SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」

2006年04月29日 | 映画(ハ行)
 数学者の父と娘の物語。

 グウィネス・パルトロー、アンソニー・ホプキンス、ジェイク・ギレンホールと俳優陣は豪華。うまい脚本と役者、監督が揃い、つまらない映画になるわけがない。が、今回はホプキンスもそれほどの見せ場がなく、脇を手堅く固めている。

 死んだ数学者ホプキンスの娘姉妹がともに、ややエキセントリックで関係がギスギスしており、見ていて辛い。

 映画は妹役のパルトローが自分の人生の第一歩を歩み始めるまでの物語。
 原題は単に「Proof」だが、まるで原題をそのままカタカナ表記したかのような邦題が、実は意味的には良く内容を表している。

 ほぼ同じ頃、邦画でも数学者が主人公の「博士の愛した数式」が公開されたが、これは日本の勝ち。

 チラシの「アカデミー賞最有力」のコピーが空しい。わるい映画じゃないだけに・・・・。

映画 「ニュー・ワールド」

2006年04月25日 | 映画(ナ行)
 詩的イメージの集積とモノローグが物語を紡ぐ。

 冒頭のワン・シーンから、すでに「テレンス・マリック」である。リュック・ベッソンの流れるような水面と違ってスティルの世界だ。

 全体の印象は映像による叙事詩。
 したがって、「あれ、何で?」という場面もあるが、小説的に細部の整合性をうんぬんすること自体がこの作品の場合は意味を持たないだろう。

 伝説・神話領域の話として、美しい自然描写の圧倒的迫力を満喫すればそれだけで良いのかもしれない。音楽と詩的な台詞があいまって夢見ごこちにさせてくれる。

 コリン・ファレルにクリスチャン・ベールそして往年のクリストファー・プラマーと男優陣は豪華。

映画 「僕のニューヨークライフ」 ~ ウディ・アレンの分身術

2006年04月22日 | 映画(ハ行)
 今回の主役はジェイソン・ビッグス。大きな黒目が印象的な好青年。
 アレンの分身的な役割だがずっとハンサムである。

 そのアレンは脇役で同じコメディ作家の先輩格なのだが、これがとても不思議なキャラクターに仕上がっている。
 「ファイトクラブ」のエイドワード・ノートンとブラピの関係ようでもあり、「シックス・センス」のブルース・ウィリスのような存在にも見えてくる。決して悪意はなく主人公の人生の岐路で背中を押してくれる、とぼけた天使のようだ。少なくとも主人公の通う精神科のカウンセラーよりはよほど役に立っている。

 ただ思わぬ強暴な一面も見せる。
 アレン主演のホラーがあれば、それはそれで怖い気もする。

 ラストで主人公はニューヨークを出てカリフォルニアへ向かう。少し前に公開された「さよなら、さよならハリウッド」ではアレン扮する映画監督は、それでは足りずフランスを目指す。

 2作続きではどうしてもアレンのニューヨーク決別宣言と取られてもしょうがないだろう。

映画 「かもめ食堂」 ~ ジョナサン?

2006年04月21日 | 映画(カ行)
 雑誌の北欧デザイン特集が映画になって動き出したような雰囲気。特に厨房周りの調理器や食器などオンパレードだが、シンプルなのに温かい。分厚い鮭の切り身や卵焼きなど日本食の雰囲気がそれにぴったりと合っている。

 調理の見た目もさることながら「音」がまた良い。おにぎりを握るときの米の音、焼き海苔を巻く音、海苔を口に入れる音、揚げた衣に包丁を入れる音など空腹時に見たらたまらない。

 小林聡美がやっている合気道が象徴的だが「気が合う」というコンセプトが作品の中心にあるようだ。言葉を超えたコミュニケーションが北欧の空気と光を感じさせる映像の中で軽やかに描かれている。

 音楽は井上陽水の「白いカーネーション」がインストルメンタル、ラストの「クレイジーラブ」が歌入りでこれがなかなか決まっている。

幽霊の正体 ~ 視点の変化

2006年04月20日 | 映画

 日常の何気ない出来事も視点を変えると違って見えることがある。

 上から見ると正方形、横から見ると三角形・・・ピラミッドみたいに。

 これは写真にとって初めて分かった ムスカリの花 の変化。

 真上から見ると平べったい花のように見え、とても立体的な穂を形成しているとは思えない。

八重桜 咲く

2006年04月19日 | 日常生活・事件
 ソメイヨシノから大体2週間で八重桜が満開になる。

 今年はそのソメイヨシノのころ少し寒の戻りがあったりして、八重桜の枝を見ても葉の出る気配さえなく、多少つぼみが大きくなっているかなという程度であった。

 だから少し遅れるだろうと自分で勝手に決めていたのだが、その後、毎朝見るごとに素晴らしい成長振りを見せ、例年どおり2週間で、ちゃんと見事な花を見せてくれた。

 今年もありがとう。

 日本舞踊「花見踊り」の桜の枝は、ソメイヨシノよりこちらの方がうんと見栄えがするようだ。豪華なボリューム感がある。この木の下で花見をしないのは、二度もやるのは気が引けるからか、それとも気持ちはもうゴールデンウィークへ行っているからか?

