SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「釣りキチ三平」

2009年03月31日 | 映画(タ行)

 「おくりびと」滝田洋二郎監督の最新作はコミック作品の映画化。

 須賀健太君がいたからこそ出来た映画だろうな、と思った。

 釣りにはまったく興味を持たないが、楽しく見ることが出来た。肩の凝らない娯楽作品ながら、なるほどという釣りのウンチクも語られ、かつ都会の孤独と家族の絆、都会と田舎の格差、自然環境の問題など深いものがある。

 伝説の岩魚釣りのシーンで突然ファンタジーに変貌、ああ、これはコミックの映画化だったのだと変な納得をする。この部分はネッシーをモデルにした「ウォーター・ホース」のような味わいだ。

 最近は劇場の音響が良いせいか姉役・香椎由宇の声がやたらキンキンと耳に響いた。

映画 「マンマ・ミーア!」

2009年03月26日 | 映画(マ行)

 中年パワー炸裂のミュージカル。中年男も中年女も3人組だが、女性の方が元気だ。

 主演のメリル・ストリープはロバート・アルトマン監督の遺作「今宵、フィッツジェラルド劇場で」でも得意ののどを披露、歌もうまいんだ、と感心した覚えがある。今年60歳だからすでに中年以上だ。

 地中海、ギリシャの島でホテルを経営するメリル一家の娘の、結婚式前夜からの1日の物語。父親知らずの娘が父親の可能性のある3人の男性を招待したことことから巻き起こる騒動をミュージカルに仕立てている。

 ABBAのヒット曲を豪華配役のストーリー付きで楽しもうという趣向だ。いずれも耳にしたことのある楽曲が次から次にオン・パレード。こういう意味の歌詞だったのかと初めて知った。それにしてもうまく物語とシンクロしたものだ。

 先代007・ピアーズ・ブロスナンの歌も愛嬌だ。

映画 「映画は映画だ」

2009年03月24日 | 映画(ア行)

 キム・ギドクの原案・製作と聞けば見ないではいられない。

 人気スターとヤクザが映画で共演することになる。ヤクザはスターのファンで、かつてチョイ役で映画に出演していた経歴も持っている。

 相手に怪我をさせて共演者になり手が無いスターとの、出会いと分かれが描かれる。

 主役の2人はテレビを中心に活躍してきた役者のようで初見、共に魅力的だ。

 白と黒の対照的な衣装でビジュアルもスタイリッシュだが、ラストの干潟でのファイトシーンは泥まみれ。土色に染まってどちらがどちらかも分からない、壮絶なファイトだ。

 場内は年配女性観客で埋まっていたが、「ムツゴロウ」のようだとおっしゃっていた。

映画 「カフーを待ちわびて」

2009年03月17日 | 映画(カ行)

 玉山鉄二・主演、優しさに溢れた癒し系ラブ・ストーリー。

 うだつの上がらない島の男のもとに居付く謎の美女は、一体どのような素性の女性なのか?というミステリー的要素で物語を引っ張っていく。

 伝統的な日本昔話、「鶴の恩返し」や「雪女」などを下敷きにしているともいえる。

 男が、女のタブーに触れるために、やがて女は男のもとを去る。そのような筋書きが日本的な頭には刷り込まれているので、それらしき秘密の箱が出てきたり、開発業者の陰謀説が出てきたりしていよいよ「別離」の期待は高まるのだが・・・、爽やかに裏切られる。

 「本土」=縁結びの神社のある町、で、物語のすべてはその万に一つの偶然が何回も重なって成立している安易さはあるが、しょせんファンタジーと割り切って緩やかな時間の流れに身を置けば、それなりに楽しめる。

 エンドタイトルの後になかなか幕が降りないと思ったら、もうワン・エピソードおまけが付いていた。

映画 「帰らない日々」

2009年03月10日 | 映画(カ行)

 アメリカの田舎町が舞台。世間は狭いと感じる映画だ。それまで何のかかわりもなく暮らしていた人たちの人生の糸が、ある事件をきっかけにもつれ始める。

 子供を轢き逃げされた親が犯人を捜し始める。協力を求めた弁護士一家の事情と絡めて描かれる。犯人も人の子の親であることが事件を痛ましいものにしている。

 役者が揃っている割には印象的なディテールもなく、話はやや単調で、ありがちな方向へそのまま流れていく。ラストをどう描くかで物語の深みが違ってくるはずだが、結末は放り出されて観客の想像にゆだねられ、結局曖昧な印象を残して終わる。

 良くなりそうな題材だけにもったいない。

映画 「7つの贈り物」

2009年03月06日 | 映画(ナ行)

 ウィル・スミス主演の贖罪がテーマの作品。

 なぜ?で引っ張っていくミステリーに仕立てているのが良かったかどうか。(※以下で核心に迫るネタを記述していますのでこれから見る方は注意!!)

