SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

逃げ道なし ~ 自分のペットは可愛いが

2007年06月28日 | 日常生活・事件

 川に蓋をした長い緑道がある。通勤時に幅1.5mほどの、その緑道の一部(300mくらい)を通っている。季節の花がきれいで心和むひと時である。

 今朝は前方から真っ黒な大型犬がやってきた。飼い主がすぐ後ろにいたから、近づくまで、まさか犬が繋がれていないとは思わなかった。犬嫌いの人ならたまらないシチュエーションだ。

 飼い主は若い男性。悪い言葉でいえばちょっと「キザなヤツ」だ。自分の犬に全幅の信頼を置いている。突然走り出したり、子供に飛び掛ったりは絶対しない、と思っている。
 でも、もし怖がった子供が過剰な反応をしたり、別の散歩犬が吼えたりしたら、それでも綱なしで飼い主はコントロールできるのだろうか。

 突然の野生が宿ったらこの細い道で逃げ場はない。

DかJかの問題

2007年06月27日 | 日常生活・事件


 職場の近くにデニーズとジョナサンが並んでいる。

 これまでしか利用したことがない。なぜか?
 なんとなく、ここのは入りにくい作りなのだ。

 さらにはメール登録しておくと、100円引き(ごくたまに200円)のクーポンが時々送られてくる。毎日行くわけではないから、このクーポン送信に合わせていくと安く上げられるわけだ。

 ところがここに来て事情が変わってきた。のランチドリンクが事実上の値上げになった。これまで好きなものを自由におかわり出来たのに、飲み放題は約倍額の320円になった。ワンドリンクだと160円だがコーヒーのみとなってしまった。

 は飲み放題のドリンクバーと言うのがあったはずだ。横並びでこちらも変わってしまったのか。今度行って確かめたい。

 320円でも、夏場に涼しい店内でゆったり読書できると思えば安いかもしれないけれど。これまでが安すぎたということか?


映画 「あるスキャンダルの覚え書き」

2007年06月26日 | 映画(ア行)
 レズビアンの女ストーカーの話、と言ってしまうとかなりきわどい作品のように聞こえる。監督と主演が違えば、その印象どおりのサイコ・サスペンスに仕立て上げることも出来ただろう。

 が、主人公を演じるのはジュディ・ディンチだし、監督はリチャード・エアーで、同じジュディ・ディンチの「アイリス」に継ぐ作品である。加えて相手役のケイト・ブランシェット。
 この顔ぶれで出来た作品は、老いた女性の孤独の果ての物語である。文学的主題に昇華している。

 新任の美術教師ケイト・ブランシェットの複雑な家庭に、教え子と定年間近の同僚教師ジュディ・ディンチが絡んでくる。人の心を手のひらの上で思うがままに操りそこなった老人の、人間の業(ごう)に迫る。
 ラストはややサイコ・サスペンス風だ。

 アカデミー賞の主演女優賞、助演女優賞に二人がノミネートされていることを見ても作品の質の高さが分かる。エアー監督の前作「アイリス」でも同じく両賞ノミネートされたのだが、このときは相手役が同じケイトでもケイト・ウィンスレットだった。

思わず体が反応してしまった話

2007年06月25日 | 日常生活・事件

 外で昼めしを食べていた時の事。

 サラリーマンが前後して3人で入ってきた。

「いらっしゃいませ」と声が出て、もう店の人は体の方が先に反応し、こちらへとでも言うように手で案内しかかっている。その時、聞かなくても良いのにいつものように「何名様ですか」と言ってしまったのだ。

 そばで食べていた私も思わず「オッ!」と思ったのは、そのサラリーマンが「30人」と答えたからだ。客がそう思うくらいだから、店の人は方向を示した手がフリーズし、絶句してしまった。この間、わずかの沈黙が何故か長く感じられた。

 サラリーマンもその微妙な沈黙に何かを感じて、自分の言ったことを瞬時に頭の中で反芻したに違いない。沈黙の後、「ああ、3人だ」と修正した。
 そこから何事もなかったかのように、再び時間は流れ始めた。時間にしても数秒の間の出来事だ。

 映画だったらどういうカット割になるんだろうなどと考えながら、残りのご飯を掻きこんだ。

 マニュアルどおりならすべては順調に流れる。そこに思わぬ異物が混入したとき、何かおかしいと思いながらも、体の方だけは形どおりに対応したりしている。

映画 「GOAL!2」 ~ 3作目への期待?不安?

