ファンを演じる5人の男優陣は、それぞれヒロインとは強弱つけがたい何らかの関係性がある。中心から等距離にあると言う意味でまさにドーナツ。そして自殺したヒロインは観客の想像に任せられるドーナツの穴なのだ、と思っていたらラストにヒロインが衝撃の登場を果たす。
 だけど観客にとっては、少なくともおいしいとは言えないドーナツの穴であることに変わりは無い。確かにD級アイドルだ。そこがまたファンにはたまらないのだろうなぁ。アイドルとはそういうものなのだ。

 舞台劇を映画化している。多少映画的に処理されているがほとんど舞台劇といって良い。オリジナルが面白いため映画も見応え十分だ。
 冒頭のエレベータなど画面だけ見るとホラー・ミステリーのように始まる。作品は確かにミステリーの体裁なのだが「お前が犯人だ」と言うための映画ではない。
 ある出来事がなぜ起こったのか全員が納得できる理由を探そうという、いわば癒し系のミステリーだ。

 そのため誰かが異議を唱えるとそこからまた新たな事実が見え出す、どんでん返しの連続だ。したがって、一応終わったもののまだ続くのではないかと言う予感が、さらに一年後を映したラストのワンシーンで示される。

 その鍵を6人目の男・宍戸錠が握っている。(鍵と錠?)

映画 「マリー・アントワネット」

2007年07月19日 | 映画(マ行)
 良くも悪しくもソフィア・コッポラの作品になっている。

 若くして嫁ぐことになったある少女の物語を、ファッション雑誌を見るように、映画で見せている。ヒロインがたまたまフランス・ルイ王朝のマリー・アントワネットだっただけのことかも知れない。

 フランス革命のような歴史のうねりに翻弄された「悲劇のヒロイン」を期待してはいけない。背景にはあっても、そういう葛藤やドラマ性とは無縁の世界だ。

 ヘアー・スタイルや靴やスイーツの動くカタログ的趣向で、若い女の子の興味は昔も今もそれしかないということか。劇中のロック・ミュージックは評価する人もいるが、アウトと言う人も多いだろう。

 人間ドラマは、ほとんどセックスレスの夫の気を引くことが出来るかどうか、という部分にかかっているが、それもどうにかクリアして夫婦の絆は強くなったようだと言う程度の浅い表現である。

 ヒロインのキルスティン・ダンストは高貴というよりは庶民的だが、金髪と白い肌がコスチュームプレイには合うようで、スパイダーマンのヒロインは??だが、こちらは悪くない。

 「あの胸にもう一度」で官能的な肢体が強烈な印象を残したマリアンヌ・フェイスフルが、マリーの母親マリア・テレジア女帝を演じている。年をとってこんなになったんだ、と感無量であった。

参院選、決起集会に参加

2007年07月18日 | 政治

 支持率低下に歯止めが利かなくなった某政党から今回の参議院選挙に立候補したある人物の決起集会が、都内2000人規模のホールで開催されたので行ってきた。

 こういう集会に参加する人は二つのタイプに分類できる。積極的支援派の人と動員がかかりシブシブやって来た人たちだ。
 
 午後7時開始というのに15分前で、会場は1階(1200人収容)のみ使用にもかかわらず空席が目立っている。雨だし、支持離れが進む中だし・・・・。

 開始時間になって司会者がマイクに向かったが、「7時になったが支援者が続々と入場しつつあるので今しばらく・・・・」と言って開始時間が延びた。それでも6割程度の入りにはなってきた感じだ。

 しかし、5分たっても10分たっても始まらない。7時開始だと言うので7時までに入場した人にはまことに失礼な話だ。わざわざ雨の中を来てあげたのだから。
 なかなか始まらないからと、シブシブ入場組の人たちが続々と帰り始めたら主催者側も慌てて始めたのかもしれないがそうはならず、結局15分を回った頃から始まった。

 当の候補は客席後方から中央の花道を、スポットライトを浴びながら登場。壇上には支持者代表のような人たちが6、7人座っている。
 ここでいやな予感。シブシブ派としては候補者の一声を聞いて早々に引き揚げたいところ。あの壇上の人たちの出番はどうプログラムされているのか?

 果たしてその支援者のエールからプログラムはスタートするではないか。
 短い方が良いのは結婚式のスピーチと同じだが、どうして、そうはならないところも似ている。候補者は壇上に起立したまま、一人のスピーチが終わるごとにオーバーなお礼アクションを演じ、足元に置いたペットボトルを手にとっては水を飲んでいる。

 おいおい、これが何分続くんだ、と思っていたらもう足の方が勝手に出口に向かっていた。

 駅へ向かって歩いていると、当の候補の街宣カーが名前を連呼しながら横を追い越して行った。
 当然のことながら、そこに本人の姿があるはずは無い。