SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画「王の男」

2006年12月27日 | 映画(ア行)
 「王の孤独」が芸人の視点から描かれる。宮廷内の劇中劇の描写がちょっとハムレットのようなところもある。

 文学的な作品で昔の大衆芸能が強く前面に出ているため「オシャレな韓国映画」ではない。さらに四天王系のスターも出演していない。

 したがって日本で受ける系の韓流作品とは一味違う。韓国では歴代を競うヒットだったそうだが、日本では「トンマッコルへようこそ」よりさらにマイナーな印象がある。しかし、都心では新宿にオープンしたミニシアターのオープニング作品として選ばれているだけに見ごたえのある作品になっている。

 大ヒットした韓国テレビドラマ「チャングムの誓い」で、チャングムが仕える王様の先王が描かれている。本作の画面には登場しないものの、ラストのクーデター決起で重要な役割を果たしたのが幼少のチャングムである。
 チャングム・ファンはぜひ劇場へ足を運ばれては。

映画 「オーロラ」

2006年12月19日 | 映画(ア行)
 幻想的な仕上がりの美しい作品。結果的には悲劇なのだが夢幻的なファンタジーになっている。

 「ミュージカルって台詞の途中で俳優が突然歌い出すけど、いいんですか?」という台詞がリチャード・ギア主演の「サブリナ」にあった。この映画の場合はそれがバレーになるわけだが、日常の動作が突然バレーで表現されるわけではなく、「踊る」という設定の場面が劇中に多いというだけで「突然」の不自然さはない。

 踊りが禁じられたある国の、踊りが好きでたまらない姫君の結婚にまつわるエピソードが綴られる。舞踏会に他国の王子が招待され、貢物とその国の踊りを披露してプロポーズするという趣向。

 日本の王子も登場するのだが、その踊りが白塗りの「暗黒舞踏」で度肝を抜く。異国性を強調するためか全編中で異彩を放っている。

 たんにバレーを見せると言うだけでなく、シンプルながら劇としてのきちんとしたストーリーがある。ただ、なぜ踊りが禁じられたかについて説得力が弱いので、ここは踊りを楽しむための映画だと腹を決めるしかないだろう。  

 ヒロインの名前が同じオーロラ姫だが、ディズニーの「眠れる森の美女」とはまったく別の物語だ。

 正月に見るには深刻ぶった作品よりはよほど良い。

映画 「武士の一分」

2006年12月15日 | 映画(ハ行)
 主人公の生き方そのもののように、まったく小細工のない、映画の王道を行くような作品。

 冒頭で、方言を話す下級武士のキムタクがSMAPのバラエティ番組のようでコンフリクトを起こしかけたが、すぐにアイドルスター・キムタクは姿を消し、俳優・木村拓哉がそこにいた。

 前二作は似通ったイメージを持っていたが本作はテーマも作り方もまったく違う。どちらかと言うと舞台劇のようで、近松の世界などに近い感じだ。テーマはズバリ夫婦愛で真正面に据えられ、まったくぶれがない。

 主人公が盲目となる設定からか、風や雷、虫の音、鳥の声、鐘の音など画面の外の豊かな世界の広がりを音で聞かせる作りになっている。
 「虫」は特に蚊と蛍がビジュアル上も場面の大きな要素になっている。蛍は、CGで画面上を光が舞うように合成されることはあるが、本作では画面の片隅で、障子にとまった蛍が羽を広げて飛び立つのだ!

