乙一の原作は「傷」。それを「KIDS」としたタイトルセンスは素晴らしいのだが、小説では主人公が小学生なので良しとするも、映画に主演した小池徹平も玉木宏もKIDSと呼べる年齢かどうか?もっとも古くは北野武の「キッズ・リターン」が金子賢、安藤政信で、役の上では20歳チョイ前のキッズだったが。
超能力者の物語だ。タイトルにある「傷」を移動させ、人の痛みを自分の体に引取ってしまう優しい若者の話だ。ただ映画の冒頭でそれを暗示させるために、テ-ブル上の小瓶を動かすシーンが用意されているのだが、物理的に物を動かす念力とは別種の能力なので、脚本の浅さがいきなり露呈し、白けてしまう。
原作は乙一の持ち味である「切なさ」で語られるが、映画の方は、これがアイドル映画の常道と言わんばかりにハッピーエンディングに持ち込んでいる。
そのため余韻に乏しく、アイドル映画がアイドル映画として終わってしまう。それがファンの期待と言ってしまえばそれまでだが、彼らの優れた表現力の可能性はそのためにそこまでで止められてしまっている。ファンだって本当はアイドルの別の一面を見たいと思っているのではないか?
まったく同名のラリー・クラーク監督作品(1995年)がある。こちらはニューヨークのティーンエイジャーの性とドラッグに浸った日常を描いている。
超能力者の物語だ。タイトルにある「傷」を移動させ、人の痛みを自分の体に引取ってしまう優しい若者の話だ。ただ映画の冒頭でそれを暗示させるために、テ-ブル上の小瓶を動かすシーンが用意されているのだが、物理的に物を動かす念力とは別種の能力なので、脚本の浅さがいきなり露呈し、白けてしまう。
原作は乙一の持ち味である「切なさ」で語られるが、映画の方は、これがアイドル映画の常道と言わんばかりにハッピーエンディングに持ち込んでいる。
そのため余韻に乏しく、アイドル映画がアイドル映画として終わってしまう。それがファンの期待と言ってしまえばそれまでだが、彼らの優れた表現力の可能性はそのためにそこまでで止められてしまっている。ファンだって本当はアイドルの別の一面を見たいと思っているのではないか?
まったく同名のラリー・クラーク監督作品(1995年)がある。こちらはニューヨークのティーンエイジャーの性とドラッグに浸った日常を描いている。