 脳死に陥った人から臓器提供を受ける場合、ドナーに関する情報は伏せられる。

 7つの内のいくつかは死を伴わない「提供」なので、親切な行為に対する感謝の心でドナーともらった方の交流が可能である。

 だけど「心臓」の場合にはドナーの死が前提になる。

 本作は、自分が臓器を与える相手の人格を、主人公が事前に確認していく話だ。主筋は心臓を与える相手とのラブストーリーとして仕立ててあるので、相手はそれと知らずドナーと深く関わってしまうわけだ。

 ドナーが現れたといって手術をしたヒロインが、術後にドナーを知った時の心の空洞を考えるとこの物語は成立しない。明らかにドナー・ウィル・スミスのルール違反だ。ヒロインは見ず知らずの人がドナーだったら、どんなにか良かっただろうと一生苦しむはずだ。

 動機は違うが、主人公の行為自体は小池徹平が主演した「KIDS」と通じるものがある。

映画 「ディファイアンス」

2009年03月05日 | 映画(タ行)

 ナチスの迫害を逃れたベラルーシに住むユダヤ人たちが、森の中に作り上げたコミュニティを描く。

 中心になるのは両親を殺されたダニエル・クレイグを長男とする兄弟たち。次男との反目、グループ内での反目、ロシア人グループとの反目をグループリーダーがどう率いて戦争を乗り切り、ユダヤ人をナチスから守るかが描かれる。

 3男に扮するジェイミー・ベルが雪の舞う森の中でユダヤ人女性と結婚式を挙げる。過酷な状況の中だけに本作のラブシーンは殊のほか美しい。

 当初ひ弱に見えた3男が、ラスト近くには群れを率いる次のリーダーとして成長していることが分かる。

 終戦間近にはコミュニティが1200人まで膨れ上がったというが、これはその成立期の話である。

 同じベラルーシのロシア人もナチスの迫害を受けており、その様子は「炎628」という1985年製作のソビエト映画に描かれている。628はナチスに焼き払われた村の数である。

映画 「ボーダータウン 報道されない殺人者」

2009年03月04日 | 映画(ハ行)

 知られざる社会悪を告発するという姿勢で製作されたシリアスな作品。

 キャリア・アップのために事件を取材をすることになったヒロインの記者・ジェニファー・ロペスを、アントニオ・バンデラスとマーティン・シーンがいつにない地味な役で支えている。

 舞台はアメリカと国境を接するメキシコの町。大国の繁栄を支えるために隣国の貧しい人々が犠牲になっている。

 権力の腐敗を告発するジャーナリズムという構図も、記事を葬ることで約束される未来にヒロインが背を向けることも、この種の物語としてはありきたりかも知れないが、ここに描かれた事件の深さは恐ろしい。

 これまで闇の中にあったある事実を映画が告発することの意味は大きいはずだ。

 特別出演のカリスマ的人気歌手、フアネスが劇中のパーティで歌う姿を見ることが出来る。

映画 「ベンジャミン・バトン」

2009年03月03日 | 映画(ハ行)

 ブラッド・ピット主演、デヴィッド・フィンチャー監督の最新作。

 アカデミー賞13部門でノミネートされていたが、美術賞と視覚効果賞のみに終わった。しかし、見応えのある「十分満足」の一作であった。

 フィンチャー監督の作品はいつも視覚的な豊穣さを感じさせるが、本作ではこれまでの尖がり感が消えうせ、優しさといとおしさを感じさせる。素晴らしいストーリーテラーだ。

 会話で語られるちょっとしたエピソードやたとえ話までがすべて映像になっている。ヒロインのケイト・ブランシェットが事故に遭う顛末が、「風が吹いたので桶屋が儲かった」風に語られるのだが、もし風が吹かなかったら桶屋は儲けなかったのだが、風が吹いたので儲けましたとさ、というふうに贅沢な映像になっている。(何のコッチャ?の人はぜひ見てみてね!)

 人の一生は振り子のようなものだ。死は生まれる前にいた場所に再び帰ることを意味している。
 赤子から振り出して青壮年をピークにまた老年期、振出しへと戻って一生が終わる。これをたまたま逆に振り出してしまった男の話なのだ。

 一般の老人は年をとって徐々に記憶が薄れていく。大人の体で記憶は幼児だから正常な人からは違和感がある。ベンジャミンの老後は「幼児の記憶力を持つ幼児」としてある。だから違和感はないものの、人生の記憶をなくしていく姿は切ない。

 彼の人生を彩った多くの人々も忘れがたい印象を残す。

映画 「おくりびと」

2009年03月02日 | 映画(ア行)
 納棺師・・・人の死に真摯に立ち会う、崇高な職業だ。

 一般的には、「死」は忌み嫌われる存在だ。葬式から帰ったら塩で清める。汚れを清めるためだ。

 主人公の妻が、夫が就いた仕事を知って「汚らわしい」と叫ぶシーンがあり、そこまで言うか?と違和感を感じる人もいるだろう。職業に貴賎はないとはいえ、根深い差別感が心の奥底にあることも事実だ。

 人は一人で生まれ、一人で死んでいく。孤独だ。その旅立ちに立ち会い、寄り添ってくれる人がいてくれればどんなにか心強いだろう。

 恐怖と苦痛でこわばった死者が、納棺師の手で穏やかな美しい顔を取り戻すシーンは感動的だ。

 ユーモアがあって、チェロの美しい調べに心を洗われて、生と死に思いを致すことが出来る。深い映画だった。

 庄内の風景は藤沢周平の時代劇でも現代劇でも「ふるさと」を感じさせてくれる。

 アカデミー賞効果で多くの人がこの映画を見てくれるはうれしい。