2007年06月21日 | 映画(カ行)
 サッカー映画、3部作の第2作に当たる。

 第1作は、ワールドカップで社会的にも盛り上がっている時期の公開だったから、見た人も多いかもしれない。だけど今回はそんな話題性はないし、大作目白押しの中で、地味なことこの上ない。

 ベッカム、ジダンなど、スタープレイヤーが自身の役で出演しているわけだからサッカーファンにはこたえられない、のだろうか?この顔ぶれが揃うものの、もはや「かつてのチーム」の話になってしまっている。

 期待の新星サンティアゴ・ムネス選手のレアル移籍、婚約者とのいざこざ、母との再会などが描かれるが、どれも平板。朝、起こさずに寝坊したのがギクシャクの原因など、テレビドラマですらお目にかからないちゃちな筋書きだ。
 肝心のヨーロッパリーグも決勝戦はともかく、そこに勝ち上がってくるまでの過程にドラマがない、というよりその過程がほとんど描かれていない。

 スター選手も顔は見せているが台詞がなく寂しい。

 1作目は貧しい移民が這い上がっていくサクセスストーリーで、ややご都合主義ながらもプレイシーンには迫力も感じられ、そこそこに好感が持てた。
 だが今回はどうだろう。興行も地味だが客も少ない。口コミで客層が広がりそうもない。
 少なくとも3作目を見るのは今回の2作目を見た人ということになるだろう。観客が減ることはあっても2作目以上に増えることはないのだ。

 果たして最終章は劇場公開にこぎつけるのだろうか?

映画 「アポカリプト」

2007年06月19日 | 映画(ア行)
 歴史的な文明論をベースにしている。この後マヤ文明が西欧の侵略という真の危機に瀕することになる、その前段の物語。

 「ブレイブハート」以来メル・ギブソン映画お決まりの拷問シーンが本作にも登場する。ただ「パッション」までの2作はそこで主人公が息絶えてしまうが、本作はそこから反撃が始まり、珍しくラストに希望が持てる。その後に続く試練はそれどころではないはずだが。

 途中異郷の地の描写がパゾリーニ作品を思わせるところもある。が、徹底しておぞましい。

 同じ残虐・肉体派映画でも「300」は様式美に主眼があり、残虐の中にも美があったがメル・ギブソンの映画は画面を見る方も痛みを感じる。特に今回はデジタル映像がフィルムの質感と違う生々しさで迫ってくる。

 簡単に言えばマヤ帝国と森の部族のいわば内戦的な話だが、延々と続く殺戮描写に、いったいこの先どうなるのか不安を抱く頃、廃墟と化した村に一人生き残る子供が憑依し、トランス状態で神がかりな予言を語る。これで後半の筋書きが明らかになる構造で、観客は安心し、あとはそれがどう描写されるのかと画面を注視することになる。

 「パッション」のアラム語、本作のマヤ語と、監督自身さえ分からない言葉で良く映画が撮れるなと感心してしまう。

 全編、熱に浮かれたような呪術的ムードが漂っている。

映画 「女帝」

2007年06月18日 | 映画(ア行)
 原作は「ハムレット」だが、母親ガートルードを主人公に話が展開する。オフィーリィアも原作に比べて見せ場が多く、総じて女性の比重が大きくなっている点が邦題にも現れている。

 ダニエル・ウーが演じるハムレット役は、かつての恋人を父親が后にしたという設定で、母親との関係がよりドラマチックになっている。美術も絢爛豪華で見応えがある。

 冒頭に仮面劇が演じられ、暗黒舞踏にも通じるような様式的な異様さが芸術的な雰囲気も感じさせるが、いきなりワイヤーアクションになってしまう。中盤チャン・ツィイーとダニエル・ウーのアクションも甘美な音楽をバックに、まるでバレーを見ているかのように華麗に展開する。

 重厚なドラマとして十分通用する仕掛けを施しながら、ファンサービスのためか、たびたびワイヤーアクションが登場し、これはこれで見事なのだが、その華麗さがドラマの流れを断ち切ってしまう。

 欲を言えば普通の殺陣で重厚劇路線に仕立てて欲しかったが、でもハムレットをこういうビジュアル満載のエンターテインメントとして見せてもらえて、十分に楽しめた。

 原題は The Banquet で、直訳すれば「宴(うたげ)」となるところだが「女帝」の方が素直に内容を表している。だけどそれを[エンペラー]と読ませるのは、宣伝マンが empress という女性形の単語では観客が分かるまいとでも思ったのか、あるいは単に彼自身がこの単語を知らなかっただけなのか?

