SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「インベージョン」

2007年10月29日 | 映画(ア行)
 これで4度目の映画化、というSF「ボディ・スナッチャー」のリメイク作品。ジャンルとしてはゾンビや吸血鬼ものに近いが、ホラー色は薄く心理的サスペンスが勝っている。

 すべての人がドラキュラの餌食になって吸血鬼化すれば、それはそれで世界は幸せなのではないかと思う。まさにポランスキーの「吸血鬼」はその蔓延を予感させて終わる。

 本作では宇宙から飛来した病原体が人格を変えてしまう。感染力を持ち、正常な人類を同化させようとする。「ゾンビ」になるというならともかく、姿かたちはまったく変わらないのだ。
 町は感染した人だらけになっているが、機能が停止してはいないから、社会人としての勤めはそのまま果たしているようだ。ただ感染者は喜怒哀楽の情がなくなり無表情になる。とはいうものの争いを好まず「同化」された世界はある意味平和だ。

 感染性さえなければ社会の危険分子を制圧するツールとしては極めて魅力的かもしれない。「デスノート」よりはよほど穏やかだ。

 そんな思想と、人間の自由や個性を尊重する思想の戦い、というのがそもそものテーマであったのかもしれない。監督はドイツのオリヴァー・ヒルシュビーゲル。「es(エス)」や「ヒトラー~最期の12日間」の監督なのだ。

 本作では蔓延の危機は脱する。病原菌だからその免疫をどう調達するかにかかってくる。そのプロセスは前段に比べるとあっさりしたものだ。

 ・・・・と言うわけで地球の危機は救われました、という簡略なラストは「宇宙戦争」ほどではないにしろ、もう少しそのプロセスのサスペンスで見せて欲しかった。
 相変わらず美しいニコル・キッドマンは、息子を守ろうと奔走する強い母親像を見事に演じているけれど。

映画 「めがね」

2007年10月17日 | 映画(マ行)
 春が来る、という現象を擬人化して描くとこんな作品になるのかな。「春」は、もたいまさこ演じる旅人の「さくら」だ。作中で引用される「ひねもす のたりのたりかな」がそのまま作品の印象を表現している。

 「かもめ食堂」がいかに素晴らしかったかが、本作を見ると逆に良く分かる。そのつもりで劇場に足を運ぶと肩透かしを食うかもしれない。
 空気感も含めてすべてがシャープに決まった前作と、何かモワッとした感じが最後まで全体を包み込んだ本作。旅人の登場や何が詰まっているのかわからないボストンバッグ、グルメ志向など共通するアイテムは揃っているのだが印象はまったく違う。

 食堂を営む小林聡美のヒロインを基軸に旅人が絡む前作の構造と、ヒロイン自身が旅人として漂泊の途にあるという状況の違いも反映しているのだろう。

 「めがね」の中で基軸と呼べる一番確かなものは何か?と考えると、それは毎年決まってこの地を訪れる「さくら」なのだ。あるいは彼女が作る「カキ氷」と言っても良いかもしれない。
 「かもめ」との比較で言えば、基軸になるはずの民宿の主人さえ、「あのカキ氷に出会って人生が変わった」と言っているのだ。どちらが古くから確実に存在して来たかを考えると軍配は「カキ氷」に上がりそうだ。

 「不思議な」と言う言葉がぴったりの本作、作り手が違えば「不条理劇」にも、ブラックな味わいの筒井康隆風ホラーにもなっただろう。

映画 「サン・ジャックへの道」

2007年10月11日 | 映画(サ行)
 ロードムービーにして群像劇。作る側としてはかなりの難題だ。さらにキャストは知らない役者さんばかり、かつ最近は公開本数が少ないフランス映画。したがって日本での興行的な条件は極めて悪い。

 でも良く出来ている。

 フランスからスペインの聖地を目指して1500kmを2ヶ月かけて徒歩で歩く、ガイドを入れて9人の「巡礼団」の物語だ。
 家族間の事件が多い最近の日本だが、本作でも犬猿の仲の3兄妹を含む他人同士がどうまとまっていくかをカメラが追っていく。

 兄妹は死んだ母親の遺言で、この巡礼を達成することが遺産相続の条件になっている。
 冒頭のタイトルバックは郵便局の作業室で、機械化された郵便物の仕分けから配達人の手によって3人の手元へその知らせが届けられるまでの様子を丁寧に描写している。
 最後にこの「郵便局」が意外な複線にもなっていた事が分かり可笑しい。

 延々と歩き続ける「旅」を映画としてメリハリを持って成立させるために、各エピソード、旅の途中で出会う人々、そして随所に挿入される、登場人物が眠りについたときに見る夢の映像(これがまたシュールなアクセントになっている)が心地よいリズムで絡み合う。
 いがみ合いで始まった険悪な旅はいつしか癒しの旅へと変容している。

 見終わった時この旅の友の面々がなんともいとおしく感じられ、こんな仲間と旅をしてみたいと思わせてくれる。

 問題は2ヶ月の休暇が取れるか?だ・・・・。

映画 「ミス・ポター」 ~ POTTER をどう読む?