 むかし札幌で、連休明けに花のまばらな山桜の下でジンギスカンを食べた記憶があるけど・・・・。

映画 「ブロークバック・マウンテン」

2006年04月18日 | 映画(ハ行)
 タヴィアーニ兄弟監督のイタリア映画「父/パードレ・パドローネ」は、小学生の息子が厳格な父親から山の羊番をさせられるところから物語が始まる。こちらは一人だからまったくの孤独だ。しかも幼い。

 同じ羊番でも、舞台や設定の違いからまったく異なる物語が紡がれるが、ともに名作。

 風景を捉えた画面からは山の冷気が伝わってくるようだ。甘美な青春期が過ぎ、その後の現実がすさむほどに、再び二人で訪れる山の景色は美しく、神々しくさえある。
 山は主人公二人の心が常にそこに帰っていく美の象徴のように扱われ、まるで三島由紀夫の「金閣寺」のような存在にまでなっている。

 死んだ相手の実家に両親を訪ねるラストが切ない。

 アカデミー作品賞は惜しくも逃したが骨太の文学タッチの作品。
 一方の「クラッシュ」は洒落た映像感覚と緻密な脚本による群像劇で、観客として甲乙は付け難い。後は好みの差でしかないだろう。

 こんな豪華なノミネーションを味わえた今年のアカデミー賞レースは、「たいへん満足」でした。

映画 「プロデューサーズ」

2006年04月14日 | 映画(ハ行)
 久々のミュージカルらしいミュージカル。「らしい」というのは、やはりコメディだから。 

 シリアス系ミュージカルにも傑作は多いが、これはコメディ路線の傑作。単に舞台を映画化しただけでなく、映画として映像表現の興趣にも富んでいる。

 映画スターとして認識していた人達が歌もなかなかうまい。

 メル・ブルックスの原作(ミュージカルではない映画作品)は1968年の作品ながらほとんどお蔵入り状態で、2000年に日本でも公開された。当時小さな劇場でひっそりと公開されたのを見た友人から面白いと推薦されていたのを見ないままでいた。

 マシュー・ブロデリックは「ウォー・ゲーム」のときと変わらない童顔ながら、達者な歌と踊りで驚いた。もともと舞台の人なのだ。
 ウィル・フェレルもうまい。「奥様は魔女」とは雲泥の差で役が生かされている。

 エンドクレジットに流れる歌もラストでしっかり笑いを取るし、そのまた後に舞台で言うところのカーテンコール的な趣向も用意されており、サービス度は満点。

 最後まで席は立たないほうが良い。

映画 「ファイヤーウォール」

2006年04月13日 | 映画(ハ行)
 人質にとられた家族救出劇なので、どうしても昨年公開のブルース・ウィリス主演「ホステージ」と比較してしまうが、勝負にならない。

 小さな息子は占拠された家の中でも割りに平然と構えているのだが、そういう態度をとらせるにいたった敵・味方の間の、そこにあるはずのエピソードが描かれていない。
 登場人物がストーリを語るための単なる駒のようで、犯人グループも人質の側も人物像にまったく厚みが感じられない。わずかに息子がピーナッツアレルギーであることが分かるくらい。

 建築家の妻が設計した豪邸に住んでいるのだが、パニックルーム並みのセキュリティとか面白い道具立てや仕掛け、抜け道などがあるわけでもない。

 主犯格のポール・ベタニーにルドガー・ハウワーを思わせるところがあり、ハリソン・フォードとの格闘に「ブレード・ランナー」を思い出したが、20数年前の作品でもあり、どうしてもフォードの歳が見えてしまう。
 まして今回はスーパーヒーローでも無いわけだし・・・・。ただ一介のコンピュータ技術者にしてはちょっと強すぎるかな、という感じである。

映画「愛より強い旅」

2006年04月12日 | 映画(ア行)
 主人公とともに旅をする感覚のロード・ムービー。

 エピソードで綴られるストーリーテラー系のロード・ムービーを期待すると戸惑いを覚えるかもしれない。極めて音楽的なのだ。
 監督のトニー・ガトリフが、劇中に挿入されるほとんどの音楽に詞まで含めて関わっていることからも、そのこだわりが分かる。

 主人公は常にウォークマンを聞いており、劇中の音楽はそのヘッドフォンから流れてくる音楽であるという特異な使い方をしている。観客は主人公と同じ音環境にいることになる。

 都会の日常に閉塞感を感じ、何がそのイライラの原因か分からないのだが、とにかくアルジェに行こうという極めて直感的な行動力から映画が動き出す。アルジェは主人公のルーツであり、そこにトラウマ的な原因があるらしい。

 旅の中でそのトラウマから精神的に開放されるところが全編のクライマックスなのだが、「トランス」と言う民族楽的な音楽にのって主人公二人が神がかり的なトランス状態に陥っていく様子が延々と描写される。

 それに続くラストシーンには憑き物が落ちたような、さわやかな表情の二人がいた。