 前二作も共通するが、食事の中身や作法など「時代の生活」がとても丁寧に描かれる。城の中では、毒見のあと主君の部屋まで膳が届けられるが、そこでさらに御前へ運ぶための役どころへとバトンタッチされる分業制を初めて目にした。殿の目に触れる者たちは服装も明らかに差別化されている。

 その、もうろくしてどうしようもないと思わせるように描かれた主君の、実はとても大きな人情が物語の隠し味になっている。

映画 「LOFT ロフト」

2006年12月13日 | 映画(ラ行、ワ行)


 黒沢清監督の作品は一般的な娯楽作ファンからは敬遠されがちだが、この作品は黒沢ファンの中でも好き嫌いが分かれるだろう。

 黒沢作品の特徴は壮大なスケール感にある。といってもスターウォーズのような映像が展開するわけではない。どちらかというと文明論的な概念が神話的なストーリーを伴って描かれるのだが、それが現代劇の体裁を取っているところに「敬遠」の理由はあると思う。
 したがって興行として売る側もスタンスに困ることがあるようだ。少し前の「回路」などは一般劇場でホラーとして公開された。確かに黒沢監督の作品は怖い。だから本気でホラーを撮ったらそれは恐ろしい作品が出来上がるだろう。だけどちょっと違うのだ。

 本作では「永遠の愛」が、千年の眠りから目覚めたミイラの呪いとして描かれる。したがって壮大なラブストーリーであり、当然ながらホラー的要素が絡む。問題は、で、いったいどっちの路線なんだ、ということが最後まで定まらないことだ。

 黒沢作品では一般に、唐突に物事が起こる。最も現実はそういうものだから、むしろ極めてリアルではある。ただ本作の場合は、登場人物が唐突に発する演劇的な(ある意味おおげさな)愛の台詞に戸惑ってしまう。豊川悦司が中谷美紀のヒロインをあるときから突然「レイコ」と呼び始め、キスをしたりするのだが、いつからそんな関係になったのか・・・・と。

 中谷美紀がインタヴュー(注)で
「最初に台本を読んだとき『これは私のキャパシティを超えている!』と、分からないことばかりだったんですが、監督の『人は理由がなくても行動するものなんです』という言葉を聞いてすべての霧が晴れました」 と言っているのが面白い。

注:インタヴューは「MovieWalkerレポート」よりの引用。


映画「ディセント」~ 深呼吸したくなる

2006年12月12日 | 映画(タ行)
 タイトルは「下降」の意味だが、他に「急襲」という意味もある。地底版のエイリアンか、ゾンビか、といった趣の作品。

 ただし、それは結果的に、であって、そんな展開になるとは予想もつかなかった。これを「何じゃ、こりゃ?」と見るか「畳み掛ける恐怖」と見るかが評価の分かれ目。

 女性のみの冒険家グループがケイビングに挑む。その閉塞的な地下空間の恐怖は圧倒的で、閉所恐怖症の人が見ると発作を起こしかねない。そこにさらに人間関係の葛藤や「急襲」がからみ、後半はスプラッターと女コマンドー・アクションの様相を呈してくる。「地獄の黙示録」のマーチン・シーンを髣髴とさせるシーンもあり、そのテンコ盛り度はファンなら狂喜するだろう。

 最後に希望の光をチラリと見せた上で、絶望の谷底へ突き落とすテクニックはなかなかのもの。B級ホラーと呼ばれるのだろうが、どこか心に引っかかる作品である。

 原題ではタイトルに監督名:ニール・マーシャルを冠している。本国では名前の売れた監督なのだろう。今後に期待。


映画 「親密すぎるうちあけ話」

2006年12月08日 | 映画(サ行)
 ミステリアスな展開のパトリス・ルコント作品。

 精神分析医と患者のドラマはジャン・ジャック・ベネックスの「青い夢の女」(2000) やブライアン・デ・パルマの「殺しのドレス」(1980)などミステリーの傑作が多い。本作も一見そのような装いながらロマンティックの枠内に収まっている。ルコントだから。

 サンドリーヌ・ボネール演じる美しい患者の人違いが物語の軸となる。あんな美人でさえなかったら一言「人違い」と告げて幕、物語は成立しないだろう。
 間違えられたファブリス・ルキーニの税理士は、やましさから途中で医師免許を持っていないと告白するのだが、患者の方は「カウンセラーは必ずしも医者とは限らないから」と取り合わない。こちらの方はせっかくの「うちあけ」が不発に終わってしまう。

