SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「シン・ゴジラ」

2016年08月17日 | 映画(サ行)
 休み中に話題の「シン・ゴジラ」を見ました。怪獣映画というよりは災害映画のよう で、日本の防災体制をゴジラ出現でシミュレーションしているような印象でした。一種の痛烈な行政批判でもありますが、やがてそれが覚醒して日本を守る、という国防映画です。
 政治家や自衛隊を主体に会議シーンが多く、手順を踏まないと何もできない中で、ゴ ジラの都市破壊は刻々と進んでいきます。恋愛関係の男女も、引き裂かれる家族も登場しません。余計なものがないことを良しとするかどうかが評価の分かれ目のようです。
 これまでのゴジラとは違うので、お子様連れでは行かない方が良いでしょう。
 

映画「世界から猫が消えたなら」

2016年07月11日 | 映画(サ行)
 5月中旬からのロングランで、シネコンでの上映回数は減ったものの大健闘中の邦画「世界から猫が消えたなら」をようやく鑑賞することができました。といっても積極的ではなく、時間があったから見た作品なのですが、大変失礼しました。とてもよく出来た感動作で、大いに泣けました。しかも映画に対する愛が詰まった、ファンなら必見の映画といえます。
 自分にとって大切なものとは何か、を考えさせられる映画です。主人公は突然余命がわずかと宣告を受けるのですが、もうすぐいなくなる自分の代わりに、周囲から大切なものが一つ、また一つと失われていくことと引き換えに生き永らえることができる、というファンタジーです。やがて主人公は死と向き合い受け入れる覚悟を持つにいたりますが、世界の美しさとそこに生きている人々への愛おしさが身に迫ります。
 見て良かった。大正解でした。まだの方にはお勧めです。終映も近いと思います。

映画 「サード・パーソン」

2014年06月30日 | 映画(サ行)

 「第三の男」とは違うが、こちらもなかなかの名作。3つの都市の3つの話が並行的に語られる群像劇になっている。中の一人がリーアム・ニーソン演じる小説家である。

 自分自身のことを小説に書いているが、作中では「彼」と三人称で表現している。タイトルはそこから来ている。3つの話は子供に対する親の責任、という共通項があり、どこかで奇妙にリンクし、別の場所の話のはずが、空間的に重なったりもする。

 ひょっとしたら観客は主人公が書いている小説の中身を見せられているのではないかという疑問もわいてくる。明快な説明はないが、観客はそんな迷宮に放り込まれて、自分がどこにどう立って物語と対峙しているのかを考えることになる、そんな不思議な鑑賞体験を味わえる作品である。

 脚本家の頭で緻密に構成された世界をフィルムに再現するには自分で撮るしかないだろう。というわけで、名脚本家にして、名監督のポール・ハギスの世界が堪能できる。

映画 「神聖ローマ、運命の日」

2014年04月30日 | 映画(サ行)
 イスラム教とキリスト教の争いを描いている。

 オスマン帝国トルコ軍の野望は、ヨーロッパに侵攻しキリスト教の中心地で、そのシンボルである教会をモスクにしてしまおうというものだ。目指すはローマの中心、サンピエトロ、というわけだが、とりあえずその攻防の舞台となるのはウィーンで、圧倒的なオスマンに対して一人の聖者とポーランドの援軍が挑む。

 今のトルコはオーストリアの首都ウィーンには遠く、当時のオスマン帝国がどの程度の領土を誇っていたかくらい知っていればさらに理解が深まるのだろうが、歴史音痴でも面白く見られた。調べたらウクライナ、ハンガリー、チェコスロバキアなどすべてオスマンだったらしいから、ウィーンは国境のすぐ向こうにあったことになる。

 映画のコピーに「1683年9月11日”ウィーン包囲”・・・・」とあり、そのウィーンは「黄金のリンゴ」と呼ばれていた。

 ビッグアップル=ニューヨークを襲った9.11テロとピッタリ符号しているではないか!!

映画「さよなら渓谷」

2013年07月23日 | 映画(サ行)
 芥川賞作家・吉田修一原作の「さよなら渓谷」を鑑賞できた。

 多くの映画は予告編でほとんどのことが分かって、本編鑑賞はそれを確認するに終わってしまうことが多いが、本作の場合は、こんな話とは知らなかった。

 久々に大人の人間ドラマで、見ごたえがある。大学時代にレイプ事件を起こした男のその後を、ある週刊誌の記者が追う話である。後半に差し掛かったところで、実は巧妙なミステリー仕立てになっていたことに気付かされる。

 観客にとっては驚くべき事実が明らかになる。しかしミステリー映画ではない。描かれるのは人間の心の深い闇の部分で、ここには他人には推し量れない不思議が横たわっている。

 「見てから読むか、読んでから見るか」と問われたら、本作に限っては映画を見た後に原作を読むことをお勧めしたい。

映画 「さよならドビュッシー」

2013年02月25日 | 映画(サ行)

 遺産相続したヒロインを狙って次々に襲いかかる怪事件、果たして犯人は・・・のミステリーの陰で、やがて驚愕の真実が明らかになる。そしてラストに訪れる感動・・・という運びが想定されたストーリー。