 小学校で英語を教えようかという時代にこれで良いのだろうか?

映画 「300」

2007年06月15日 | 映画(サ行)
 ケレン味たっぷりに描かれる古代西洋版の残虐歌舞伎のような印象だ。

 飾り立てられた動物やモンスター並みの異形の人間、仮面の軍団などヴィジュアルの限りを尽くした100万のペルシャ軍団が、まるで道路を練り歩く踊りの連のように、次から次へと繰り出してくる。

 迎え撃つスパルタの300人は肉体美を誇る裸の軍団。盾や兜で身を守ろうというのだから何か着ろよ、と言いたいところだが、それを見せるのがこの映画の肝なのだ。

 主眼は戦闘場面にあり、映像の様式美を強調したつくりで、全編が絵になっている。そのため腕や首が飛び、血しぶきが舞うが不思議と陰惨な印象はない。

 ドラマ的には分かりやすく、心理的な深い描写はなく心の葛藤もさらりと描かれる。したがって主役級を除けば演技よりも肉体の動きが重視されるわけで、配役は腹筋が割れているかどうかで選ばれたのではないかと思わせるほどだ。

 「ロード・オブ・ザ・リング」やジェット・リーの「英雄 HERO」を思わせる場面がある、こってり濃いソース味の作品。

 ラストのクレジットが単なるシルエットではなく3Dで処理されているのも注目。

映画 「12人の優しい日本人」~ 裁判員制度の参考に

2007年06月14日 | 映画(サ行)
 裁判員制度が話題になっている。その参考になるのが三谷幸喜の舞台「12人の優しい日本人」と中原俊が監督したその映画化作品 (1991)だ。

 三谷幸喜に素晴らしい先見性があったわけではなく、シドニー・ルメット監督作品「十二人の怒れる男 (1957) 」の骨格をもとにして、もし日本に陪審員制度があったら、という想定で書かれたコメディだ。

 オリジナルの舞台脚本の面白さと、限定された空間を映画としてうまく処理した中原監督の緊密なショットの積み重ねで、舞台劇の映画化作品としては最もよく出来た作品の一つになっている。

 豊川悦司が唯一謎めいたキャラクターで登場するが、公開当時はまだ「誰この人?」状態。今のようにメジャーになっては逆に出来ない役だ。

 陪審員と裁判員、厳密には構成も評決方法も違うそうだが、こういうことをやらされるという参考にはなりそうだ。

映画 「歌謡曲だよ、人生は」

2007年06月13日 | 映画(カ行)
 昭和の歌謡曲10曲にオープニングとエンディングが付くショートフィルム・コレクション。

 興行である以上、ターゲットがあるはずだ。この作品の場合どういう層を想定したのだろう?「三丁目の夕日」「東京タワー」がヒットしたから昭和を懐かしむ人たちに見て欲しいのか、あるいはカラオケファンか。

 長編に付いて行けない若者層にショートフィルムは意外と受けている。たとえば本作出演の妻夫木聡が出ていた「ジャム フィルムズ」は第3弾まで製作された。今年は夏目漱石原作の「ユメ十夜」が公開になった。
 いずれも配役と監督の顔ぶれにターゲットが明確に出ている。場合によっては監督目当てのディープな映画ファンも劇場に行くだろう。

 だけど本作はそれが不明だ。曲・配役・監督の選定に「視点」が感じられない。それがオモチャ箱をひっくり返したような楽しさにつながる場合もあるだろう。しかしそれもあるレベルが保たれていればの話だ。結果的に個人的序列をつけて上位に並んだのは、それなりの名のある監督作だった。

 各監督の経歴を見るとベテランの助監督、編集、照明など映画の屋台を支えてきた方たちの名前が見られる。彼らのこだわりの一曲がここに一編の作品として日の目を見たわけだ。

 という事情も考えると、ここは目くじら立てず、素直にその成果を楽しむのが良い鑑賞法といえるだろう。