2007年10月09日 | 映画(マ行)
 同じ POTTER でも「ハリー・ポッター」だったり「ミス・ポター」だったりする。児童文学つながりの両作だが、本作はその作者にスポットを当てた「ピーター・ラビット」の誕生秘話とでも言うべき作品だ。

 イギリス映画らしい登場人物と美しい風景。やや類型的とも言えなくは無いが、その人物描写も楽しめる。

 ヒロインのビアトリクス・ポターに扮するレニー・ゼルウィガーとその家族、婚約者ノーマン・ウォーンに扮するユアン・マクレガーとその家族の面々が個性豊かに物語を支えている。ただ今回最も素晴らしいのはノーマンの姉ミリー役のエミリー・ワトソンだ。脇の固めとしては最高の布陣と言える。

 全編にみなぎる幸福感とその谷間にはさまれた悲哀で、都合3回は涙してしまった。

 イギリスの自然景観を保全するナショナル・トラスト運動創始者としての一面も描いて、魅惑の湖水地方の景観を楽しむにはもってこいの作品だ。

 所々に顔を出すピーター・ラビットのアニメ表現もファンタジーを添える。パスすることも考えたが、心から見てよかったと思える作品。

郵政民営化 初日

2007年10月01日 | 日常生活・事件

 今日2007年10月1日、郵政民営化が実現した。

 これまでの郵政省~日本郵政公社までの間、何か不便があったかというと何も無かった。むしろ他の多くのお役所よりも郵便局は親しみやすかったし、よく努力しているという印象であった。

 だから個人的には民営化を望んでいたわけでもなく、むしろ一部の政治家に無理やり民営化させられているように見えた。実際に困っていたわけでもないのに、「それで世の中は良くなるのだ」と国民は信じ込まされた、というべきだろう。

 しかし民営化前後から山間僻地の簡易郵便局はこれまでの受託者が閉鎖し始めている。窓口数は減ってきているのだ。送金手数料も一部を除いて上がるという。

 むしろ民営化されて不便になるところの方が増えるのではないだろうか?推進論者はそんなこと少しも教えてくれはしなかった。

 しかし、ここまで来てしまった。もう簡単には後に戻れなくなってきている。

 本日、その民営化の記念として切手が発行された。
 そもそも、最も強力な抵抗勢力は日本郵政公社自身であったはずなのだが、いざ民営化されてしまうと商魂たくましいというか、自らの逆境と信じていたものさえ商品化してしまう。

 でも、散々政治家に翻弄されてきたのだから、そのくらい逞しくもなるだろう。郵便局ファンとしてはそのバイタリティでこれからも頑張って欲しいものだ。

 さてその新しい郵政グループのマーク、Japan Postの頭文字JPをデザインしているわけだが、昨夜のニュースで見て以来、コーヒーのマグカップのように見えてしようがない。

 これから積極的に事業展開するというから、窓口の片隅でカフェ経営の可能性もあるのだろうか。

映画 「包帯クラブ」

2007年10月01日 | 映画(ハ行)
 柳楽優弥の主演作。「誰も知らない」以降、必ずしも出演作に恵まれたとは言いがたかったが、本作は面目躍如の堂々たる主演だ。しかもこれまでと違うワイルドなイメージで役者としての幅が広がった。

 共演陣はいずれも手堅い青春スターで固められた。ある時は大学生だったり、またあるときはすでに社会人を演じてきた俳優たちが今度は高校生だ。ほかに実年齢に近い役者はいないのか?と思わせるくらい色んなところに色んな役で出てきた青春スターばかり。しかし、あまり違和感も無くちゃんと高校生をこなしているから見事なものだ。実は柳楽優弥が一番若いと言うのも分からないくらいだ。

 「包帯クラブ」は社会の裏側で人の心を癒していく秘密クラブのような存在だ。江戸時代だったら「必殺仕置きクラブ」になっていただろう。

 人のつながりが希薄な現代、他人の心の痛みが分からないかのような犯罪が増えている。そんな時代にむしろ、ネットだからこそ可能なコミュニケーション方法で「癒し」を実現していこうとする試みが斬新だ。しかし、そのクラブの構成員自身も癒しがたい苦悩を内に秘めているのだ。(原作は天童荒太の同名小説)

  舞台となっている地方都市・高崎の景観が効果を高めている。大都会でもド田舎でもこの物語は成立しないだろう。

 クラブの構成員は柳楽優弥、石原さとみ、田中圭、貫地谷しほり、関めぐみ、佐藤千亜妃の6人が演じている。