 これ面白い、と太鼓判を押すには、前半のミステリーがグイグイと観客の心を引っ張っていかなくてはならない。これはいわばミスリードでそのミステリーに心を奪われていたら、本筋はむしろそれに隠された真実の部分にあったという驚きであっと言わせる仕掛けに、観客は心躍らせるのだ。

 しかし、そのミステリーパートが弱い。演出の問題か演技の問題か、ヘタウマなのか本当にヘタなのか分からない役者がそろって推理も走査も淡々、この人が犯人でした、とあっさり決まってしまう。

 さて次は・・・で、ここからの後半はむしろヒロインのピアノにかけた情熱がどう結実していくかに焦点があり、ラストの演奏会シーンは見事で素直に感動できた。が、これで前半の不満を帳消しにできるかどうか?

 原作は第8回の「このミステリーがすごい!」大賞に輝いた作品だそうだ。原作者の感想が聞きたい。

映画 「007 スカイフォール」

2012年12月30日 | 映画(サ行)

 カウントダウン・ムービー第2作(最後から3番目)は話題の007最新作となった。
シリーズのお約束であるアバン・タイトルのワンエピソードがまず見応え十分。ボリュームがあって、しかも今後の展開に大影響の異例の事態が描かれる。

 続くタイトル・アニメが毎回のごとく素晴らしく、ここまでですでに十分に元をとった感じがする。

 ダニエル・クレイグ・ボンド3作目で、ドラマ性が最も強く、シリーズ誕生50周年の23作目にしてボンドシリーズの「世代交代」を謳っている。豪華配役で、交代する今後のレギュラーにも強力な布陣である。

 また、ハビエル・バルデムが屈折した悪役を見事に演じる。対するクレイグ・ボンドは年齢のためか、復帰試験の成績は芳しくないものの続投してくれるようだ。銃やナイフといった伝統的アイテムで原点回帰を狙ったアクションがヒーローではない、生身の諜報員の人間臭さを感じさせる。

 世界各地に展開するロケも素晴らしい効果を上げている。

映画「砂漠でサーモン・フィッシング」

2012年12月29日 | 映画(サ行)
 今日から大晦日までの3日間に4本の作品を鑑賞する予定。そのカウントダウン・ムービー1本目(最後から4本目)がこれ。

 渋谷のシネコン3スクリーン中、最小キャパ60席のシアターで一日2回の上映。それをわずか10人ほどで鑑賞する贅沢。

 ユアン・マクレガー、エミリー・ブラント、クリスティン・スコット・トーマスの豪華配役で監督がラッセ・ハルストレム。小品ながら夢にあふれてほのぼのと温かく、風刺も効いたラブ・コメディ。正月映画にはピッタリだと思うのだが人が入るかどうか心配。

 無理難題が山積のプロジェクトをどう成立させるかというビジネスストーリーを核に中東情勢に関わる英国のイメージ戦略とラブストーリーが絡む。

 山あり、谷あり、起承転結も映画らしい映画で、スターたちが楽しんで演じている。見て損のない作品といえる。

映画「シルビアのいる街で」

2012年11月22日 | 映画(サ行)

 男が6年前に一度だけバーで会った女性の面影を求めて、再び町にやって来る、その人探しに付き合わされている趣だ。

 昼間はカフェのテーブルで集う女性たちの横顔をスケッチしながら、シルビアという女性の面影を探し求めている。

 ほとんど会話らしい会話はなく、見る者と見られる者の視線の交錯がひたすら描かれる。確信を持った女性の出現で、画面は動き出し、追う者と追われる者の関係に置き換わる。ほとんどストーカー行為でもあり、追いついたところでわずかな会話が用意されているものの、不発であったことが明らかになる。

 何も起こらない映画で、最後に衝撃の結末が用意されているかも知れないと期待はしたが、結局何も起こらない。

 だが、では、退屈な映画なのかといえば、そうではない。ハンサムな主人公が町中の美女に目を留めスケッチを繰り返していく、夢のような目の至福を実感することができる。

 都市の景観、窓ガラスへの映り込みなど、重層化された映像美の中に突如ホラーテイストが立ち上り、心が泡立つ瞬間がある。

映画 「少年と自転車」

2012年06月01日 | 映画(サ行)

 カンヌ映画祭出品のたびに賞レースに絡んでくるダルデンヌ兄弟監督の最新作。児童映画のような素朴なタイトルだが、現代の過酷さを背負う一人の少年が描かれる。

 父親に捨てられた少年と彼の里親になる女性を軸に語られる物語は、感情移入を拒むかのように距離感を保ちながら淡々と進められ、流れるようにというよりは、小さな角張った石があちこちにぶつかりながら転げていくような印象である。

 その「淡々」の中の起承転結は、「転」が三回くらいあって最後が静かに結ばれる。ほろ苦さの残る幕切れだが、少年の人生再スタートを示すかすかな予兆がある。

 ダルデンヌ兄弟映画常連のジェレミー・レニエが少年の父親役を演じており、見方によっては兄弟の前作「ある子供」の続編のようにも見える配役の妙がある。