 税理士が同じ階に開業する本来の精神科医に相談すると、女の方はそれを分かっていて近づいているのではないか、という可能性を示唆する。もしミステリー派の監督ならここからまったく別の方向に物語が向かって行くだろう。

 結末は・・・・、DVDでご覧下さい。

映画 「007 カジノロワイヤル 」

2006年12月07日 | 映画(タ行)
 荒唐無稽化していたシリーズを原点に引き戻した力作。

 ボンド役者の硬軟度からいうとティモシー・ダルトン以来の硬派、決定のニュースを聞いて、クールでなかなかいいんじゃないか、と思っていたが、世間一般には不評だったとか。それが公開されるや作品の面白さに、評価が反転していったようだ。

 生身のスパイとはこんなものだろうと思うような痛々しさが付きまとう。しょっちゅう怪我しているし、心臓だって一度は止まってしまう。

 OO7が"OO"になる前の物語、とあるがそれは最初の数分間の話。むしろ"OO"初年兵時代を描いたというべきだろう。あるいは名前をもらった後、それにふさわしい風格(非情さ)を如何に手に入れていくかの物語とでも。

 冒頭、MGMのライオンもコロンビアの女神もモノクロで、オヤッと思っていると、なるほど本編もモノクロで始まる。その後タイトルから鮮やかなカラーになるが、タイトルに切り替わる瞬間、おなじみの007ポーズが決まり、思わずうなってしまった。

 タイトルバックは最近作に比べるとクラシックな味わいだがトランプ・マークをモチーフにした面白い出来だ。
 「カジノロワイヤル」は中段になってようやく出てくる。そこにいたるまでのエピソードも丹念に描かれ、アクション場面との緩急のリズムも見事。

 一件落着に見えても、まだ謎が潜んでおり最後まで目が話せない。

 ショーン・コネリーは別格としてもダニエル・クレイグのボンドはとても好感が持てる。(「悪人顔」という人がいるがそもそもスパイは善人なのだろうか?)
 今後のシリーズもこの人間臭さを消さないで欲しい。

映画 「恋は足手まとい」 ~ 日本なら企画落ち?

2006年12月06日 | 映画(カ行)
 いかにもフランス映画らしい恋愛コメディ。

 邦画だったら多分企画されないし、映画化されても果たして見に行くだろうか。今や大物のエマニュエル・ベアールがその作品に堂々と主演するところからして「いかにもフランス映画」なのである。

 他愛も無いし、駆け引きそのものも古臭いのだが、ゆったりとしたこういう話が好まれる文化の違いが垣間見られて楽しい。文化の違いといえば、この種の映画に、堂々と隠すことなく裸が(しかも男性)登場するのも日本ではありえないだろう。

 しゃれた大人の喜劇を、ワインでも飲みながら夕べの楽しみとして鑑賞するのは悪くないかも知れない。

短編アニメ 「岸辺のふたり」

2006年12月05日 | 映画(カ行)


 なんと素晴らしい!
 わずか8分の素朴な感覚のアニメが与えてくれるこの感動は何だろう。

 劇場で併映されていたので、たまたま見ることが出来たわけだが、本編以上にこの作品を見られたことの方がうれしい。

 後で知ったのはこの作品が2001年度のアカデミー賞短編アニメーション賞を受賞しているということ。どうりで・・・・。

 幼い頃に別離した父を生涯思い続ける一人の女性の姿を、定点観測的に描いている。分かれた後、女性は必ずしも不幸であったわけではなく、友達もいれば、長じて結婚し、子供ももうけて幸せな家庭をもったと思われる。だけど父親に会いたいという思いは常に変わることなく、やがて・・・・。

 ・・・・という物語がセピアトーンの水彩画のような背景に線画+墨絵のようなタッチで描かれている。台詞は無くアコーディオンとピアノの音楽が流れる。

 11月に無料ブロードバンド放送のGyaOで配信されたそうだ。何度でも見られたのに惜しいことをした。(こういう作品を取り上げてくれる宇野社長のUSENを少し見直した。)が、まだDVDで鑑賞という手も残っている。